三十日目(水) アルカスがARUKASUだった件
「へっくし! うー、寒ぃ……」
天気予報では暖かい一日になると言っていたが、冷たい風が容赦なく吹いてきた。
学ランは割と防御力があるためマフラーと手袋だけでも大丈夫だろうと高を括っていたものの、夕焼け小焼けの音楽が流れ始めた頃になると流石に寒くなってくる。
「…………」
阿久津は未だに見つかっていない。
そもそも俺は今、アイツを探すために走り回ってすらいなかった。
行き交う人を、自転車を、車を眺めながら。
アイツがこの場所にやって来るのを、ただ黙々と待ち続けていた。
「!」
遠くからこちらに向かって歩いてくる顔見知りを見つける。
しかしながらそれは阿久津ではなく、小さな身体で二つの鞄を抱えている少女だった。
「サンキュー。悪かったな」
「……大丈夫」
陶芸室から慌てて飛び出した俺は鞄を置きっぱなしだったが、一分一秒を争う状況だったため冬雪にメールで依頼。わざわざ持ってきてもらったという訳だ。
俺に鞄を手渡した冬雪は、ちょこんと隣に腰を下ろす。
「……それとこれ、頼まれてた物」
「ああ、助かる。早乙女と望ちゃんは?」
「……部室に戻ってくるかもしれないから、もう少し待ってるって」
「そうか」
「……ヨネはミナが来るまで待つの?」
「そのつもりだ」
阿久津が姿を見せる気配はない。
それでもアイツは必ずここに来るだろう。
『――――黄色い線の内側まで、お下がりください』
別に思い出の場所だとか、そんなロマンチックな話ではない。
俺が自転車を飛ばして向かった先は、他でもない駅の入り口。陶芸室へ鞄を取りに戻る時間さえも惜しんで取った行動は、電車通学である阿久津の待ち伏せだった。
「……ゴメン」
「何で冬雪が謝るんだよ?」
「……大切な時期だから。こうなるなら、もっと早くに話しておくべきだった」
「冬雪にも冬雪なりの考えがあったんだろうし、気にすんなっての」
「……ありがとう」
「とりあえず何があったのか、冬雪は事情を知ってるんだよな?」
「……私とトメだけが知ってる」
「もし良かったら、話してくれるか?」
「……(コクリ)」
阿久津が泣いていた理由を、俺は未だに知らない。
一体何があったのか。
その答えは、冬雪の口から静かに告げられた。
「……アルカスが亡くなった」
「!」
アルカス。
阿久津の飼っている飼い猫。
俺からすれば、単なるペットでしかない。
しかしアイツにとっては、かけがえのない家族のような存在だ。
「……癌だって言ってた」
「癌……」
「……最初に病気だって聞いたのは四月の頃」
「そんなに前から?」
「……その時は手術して回復したけど、夏の頃に再発したって」
「………………そうか…………それで……」
『…………大きな悩みは二つあるんだけれど、そのうちの一つは星華君と音穏が相談に乗ってくれていてね。もう一つの方は……キミの意見を聞いてみたいかな』
「……ミナ、ずっと辛そうだった」
『何でもないよ。最近はあまりアルカスと遊んでいなくてね』
「……アルカスが病気になる度、物凄く落ち込んでた」
『ああ…………少し色々あって、昨日あまり眠れていなくてね』
「……それで日曜日に、亡くなったって連絡があった」
………………どうして気付かなかったんだろう。
今になって考えてみれば、思い当たる節は沢山あった。
「……月曜日の夜に通話もしたけど、話を聞くことしかできなかった」
「それだけでも、阿久津にとっては充分助けになったと思うぞ?」
「……ミナもそう言ってくれた」
ただ、心の傷はそう簡単には塞がらないものだ。
ふとした瞬間に思い出す。
夢に出ることだってあるかもしれない。
「……くしゅん」
「少し冷えてきたな」
「……ヨネ、大丈夫?」
「知ってるか冬雪? 馬鹿は風邪を引かないんだ」
「……ヨネは馬鹿じゃない」
「馬鹿だから必死に勉強してるんだっての。事情は大体わかったし、後は俺に任せとけ」
「……お願い」
「ああ。その代わり冬雪は、アイツのことを頼む」
「……(コクリ)」
タイミング良く遠くに見え始めた早乙女を指差すと、冬雪が静かに頷く。薄々予想はついていたが、やはり陶芸室に戻ってくることはなかったようだ。
いつになく沈んだ表情を浮かべている少女は完全に放心状態。自転車通学である望ちゃんの姿はなく、老人の散歩レベルのスピードで一人トボトボと歩いていた。
「……トメ」
駅前のベンチに座っていた俺達の存在にすら気付かず、そのまま通り過ぎようとしていた後輩に冬雪が声を掛けつつ歩み寄る。
早乙女は足を止めて顔を上げるが、俺もいたことに気付くと開きかけた口を閉じた。
「……ミナは今、少し休憩が必要なだけ」
「…………」
「……後はヨネがきっと何とかしてくれる」
改めてそう言われるとプレッシャーだな。
優しい先輩の言葉を受けた早乙女は、黙って俺の元へやってきた。
「………………………………何で来たんでぃすか……」
「え?」
「根暗先輩が部室にさえ来なかったら、ミナちゃん先輩は……ミナちゃん先輩は……」
行き場のない怒り。
いや、この場合は悲しみだろうか。
確かに俺が陶芸室に行かなかったら、阿久津が走り出すことはなかった。
しかしそれで解決するような問題じゃない。
そうとわかっているからこそ、早乙女は途中で唇を噛みしめると下を向いてしまう。
「…………冬雪から話は聞いたよ。後は任せてくれないか?」
「……………………めでした……」
「?」
「…………星華じゃ…………駄目でした……」
俯いていた少女が、悔しそうに震える声を絞り出す。
尊敬する先輩の助けになれなかった。
支えることができなかったという辛さが、ひしひしと伝わってくる。
早乙女は目元を拭った後で、俺に向けて深々と頭を下げた。
「根暗先輩…………いえ、米倉先輩……ミナちゃん先輩のこと……お願いします…………」
「ああ。早乙女も、それに冬雪も、ありがとうな」
涙を流す後輩に、冬雪がハンカチを差し出す。
二人が駅の階段を上っていくのを見届けた後で、ゆっくりと息を吐き出した。
「ふー」
さて……任せろとは言ったものの、どうすればいいのか。
俺はペットを飼ったことがない。
わんこっちなら育てたことはあるが、流石に電子ペットとリアルのペットでは色々と違うだろうし、夢野のように愛着を持って育てていた訳でもなかった。
問1 今の状況から阿久津のどのような考え方がうかがえるか。(100点)
まるでセンター国語の『作者の気持ちを答えよ』なんて問題を解くような感覚だが、ぶっちゃけアレって作者は作者でも『問題製作者の気持ちを答えよ』なんだよな。
実際に経験をしていない以上、相手の立場になって考えるというのは難しい。ましてや冬雪や早乙女でも解決できなかった悩みとなれば尚更だ。
『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』
一体どんな言葉を掛けるべきか考えていると、不意にポケットの中の携帯が震え出す。
誰かと思えば、画面に表示されているのは火水木の名前だった。
「もしもし?」
『もしもしネック? 兄貴から聞いたんだけど、もし良かったらアタシが使ってた参考書とかいる? どうせ捨てちゃうから、必要なら兄貴に渡しておくわよ』
「あー、悪い。ちょっと今、緊急事態でそれどころじゃないんだ。後でもいいか?」
『緊急事態って、何があったのよ?』
「…………お前だから言うけど、阿久津の猫が亡くなったんだよ」
『ツッキーの猫って、アルカスのことっ?』
「ああ。ちゃんと覚えてたのか」
『当たり前でしょっ? でも亡くなったって、ツッキー大丈夫なのっ?』
「駄目そうだから、今アイツが来るのを駅で待ち伏せしてるところだ。とりあえず詳しい話は冬雪から聞いてもらえると助かる」
『わかったわ。アタシに出来ることって何かありそう?』
「今は特にないと……いや、火水木。お前ってペットとか飼ったことあるか?」
『ウチはペット禁止だって、前に話さなかった?』
「そういやそうだったっけ。じゃあペットが亡くなった友達とかっていたか?」
『いないと思うけど……っていうか、何よその質問?』
「お前ってこういう相談に対して経験豊富そうだからさ。もしも火水木だったら、どういう風に対応するのかと思って」
『別に経験豊富じゃないわよ。ただ飼ってたペットが亡くなるくらいのショックとなると、時間が解決してくれるのを待つくらいしかないんじゃない?』
「やっぱそうだよな」
問題は、その時間がないということ。
センター試験本番までは、残り約一ヶ月程度しかない。
『まあ時間解決以外の方法も、一応あると言えばあるけど……』
「あるのかっ?」
『うーん……できればアタシの口からは言いたくなかったんだけど、今回ばかりは仕方ないわね。ねえネック。アンタ、ツッキーがどうしてアルカスって名前を付けたか、考えたことある?』
「え?」
アルカスという名前の由来なんて、考えたこともなかった。
どうしてそんなことを聞くのか不思議に思っていると、火水木は受話器越しに溜息を吐く。
『やっぱり気付いてなかったのね。アタシは初めて名前を聞いた瞬間、すぐにピンと来たわよ。ツッキーがギリシャ神話から取ったとは思えないし、響きからして怪しいじゃない』
「どういう意味だよ?」
『少しは考えなさいよって言いたいけど、特別に大ヒントを教えてあげるわ。アルカスって名前をアルファベットで書いて、よーく睨めっこしてみなさい』
「アルファベット……?」
『あーあ。アタシってばどっちの味方なんだか……。とにかくツッキーのことを一番知ってるのはアンタなんだからね。解決方法については自分で考えなさい』
「あ、ああ」
火水木との通話が切れた後で、俺は携帯のメモ帳を開く。
そして言われた通り、アルカスの名前をアルファベットで打ち込んだ。
『ARUKASU』
「…………っ!」
気付くまで一分も掛からなかった。
そこに隠されていた意味を理解し、思わず呆然とする。
別に何てことない名前だと思っていた。
一体どういうことなのか、詳しい話は本人の口から聞くべきだろう。
「………………」
そして数時間後、ついにその時はやってきた。
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