十五日目(火) 新生陶芸部が平常運転だった件

 チラリと裏黒板を見れば、一体誰が書き始めたのか『センター試験まで残り46日』というカウントダウンが。そしてその下には『卒業まで残り106日』とも書いてある。

 最早消化試合でしかない期末テストまで残り一週間が近づいてきたところで、再び煮詰まり始めていた俺は放課後を迎えるなり、後ろ姿が座敷童子のような少女へ声を掛けた。


「なあ冬雪。今日も部室に行くのか?」

「……(コクリ)」

「そうか。じゃあ俺も気分転換がてら、久し振りに顔を出すかな」


 夢野からメールで聞いた情報によれば、合格が決まってから冬雪はOGとして時折陶芸部に顔を出している様子。やはり元部長だけあって気になるのかと思いきや、単に今までは売ってばかりだったため家に持ち帰る陶器を作りたいらしい。

 俺もやりたいところではあるが、成形をしてしまうと別日に削りをしなければならず、更には釉薬掛けと色々時間を割かなければならないのが陶芸というもの。受験生の気分転換としては少しばかり厳しそうだ。


「そういえ如月の結果って、もう出たのか?」

「……今日」

「どうだったんだ?」

「……合格したって」

「本当かっ? 良かったな!」

「……ヨネのお陰。ありがとう」

「いやいや、何でだよ? 別に俺は何もしてないし」

「……ジュース買って応援してくれた」

「あー、そういやそうだったな」

「……きっとあれでルーもリラックスできた」

「そうか? まあ受かったなら何よりだ」

「……(コクリ)」


 ここ最近は自分のことで一杯一杯だったため、桜桃ジュースを奢った件なんてすっかり忘れていた。

 あれ一本で効果があったとは思えないが、如月と同じ大学に行くことができて嬉しそうな冬雪の社交辞令に俺も気分を良くしつつ、鼻歌交じりに昇降口を抜ける。

 一緒に中庭を歩く懐かしい感覚に浸りながら芸術棟へ向かうと、引退して以来かれこれ三ヶ月振りになる陶芸室のドアを開けた。


「リバリバリバース――――って、誰かと思ったらネック先輩じゃないッスか! リバッス……じゃねえや! ちわッス! お久ッス!」


 真っ先に反応したのはガッチリした体格をしている、後輩の中で唯一の男子。入部当時の坊主頭だった名残は一切なくなり茶色の地毛が一層目立つようになった鉄透(くろがねとおる)は、相変わらず部活を盛り上げているようだ。

 その向かいには見慣れた二人の少女が座っているが、デコ出しツインテールの新生陶芸部部長、早乙女星華(さおとめせいか)は、相変わらず気の強そうなツリ目で何も言わず俺を見る。


「お久し振りです米倉先輩。冬雪先輩もお疲れ様です」


 丁寧な挨拶と共に礼儀正しくお団子ハーフアップの頭を下げたのは、まだ一年生であり夢野の妹でもある望(のぞみ)ちゃん。色々と濃い先輩二人に比べると、今の陶芸部には間違いなく欠かすことのできない清涼剤だろう。

 こうして集まっていたフルメンバーの三人は、今日も今日とて平常運転。陶芸部にも拘わらず陶芸をやっていることはなく、ウノで遊んでいる最中だった。


「相変わらずだな。期末まで二週間を切ってるけど大丈夫なのか?」

「はい。明日からは勉強しようって、丁度さっき話してたところです」

「それなら何よりだ。一年とか二年のうちから積み重ねておかないと、後で苦労するぞ」

「ネック先輩が言うと説得力あるッスね。せっかく来たなら一勝負どうッスか?」

「いや、遠慮しておく」

「「「…………」」」

「何で三人揃って鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするんだよっ?」


 チラリと隣を見れば、冬雪までもが意外だと言わんばかりの様子。陶芸部メンバーが俺を遊び担当という目で見ていたことが実によくわかる。

 仮に参加したら一勝負どころで終わらず、一時間も二時間も一緒に遊んでしまうだろう。一応息抜きで来たとはいえ、流石に受験生がそれはどうかという話だ。


「伊東先生は?」

「多分準備室じゃないッスか? おっ? ウノォ!」

「そうか」


 三ヶ月経っても変わらない部室の空気に安堵しつつ、鞄を置いた後で勝手口から外へ出ると窯場に向かう。これといって用事がある訳でもなく、部活をやっていた頃を懐かしみながらボーっと見て回るだけだ。

 …………陶芸、やりたいな。

 活動していた頃は絶対に思わなかった欲求が、今になって強くなってくる。


「ん? 何してるんだ?」


 静かな窯場から出ると、アスファルトに屈みこんでいる冬雪の姿が。どうしたのかと声をかけてみれば、少女はくるりとこちらを振り向きつつ静かに答えた。


「……アメと遊んでた」

「コイツも相変わらずだな」


 小さな身体の陰に隠れていたのは神出鬼没な茶色の野良猫。陶芸部メンバーは特に餌付け等をしていないが、どこか他の誰かが手懐けているのか未だにこの辺りを根城にしているらしい。

 細長い葉っぱを振って興味を引こうとしていた冬雪の隣に座りこむと、威風堂々と寝転がり日向ぼっこ中のアメを見て思わず口元が緩む。


「よう。元気か?」

「…………」

「お前は毎日が楽しそうで羨ましいな」

「……きっとアメはアメで大変」

「そうか? そうは見えないけどな」


 大きく欠伸をするアメをよそに、くるりと振り向き勝手口の方を見る。

 椅子を並べて皆で花火を見た、あの日の夜がどれだけ幸せだったことか。楽しかった時間というものは、いつだって終わった後になってから気付くのは何故なんだろう。

 逆にこの受験の辛い日々は、何度振り返ったところで絶対に戻りたいとは思わないだろう……と言いたいが、時間が経てば案外考えも変わったりするのかもしれない。


「部活動って言うよりは同好会って感じだったな」

「……何が?」

「陶芸部だよ。大学のサークルとかって、こんな雰囲気なのかなーって思ってさ」

「……わからない」

「だよな。冬雪は大学で何のサークルに入るか、もう決めたりしてるのか?」

「……考え中。ヨネは?」

「俺はサークル以前に、大学に行けるかどうかだからな」

「……応援する」

「サンキュー……って、どうしたんだ?」

「……肩、凝ってないかと思って」


 おもむろに立ち上がるなり、俺の背後に立つと肩を揉み始める冬雪。実は最近になって高校受験の時同様に肩の凝りを感じ始めていたため、このマッサージは物凄く助かる。


「……痛くない?」

「全然。寧ろメッチャ気持ちいい」

「……ヨネの肩、カチカチ」

「それなりに頑張ってるからな」

「……言ってくれれば、いつでもやる」

「ありがとうな」


 その気持ちはありがたいが、仮に教室で頼んだら間違いなく男子連中に殺されそうだ。ただでさえ部室にいるテツが見たら、羨ましいとか騒ぎ出しそうだしな。


「……そういえば、ヨネの作品が残ってた」

「マジですか?」

「……マジ」

「釉薬掛けるのも面倒だし、来年の売り物に使うよう言っておいてくれ」

「……(コクリ)」


 詳しく話を聞いたところ、どうやら陶芸室の棚に放置したままだった俺の作品がいくつか残っていたらしい。そういえば初めて窯の番をした焼成は大量に発掘された先輩達の作品が多かったが、今ならその気持ちも分かる気がする。


「……ヨネ、何かあった?」

「ん? どうしてだ?」

「……気分転換したいって」

「ああ。単に勉強がしんどかっただけだよ。でも冬雪のお陰で元気になりそうだ」

「……本当?」

「ああ。辛い時は溜まってるものを思いっきり吐き出すに限るからな」

「……」

「さてと、これくらいで充分だ。リフレッシュできたし、そろそろ帰るわ」

「……私も帰る」

「ん? 陶芸しに来たんじゃないのか?」

「……明日からテスト勉強するって言ってたから、邪魔したくない」

「そうか。まあ冬も近づいてきて、水も冷たくなってきたもんな」


 滞在時間にして三十分程度だったが、まあこれくらいが丁度いいだろう。

 一向に日向から動く気配のないアメを放置し、俺達が陶芸室へ戻ると騒々しい声が響き渡った。


「おっしゃ! 仕掛けるぜい!」

「そうはいかないでぃす!」

「私も持ってますよ」

「かーらーのー、更にドロツーっ!」

「甘いでぃすね!」

「ドロフォーです」

「ぐわああああああああああ……なーんつって! 食らえメッチ!」

「キイイイイイイイイイイイイイイイイ!」

「えっと……2、4、6、8、10、14の……合計18枚ですね」

「なーっはっは! メッチ甘過ぎっしょ……っと、あれ? 先輩方、もう帰るんスか?」

「ああ。受験生だからな」

「……今日は止めておく」

「そうですか。またいつでも来てくださいね」

「お疲れ様でぃす」

「テツも早乙女も望ちゃんも、期末頑張れよ」

「うッス!」


 陶芸部の扉を閉めてから数秒後、またテツが挑発でもしたのか早乙女の発狂した声が廊下まで聞こえてきた。もしかしたら少し前までは、俺達の声がこんな感じで漏れてたのかもしれない。


「これだけ楽しそうな声がするなら、来年は新入部員が沢山来るかもな」

「……それはそれで心配」

「何でだ?」

「……ここは陶芸部」

「確かに」


 変わらない後輩達に不安と安心が混ざっている、そんな元部長の答えに思わず苦笑いを浮かべる。

 芸術棟を出てから少し歩き、駐輪場と校門の分岐点で冬雪とはお別れ。気分転換に付き合ってくれた少女へ礼を言おうとしたところで、冬雪が先に口を開いた。


「……ヨネ」

「ん?」

「………………」

「どうしたんだよ?」

「……やっぱり、なんでもない」

「何だそりゃ? それじゃあ、またな」

「……(コクリ)」


 冬雪が一体何を言いかけたのか。

 俺がその意味を知るのは、もう少し先の話になる。

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