四日目(金) 俺がバルカン半島だった件
「………………なあ夢野。何か悩みでもあるのか?」
ジョギングコースの折り返しに来た辺りで、隣を歩いている少女へ尋ねる。
周囲の景色を眺めながら、のんびり歩いていた少女は不思議そうに首を傾げた。
「え? どうして?」
「わざわざ待っててくれたみたいだし、こうやって寄り道するなんて初めてだからさ。困ってることがあるなら解決できる自信はないけど、話くらい聞くぞ?」
「うーん。まあ悩みって言えば悩みなのかな」
「?」
「ちょっと休憩しよっか」
曖昧な返事をした夢野は、丁度近くにあったベンチに腰を下ろす。
いまいち話が見えてこない俺は、言われるがまま少女の隣に座った。
「米倉君、最近どう?」
「どうって言われても……これといって何もないし普通だな」
「本当に?」
少女の可愛らしい目が、ジーっとこちらを見つめてくる。
そんな風に見られると何か悪いことでもしたような錯覚を起こし、改めて自分の近況について振り返ってみた。
「そうだな…………強いて言えば、受験勉強がちょっとしんどいくらいか」
「ちょっと?」
「ああ」
「本当にちょっとだけ?」
夢野の瞳が、俺の心を覗き込む。
そう感じるくらいに、目の前にいる少女は真っ直ぐにこちらを見ていた。
「まあ受験なんだから辛いのは仕方ないし、これくらいで音を上げたら駄目だろ」
「ふーん。そっか…………無理しなくてもいいのに」
「いやいや、別に無理とかしてないっての」
俺の答えを聞いた夢野は、軽く息を吐きつつ答えた後で視線を前に戻す。
そしてゆっくり息を吸うと、帰り始めている子供達を眺めながら静かに口を開いた。
「…………私ってそんなに頼りないかな?」
「え? 突然どうしたんだよ?」
「だって米倉君、辛い時は本当のことを隠してばっかりだから」
「そうか?」
「大晦日の夜も、水無ちゃんと喧嘩してた時も、理由を話してくれなかったでしょ? 弱い面を隠そうとする気持ちはわかるけど、私は正直に教えて欲しかったな」
夢野の細い人差し指が、そっと俺の唇に触れる。
少しして指先をスライドさせた少女は、頬をツンっと突っついてきた。
「一昨日、梅ちゃんと喧嘩したでしょ?」
「!」
「望経由で聞いたよ? 毎日イライラしてるーって」
…………成程。情報源はあの馬鹿か。
相変わらず無駄に速いバスケ部ネットワークの情報伝達速度に溜息を一つ。まさかとは思うが、試験を明日に控えている阿久津にまで愚痴ってたりしないだろうな。
「アイツと喧嘩なんて、よくあることだぞ?」
「それなら火水木君に対して声を荒げるのも、よくあることなの?」
「!!」
「今の米倉君はバルカン半島だって、ミズキも言ってたよ」
バルカン半島……通称、ヨーロッパの火薬庫。
要するに爆発寸前の状態と言いたいらしいが、また随分と知的な表現をされたものだ。
「去年の文化祭の時に屋上で、米倉君が私に対して何て言ったか覚えてる?」
「…………?」
「あんまり一人で抱え込んで無理するなよって。私もお母さんが倒れて入院した時には無茶してたけど、それが間違いだって教えてくれたのは米倉君だよ?」
「………………確かに。でも受験は自分との戦いだからな」
「最終的にはそうかもしれないし、米倉君の悩みを私が聞いたところで解決できる自信はないけど、困ってることがあるなら話くらい聞くよ?」
先程俺が夢野に尋ねた台詞を、そのままオウム返しされた。
その言葉がどういう気持ちで発せられたのかは、俺自身がよく知っている。
解決云々は関係なしに溜め込むよりも話した方がスッキリするというのは、他ならぬ火水木に教えてもらったこと……だった筈なんだが、夢野に対して提案しておきながら自分は知らず知らずのうちにまた一人で抱え込んでしまっていたらしい。
「できれば米倉君から遠慮なく相談されるようになりたいけど……私じゃ駄目かな?」
「…………隠してるつもりはなかったし、無理してるつもりもなかったんだけどな。まあ確かに勉強ばっかりの毎日で、かなりストレスが溜まってたのは事実だ」
「溜まってたって過去形にしてるけど、今はもう溜まってないの?」
「お陰様でいい気分転換ができたからさ」
「現実逃避じゃなくて? 家に帰ったら元通りになったりしない?」
「その可能性は……無いとは言えないな」
「うん。正直でよろしい」
久々に夢野と一緒に帰っていたことで、イライラは頭の中から消えていた。
ただこれは一時的に忘れているだけに過ぎないのも事実だ。
「米倉君、今何か欲しい物ある?」
「時間と学力」
「うーん。それはちょっと無理かも……」
「だよな」
「もっと私があげられそうな物で何かない?」
「夢野が? そうだな………………じゃあ、癒しとか?」
「癒し?」
「いや、やっぱり何でもない」
「うーん、ちょっと待ってね」
反射的に口から出てきてしまった言葉に対し、夢野は真面目に考え始める。
そして少しした後で、ニッコリと微笑んで見せた少女は手袋を外しつつ立ちあがった。
「ねえ米倉君。ちょっと目を瞑ってみて」
「ん? 何だよ突然」
「いいからいいから。目を瞑ったら、全身から力を抜くの」
唐突にそんなことを言い出した夢野の笑顔に負けて、俺は言われるがまま目を閉じる。
そしてゆっくりと息を吐きながら脱力していると、柔らかい掌が両肩に触れた。
「はーい。もっと力を抜いてくださーい。ぶらぶらー」
視界を閉ざしたことで改めて綺麗な声だと感じる中、夢野は俺の上半身を軽く前後に揺さぶってくる。まるで催眠術にでも掛けるような動きだと思っていると、肩に触れている手に少々力が込められた後で少女との距離が近づく気配がした。
「よいしょっと……あー。もう、目は開けちゃ駄目だってば」
「あ、悪い」
こっそり薄目で状況を確認したものの、どうやら気付かれてしまったらしい。
夢野は俺の脚を挟むようにして膝立ちの姿勢になっており、向き合う形でベンチに座っていた。普段は見下ろしている少女から、逆に見下ろされるのは不思議な感覚だ。
お互いの太腿同士がピッタリ密着していることに対しドキドキしていると、少女がペタンと腰を下ろし女の子座りしたことで更なる柔らかさに包まれる。
「重くないかな?」
「全然」
「良かった。はい、じゃあ改めて力を抜いてー」
視線が同じ高さになるなり夢野はクスッと笑うと、再び身体を揺さぶり始めた。
お互いの距離は30センチ程度しかない。
身を乗り出せば届きそうな少女の唇を意識してしまい、俺は今更ながら目を瞑る。
すると夢野は肩を支えていた片手を後頭部へと移してから、自分の方へと引き寄せた。
「!」
脱力していた俺は容易に引っ張られ前傾姿勢になり、少女の胸元へ飛び込む形になる。
ふんわりと香る良い匂い。
ブラウス、ブレザー、そしてコートという三段防御によって平面に近くなっている双丘へ顔を埋める中、夢野は俺の頭を撫でながら優しく囁きかけてきた。
「何も考えちゃ駄目。もっと力を抜いて?」
多分これは、男として物凄く恰好悪い気がする。
子供達は帰ったものの、人目だって全くないわけじゃない。
そんなことを色々と考えてしまったが、今は全て忘れることにした。
「よしよし」
透き通るような優しい声に甘える。
バブみを感じると言うのは、こういうことなんだろうか。
まるで赤子をあやすかの如く、夢野は抱きしめたまま背中をトントンする。
頭を撫でてもらうのと合わせて非常に心地良く、俺は為すがままに身体を委ねた。
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