三十日目(水) 俺とアルカスと静かな夜だった件

「キミのお陰で、少し気が楽になったよ」

「少し? それならまだまだ必要だな」

「そんなことないさ」


 普段通りの軽口で答える阿久津だが、根本的な解決には至っていない。

 ストレスを溜めていた時の俺と同じで、今は一時的に忘れているだけだろう。

 悲しみを消すことはできない。

 だからこそ、より多くの楽しさで上書きする。

 それが俺にできる唯一の解決方法だった。


「そういえば今日って、ふたご座流星群が見られるんだよな?」

「そうなのかい?」

「ああ。確か始まる時間は九時過ぎくらいからだったっけ。深夜には真上から降ってくるように見えるって、朝のニュースで言ってた気がするぞ」

「九時……それなら見えるかもしれないね」


 クラスでも話題になっていたため知っているかと思ったが、そんな情報を頭に入れる余裕すらなかったのだろう。もっとも俺は俺で情報を知っていても基本的に十分ぐらいで諦めてしまうため、未だに流星群を見たことがなかったりする。

 阿久津と共に昔あった遊具がほとんど無くなっていた公園に立ち寄ると、ポケットから財布を取り出し自販機でコーンポタージュスープの缶を二つ買った。


「ほら」

「ありがとう。まるであの時とは反対だね」

「二年前の大晦日だよな」


 ベンチに座る阿久津の隣に腰を下ろしつつ、お互いに懐かしい思い出を振り返る。

 コーンの粒を残さないように二人揃って飲み口の少し下を凹ましてから両手を温めつつ、先程に比べると雲が減って星と三日月が見えやすくなった夜空を見上げた。


「キミはアルカスと本当によく似ているね」

「どの辺りが似てるんだ?」

「気まぐれなマイペースで自由奔放。急に素っ気なくなったりするところも同じだし、ボクが困ることばかりして手間を掛けさせるし、迂闊に放っておけないし――――」


 そう言われると否定できない。思った以上に共通点あるんだな。

 少しずつ気持ちの整理ができてきたのか、阿久津はアルカスの名前を口にしても泣き出したりせず、先程に比べても落ち着いた様子だった。


「――――そんな人騒がせな一面もあるけれど、何よりも似ているのは一緒にいて楽しい存在ということかな」

「なあ阿久津。一つ聞いてもいいか?」

「何だい?」

「アルカスって名前をローマ字で書いて逆から読んだら、どことなく櫻っぽい字の並びになったんだけど、これって偶然なのかと思ってさ」

「気付いていたのかい?」

「いや、実はさっき火水木に教えてもらったんだ」

「天海君が……この手のロジックは好きそうだけれど、流石といったところだね。アルカスを飼い始めた時、どんな名前を付けようか暫く悩んでいたんだよ」


 ARUKASU。

 このままひっくり返すとUが邪魔だが、仮にアルカスのスペルが『ARUKAS』ならば『SAKURA』の文字が浮かび上がってくるというアナグラムだ。


「そんな時、キミの家の曇っていた窓ガラスにローマ字で書かれていた名前を見て思いついたのさ。一体誰が書いたのかは知らないけれど、ももちゃんと梅君の名前も書いてあったかな」


 冬の日の結露している窓に、理由もなく何かしら書くようなことは誰にでもある。恐らく言いだしっぺは姉貴だろうがローマ字を習うのは三、四年生辺りのため、俺か梅が覚えたての字を披露していたという可能性もあるかもしれない。

 その名前を阿久津が外から見れば鏡文字の完成。SAKURAという文字のうちAとUは線対象であるため読みやすく、確かにアルカスっぽく見えるのも納得だ。


「いやちょっと待て。窓に書いてあったからって、何で俺の名前にしたんだよ?」

「丁度その頃は、キミと話す機会が減って寂しい頃だったからさ」

「!」

「元々アルカスを飼い始めたきっかけも、キミとの交流が無くなったボクを見て両親が取り計らってくれたんだよ。梅君や近所の子がいたから遊び相手には困らなかったけれど、同じようなことが起こった時に一人ぼっちにならないか心配だったみたいでね」

「そうだったのか……」


 衝撃の事実に驚きを隠せない。

 文字通りアルカスは、俺の分身のような存在だったという訳だ。


「じゃあ、今度は逆だな」

「何がだい?」

「お前が寂しくならないように、俺がアルカスの代わりになる番だ」

「――――――」


 探していたパズルの最後のピースを見つけたような顔……とでも表現すべきだろうか。

 そんな印象的な表情を浮かべた阿久津が、少しして照れ臭そうに口を開く。


「……………………その…………なって……くれるのかい?」

「一緒に行くって約束しただろ?」


 約束を守れる保証はないが、それでも阿久津が俺の幼馴染であることに変わりはない。

 主人公気分で恰好つけつつ答えると、俺のことを見つめていた少女は小さく笑った。


「そうだったね。アルカスに良い報告をするためにも、ボクも負けていられないかな」

「寧ろご主人が勉強し過ぎて心配だから、少しは休めって言ってたのかもしれないぞ?」

「仮にそうだとしたら、もう充分に休ませてもらったよ」


 レールから外れていた車輪が、元の位置に戻ったのかもしれない。

 阿久津は大きく息を吐き出した後で、いつも通りの不敵な笑みを浮かべつつ答える。


「ただ今日はもう少しだけ休憩することにしようかな」

「そうだな。それがいい」

「音穏と星華君、それに望君には連絡しておかないといけないね」

「俺も火水木に礼を言っておかないとな」

「…………櫻。キミがいてくれて良かったよ」

「ん? 何だよ突然?」

「単に思っていたことを口にしただけさ。本当にありがとう」

「今までのツケを考えたら、これくらい安いもんだ」

「…………」

「………………」

「……………………静かな夜だね」

「ああ」


 心なしか若干耳が赤くなっていた少女が、軽く俺にもたれかかる。

 お互いの肩を触れ合わせながら、俺達は星の流れない夜空を眺め続けた。

 いつまでも、いつまでも……。

 流星群を見ることはできなかったが、充実した時間だったと思う。

 開けずに手にしたままだったコーンポタージュスープの缶が熱を失った頃になって、阿久津はゆっくりと身体を起こしてから口を開いた。


「さてと……そろそろ帰ろうか。ボク達にはやるべきことがあるからね」

「だな」


 きっと明日からはまた、いつも通りの毎日が始まるんだろう。

 楽しいことがあれば、辛いことだってある。そんな日々が待っているに違いない。


『あらゆる生あるものの目指すところは死である』


 倫理において『イド・自我・超自我』という精神分析論を提唱したことで有名なフロイトが残した名言だが、生きている以上は死と向かい合う日が訪れるのは必然だ。

 俺達は過去から未来へ歩いている。

 時には一緒に歩けなくなることだってあるかもしれない。

 だけどそいつはいなくなった訳じゃなくて、ただ立ち止まっただけだ。

 俺達が歩いている姿を、後ろで見てくれている。

 いつまでも、いつまでも、俺達が前へと進むのを応援してくれている。

 振り返れば、いつだってそこにいるから。

 だから今は歩き続けよう。

 後ろばっかり見ていると躓くから。

 だから、前を向いて歩こう。


「それじゃあ、また明日」

「ん……ちょっと待て。ほら」


 家の前に着いたところで、俺は冬雪に頼んでいた物をポケットから取り出す。

 トレードマークである税込30円の棒付き飴を見た少女はいつになく嬉しそうに微笑むと、俺の手を握り締めるようにして受け取るのだった。


「ありがとう。お休み」

「おう。お休み」

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