三十日目(水) 逃げるが勝ちだが逃げるは恥だった件
今日も放課後を迎えるなり、俺は日課になりつつあるサテラーへと向かう。
部屋の中に入ってから周囲を確認してみるが、やはり阿久津の姿は見当たらず。恐らくは昨日言っていたように、普段通り予備校に行っているんだろう。
一晩経って、睡眠不足は回復したのかもしれない。
しかしあの点数は、一体何があったのか。
物理演習の授業は昨日で最後だったため、詳しく話を聞く機会があるとしたら来週の月曜日……アイツがサテラーに来た時になりそうだ。
『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』
「…………?」
画面に映っている講師の説明を聞きながら、黙々と黒板の内容をノートに写していたところで、不意にポケットの中の携帯が震え出す。
映像を一時停止させた後でガラケーを取り出して確認すると、振動は未だに続いておりメールではなく電話の模様。それも大変珍しいことに、画面に表示されていたのは冬雪の名前だった。
とりあえず素早く席を立ちつつ自習室から出ると、通話ボタンを押して耳に当てる。
「もしもし?」
『……ヨネ、まだ学校にいる?』
「ああ、いるぞ」
『……それなら陶芸室に来てほしい』
「ん? 別にいいけど、どうしたんだ? 新入部員でも来たのか?」
『……違う。来たら話す』
「わかった。五分くらい待っててくれ」
「……ありがとう。待ってる」
いつになく早口だった冬雪からの通話を切ると、自習室に戻りサテラーの道具を片付ける。今思えば仮に新入部員が入ったとしても、俺を呼ぶ必要なんてないか。
冬雪が手に負えないような問題となると、まさかとは思うがテツと早乙女による本格的な喧嘩が勃発。新生陶芸部設立から僅か三ヶ月にして廃部の危機だとか、そんなことはないと思いたい。
FハウスからCハウスへ向かい昇降口を抜けると、中庭を通りつつ芸術棟へ。口論するような声が廊下にまで響き渡っていた……なんてことは一切なく、普段通りの雰囲気だ。
「あ、米倉先輩……」
「よう。冬雪に呼ばれて来たんだけど、何かあったのか?」
「……(コクリ)」
陶芸室のドアを開けると、部屋の中にいたのは冬雪と望ちゃんの二人だけだった。
鞄を置きつつ陶芸室の中をざっと見渡してみるが、騒がしい部長&副部長が見当たらない以外は普段通りの陶芸部。その二年コンビも部活に来ていない訳ではなく、一時的に席を外しているだけのようだ。
「テツと早乙女は?」
「早乙女先輩はいらっしゃいますけど、鉄先輩は多分お休みだと思います」
「え? 来てないのか?」
「はい。最近アルバイトを始めたみたいで」
「へー。あいつがバイトね。何やってるんだ?」
「ファミレスだって言ってました」
「成程な」
あの脳内ピンクな後輩のことだから、恐らくは「制服がエロいんスよ!」とか「滅茶苦茶可愛い女の子がいるんスよ!」とか、そういう理由で決めたに違いない。
意外な新情報に驚きつつも、そうなると気になることがあった。
「じゃあ、誰が来てるんだ?」
陶芸室に置かれている鞄は、俺の物を抜くと四つある。
てっきり冬雪、テツ、早乙女、望ちゃんの四人分かと思ったが、テツが来ていないとなると余っている鞄は一体誰の物だというのか。
夢野の鞄だとしたら去年の誕生日に俺がプレゼントしたプラ板の手作りトランちゃんキーホルダーが付いている筈だし、火水木の鞄は複数のネズミーグッズがトレードマークであるため、この鞄が二人の物ではないことは一目でわかる。
色々と考えを巡らせていると、冬雪は俺のよく知る名前を静かに答えた。
「……ミナ」
「阿久津が?」
本来なら今日は予備校であり、昨日誘った時は遠慮しておくと断られたが、やはり考えが変わって気分転換にやってきたのだろうか。
それなら話を聞くには丁度良いかもしれない。
「!」
勝手口のガラス越しに外を見れば、阿久津の後ろ姿はすぐに見つかった。
隣には早乙女も一緒であり、二人してアメと戯れているようだ。
「……待っ――――」
後になって考えてみると、俺の行動は少しばかり軽率だった。
アメを見つめる後ろ姿を目の当たりにして、普段通りだと錯覚したのもある。
冬雪が電話するほどの緊急事態。
そんなことも忘れ、制止を促す声よりも早く勝手口を開けてしまった。
「ん? 何だ?」
僅かに遅く冬雪の方へ振り返り尋ねるが、答えは返されない。
不思議に思いつつ、再び阿久津達へと向き直る。
外にいた二人は俺の声に気付き、視線をこちらに向けていた。
「………………………………え…………?」
そこにいたのは、紛れもなく阿久津水無月だ。
容姿端麗。成績優秀。文武両道。
そんな四字熟語が似合いそうな幼馴染の筈だった。
――――――その目から、大粒の涙が頬を伝っていたことを除けば。
「っ!」
一瞬の出来事だった。
少女は素早く立ち上がると、俺の横を走り抜ける。
「阿久津先輩っ!」
望ちゃんが呼びかけても、足を止めることはない。
慌てて振り返った時には既に、阿久津は鞄を手にして陶芸室から飛び出していた。
「………………阿久津……?」
「何をボサッとしてるんでぃすかっ!」
「っ?」
何一つとして状況が理解できない中、背後にいた後輩が声を荒げる。
その大声に驚いたアメが逃げ去っていくのも気に留めず、早乙女は言葉を続けた。
「早く追いかけてくださいっ!」
「追いかけるって……どういうことだよっ?」
「いいからっ! 根暗先輩じゃなきゃ駄目なんでぃすっ!」
「駄目って何が…………? 早乙女……?」
「根暗先輩じゃなきゃ…………駄目なんでぃす…………」
早乙女は俯きつつ、絞るような声で答える。
その両手はギュッと握りしめられており、身体は小さく震えていた。
「……ヨネ。お願い」
「………………くそっ!」
意味がわからない。
だけど自分が何をすべきなのか、それだけはわかっていた。
俺は阿久津の後を追って陶芸室を飛び出す。
芸術棟から出た時には既に、少女の姿は見当たらなかった。
とりあえず一目散に校門を目指して全力疾走する。
「はぁ……はぁ……」
…………いない。
阿久津くらい髪が長い女子生徒なんて早々いないため、一目見れば充分に判別はつく。
校門を出てから駅の方向を見るが、それらしい後ろ姿は見当たらなかった。
いくらアイツの足が速くても、流石にこの短時間で横道に入ることは不可能だろう。
「っ」
仮に後ろ姿が見えたなら、自転車で簡単に追いつくことができた。
逆に見失ったとなると、これ以上に厄介なことはない。
ひとまず屋代の敷地内に戻ると、手当たり次第に探し始める。
真っ先に向かったのは、アイツの行きそうなFハウスだ。
「はぁ……はぁ…………ふー」
昇降口で下駄箱を確認するが、校舎の中に戻っている様子はない。
休む間もなく外に出ると、近くで絵を描いていた美術部員に声を掛ける。
「あの……すいません。物凄く髪の長い女子……見かけませんでしたか?」
「え? いえ、見てないですけど」
「そうですか……ありがとうございます」
校門でもFハウスでもないとなると、一体どこに行ったのか。
屋代は広い。
このまま当てずっぽうで探したところで、見つけることは到底不可能だ。
身体の次は頭を働かせて、阿久津が取りそうな行動を考える。
「…………」
これが漫画の主人公だったなら、アイツの居場所を見事当ててみせるに違いない。
それで「どうしたんだよ?」なんて声をかけつつ、恰好良く登場したんだろう。
ただ、現実はそう上手くいかないものだ。
阿久津が行きそうな場所に、心当たりなんて一切ない。
かれこれ十八年近く一緒にいる幼馴染のことを、俺は何も知らなかった。
………………どうする。
……………………どうすればいい。
「!」
自問自答を繰り返す中で、不意に思い浮かんだ一つの方法。
………………今ならまだ間に合うか?
…………いや、もうこれしかない。
迷っている暇はなく、行動に移すべく走り始める。
多分アイツは忘れていたんだろう。
昔の俺の得意としていた遊びが、かくれんぼだったということを。
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