二十九日目(火) 前進と後退だった件

 今年を締め括る期末テストが終わると、二学期も残り十日を切る。

 中間テストの頃は息抜きにゲームや漫画へ走ることもあったが、今は一週間後に控えている最後の模試に備えて決して気を緩めることはなく、勉強の毎日は続いていた。

 そしてようやく努力の片鱗が見え始める。


「!」


 まずは約一ヶ月前に受けた、手応えの悪くなかった模試の結果。月見野大学の判定欄に書かれていたのは、初めての合格可能性50%。ボーダーラインであるC判定だった。

 合計得点は前回から丁度20点増えた622点。長らく停滞が続いていたが、ようやくできた前進に胸を撫で下ろす。

 目標である700点や最低ラインの630点には未だに届いておらず、まだまだ安心できるような結果ではないものの、漆黒だった闇の中から希望の光を見出した感じだ。


「!!」


 更には昨日今日と返却され始めた期末テストの結果も良く、小さくガッツポーズする。

 一年の頃には一般人レベルだった成績も、二年の途中からは上がり始めていき4.0前後を取れるレベルにまで成長。三年の一学期はピッタリ4.0だった。

 阿久津やアキトのような成績優秀者の壁は厚く難しいと思っていたが、今学期は中間テストも全体的に高得点を取ったため、もしかしたら夢の評定4.3を狙えるかもしれない。


「風……吹いている……圧倒的……ってやつだな」

「正しくは『風……なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに』ですな。米倉氏のそれだと、何だか逆境無類なギャンブラーのナレーションっぽいお」

「風! 吹いている! 確実に! 着実に! 圧倒的追い風! …………何だかこの言い方だと、これから向かい風が吹く展開になりそうで嫌だな」

「ざわ……ざわ……」

「おいやめろ」


 雨垂れ石を穿つと言うし、海外でもローマは一日にして成らずなんて諺がある。

 努力をしても報われないと考える人は多いが、決してそんなことはない。

 大切なのは結果が出るまで続けることができるかどうか。そして例え表面に出ていなくても、積み上げた努力は別の形で気付かぬ内に役立っているということだ。

 残念ながら不合格だった阿久津も、推薦入試のためにした勉強の知識は決して無駄ではなく、将来きっと何かの役に立つ……そう考えるべきだろう。


「とりあえず順調そうで何よりですが、体調と怪我には充分に注意すべきでござる。去年の店長が丁度この時期にやらかしてた希ガス」

「ん? インフルにでも掛かったのか?」

「体育のバスケでジャンプボールを飛んだ結果、右手の中指にヒビですな」

「マジかよ。大丈夫だったのか?」

「受かったので結果オーライかと。最初は全治二週間だったのが、二週間後に病院行ったらもう二週間後に来てとの診断からの、もう二週間後に行ったら今度は三週間後とか言われて結局受験当日もヒビ入ったまま受けててウケたお」

「凄いな。流石は店長」

「どちらかと言うと、凄いのは二ヶ月近く経ってもくっつかなかった店長の指の骨かと」

「確かに……っと、じゃあまた後でな」

「オッスオッス」


 モールにてアキトと分かれた後で、物理演習の授業に向かう。

 教室に入ると、既に俺の席の後ろには阿久津がいた。

 しかしながらその光景は、普段とは少し異なるものだった。


「…………」


 いつもなら参考書を読んでいる幼馴染の少女は、珍しく机に突っ伏している。

 手首を枕代わりにして、完全に顔を隠すような体勢。

 中学時代は勿論のこと、去年一緒だった数Bでも、そしてこの物理演習の時間でも、授業前とはいえ阿久津がこんな風に休んでいることは一度もなかった。


「よう」


 そんな初めて見る姿を横目に、鞄を置きつつ声を掛けてみる。

 経験豊富な俺から言わせてもらえば、この姿勢で熟睡するのは意外と至難な技。予想通りウトウト程度だったようで、少女はもぞりと動き始めてからゆっくりと顔を上げた。


「…………やあ」

「随分と疲れてるみた…………っ?」


 思わず口を閉ざす。

 阿久津の顔を目の当たりにした俺は、目を丸くしつつ尋ねた。


「お…………おいおい、大丈夫か?」

「…………何がだい?」

「いや、何がって……顔色、悪いぞ?」

「ああ…………少し色々あって、昨日あまり眠れていなくてね」


 疲れている。

 はっきりと一目でそうわかるレベルだった。


「…………まあ、これくらい問題ないよ」


 開いていない目元を擦りながら、少女は欠伸交じりに答える。

 例え阿久津本人が問題ないと言っても、普段の姿を見ていれば大問題だ。

 だからと言って、どうすることもできない。

 寝不足と原因がわかっているなら、今は少しでも休ませるべきだろう。


「そうか。あんまり無理するなよ?」

「…………わかっているさ」


 血色の悪い幼馴染の少女が呟くように答えたところで、授業開始のチャイムが鳴り響く。

 前を向き筆箱や教科書を用意していると、先生がやってきてテストの返却が始まった。


「…………」


 阿久津は昨日、サテラーに来ていない。

 毎週月曜日は必ず顔を見せていたため、珍しい欠席だとは思っていた。

 やはり公募推薦での不合格が響いているんだろうか。

 いやいや、単に女の子の日という可能性もある。


「えー、斜方投射はX軸方向とY軸方向に分解する訳だが、この問題の場合は――――」


 先生の解説が始まるが、恐らくその内容は阿久津の頭に入っていないだろう。

 まあいざとなったら、俺が全部解説できるくらいに理解しておけば問題ない。

 そう考えつつ、いつも以上に丁寧にノートを写していく。

 少しして自分が解けていた問題の説明が始まると、余裕のできた俺は先生が黒板に書いている隙を見て後ろをチラリと確認した。


「…………」


 とりあえずは大丈夫そうか。

 阿久津は動きこそスローだが、眠っているようなことはない。

 それを見て一安心……とはいかなかった。


「!?」


 悪意はない。

 本当に偶然だった。

 少女の答案に書かれていた、赤字の点数が視界に映る。


『37』


 俺よりも低い得点。

 それどころか、平均にすら届いていなかった。

 逆向きから見た数値ではあったが、73点の見間違いではない。

 一体何があったのか。

 色々と考えてしまい集中できないまま、気付けば授業終了のチャイムが鳴り響く。

 先生が去った後で、俺は平静を装いつつ振り返った。


「なあ阿久津。明日辺り、久々に陶芸部にでも行かないか?」

「…………すまないね。予備校もあるし遠慮しておくよ」

「そうか……そうだよな」


 気分転換にと思って誘ってみたものの、あっさり断られる。

 相変わらず青白い顔をしている阿久津は、ゆっくり立ち上がると黙って去っていった。

 俺はその後ろ姿を、黙って眺めることしかできなかった。




 ★★★




 ――コンコン――


「はいは~い」

「邪魔するぞ」

「どったのお兄ちゃん?」

「なあ梅。最近阿久津のことで何か聞いたりしてないか?」

「はえ? 何かって?」

「何でもいい。アイツ、ちょっと元気なさそうだったからさ」

「う~ん。最近はミナちゃん受験で忙しそうだから、梅も連絡取ってないし」

「そうか」

「そもそも梅に聞くより、お兄ちゃんの方がミナちゃんのこと知ってると思うよ? せっかく頑張って入ったのに、全然会えないんだもん!」

「それが屋代だ。わかった、邪魔したな」

「あ! そんなに気になるなら、梅が聞いておいてあげよっか?」

「いや、まずは俺から聞いてみる。それで駄目だった時は頼めるか?」

「了解!」

「サンキュー。じゃあな」

「梅梅~」

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