一日目(火) 俺の仲間達の近況だった件

 未だかつてなく盛り上がった文化祭や、陶芸部の引退から約二ヶ月が過ぎた十一月中旬。秋が終わり冬の始まりを告げるかの如く、気温が急激に下がり始めてくる。

 あの夏の楽しさは夢だったと感じずにはいられないくらいに、この二ヶ月間は嫌というほど現実を見せられてきた。

 受験生の現実……要するに、毎日の勉強地獄である。


「――――では人名を言うので、書いた本をオナシャス。ホメロスは?」

「『イリアス』と『オデュッセイア』だろ?」

「ヘシオドスは?」

「えっと……ヘシオドスは……あれだ! 『神統記』だ!」


 受験前最後の大きな行事と言っても過言ではない体育祭は、文化祭に比べると盛り上がりも少ないまま何事もなく無事に終了。体育委員が大縄跳びの朝練を呼び掛けていたが、参加率は半分程度であり成果もいまいちだった。

 まあ文化祭と違い体育祭は個人の能力差が激しいし、下手に無茶をして受験に支障をきたすような怪我をする訳にもいかないため当然と言えば当然だろう。

 それ以外のイベントと言えば、せいぜい卒アルの写真撮影があったくらい。九月も十月も放課後を迎えた後は、己との戦いを繰り返すだけだった。


「次はソクラテスについて詳細キボンヌ」

「お! そこはバッチリだぞ! まずソクラテスの思想だけど『アレテー』もとい徳を積むことが大事でな。単に生きるんじゃなくて『善く生きる』っていう『福徳一致』の考えだった訳だ。それで善く生きるためには『知行合一』と『知徳合一』……まあざっと言うと何をするにも知識が必要だろって感じだな」

「オタク特有の早口キタコレ」

「後はソクラテスって言ったらやっぱり『無知の知』だな。自分が無知であることを自覚して謙虚であるべきだってのを、相手にも『問答法』で自覚させたんだよ。要するにアレだ。アキトは何でも知ってるなってやつだな」

「何でもは知らないお。知ってることだけでござる」

「次にソクラテスの弟子のプラトンだけど、コイツは理想、つまり『イデア論』を語って、その理想を追い求める欲求が『エロース』だろ? 書いてる本は『哲人政治』で――――」


 以前は雑談やチキチキ大会をやっていた昼休みも、今は受験生らしく口頭試問大会に。もっとも最近は俺がアキトに頼んで問題を出してもらってばかりだったりする。

 社会系科目といえば日本史や世界史のイメージだが、その記憶量はあまりにも膨大過ぎるため理系が使うのは政治経済や現代社会が定番。そして俺が選んだのは、三年になってから授業が始まった倫理だった。


「今度は一問一答でいくお。児童期と成人期の間にあって、そのいずれにも属さないために精神的に不安定な状態におかれている青年のことを何というか?」

「ああ、『マージナルマン』だろ?」

「児童期と成人期のはざまの中で、そのいずれにも属しえない青年が、心理的に不安定な状態に陥りやすいと指摘したドイツの心理学者は誰か?」

「えっと、ちょっと待ってくれ。マージナルマンって、言ったのって誰だったっけな……」

「5、4、3、2、1――」

「『マーガレット・ミード』か?」

「残念。正解は『レヴィン』ですな」

「あー、そぅだ。アメリカがマーガレット・ミードで、ドイツはレヴィンだったっけ」

「ちなみにマーガレットの花言葉は『恋占い』ですが、花弁の枚数は大体が奇数なので最終的に好きで終わる可能性が高かったりするお」

「へー……って、やめろ! 今の俺に余計な雑学を植え付けるんじゃない!」

「フヒヒ、サーセン」


 アキトに渡していた問題集を回収して、答えられなかった問題を確認しておく。

 政経や現社に比べると倫理は心理学的な内容が多めで覚えやすかったため受験科目に選択したものの、学校の授業進度があまりにも遅すぎるため大半は完全に参考書頼りの独学だ。


「さてと」

「おや? もう行くので?」

「いや、栄養補給だ」

「さいですか」


 口頭試問が一段落ついた後で、ぐるりと教室内を見渡す。この時期の高校三年生はまさに十人十色であり、クラスメイトの近況もまたそれぞれ異なっていた。

 既にAO入試等で受験が終わった奴もいれば、公募推薦で結果待ちの奴もいる。それぞれ普段通りに振舞っているものの、その本質は時折見え隠れしている気がしないでもない。

 本番がまだまだ先の俺は、財布を片手に教室を出てから昇降口横にある自動販売機へ。お馴染みの桜桃ジュースを購入していると、女子トイレから二人の少女が出てきた。


「お?」

「……ヨネ、元気?」

「ボチボチだ。元気がないように見えたか?」

「……最近、あんまり話してない気がした」

「言われてみればそうかもな」


 芯の無い声で話しかけてきたのは、眠そうな眼とボブカットがトレードマークの陶芸部元部長。同じクラスにも拘わらず、部活が終わってからは接する機会がめっきり減った気がする冬雪音穏ふゆきねおんは、既にAO入試で芸術系大学の美術学部に合格が決定している。


「……ヨネもルーを応援してあげて」

「ん? もしかして試験が近いのか?」

「……日曜日」

「おおっ! 頑張れよ!」

「(コクコク)」


 黙って首を縦に振ったのは無口コンビの相方。女子の中では一番小柄でありながらボリュームある胸を隠し持っている、目を隠すような前髪と編み込んだ後ろ髪が特徴的な隠れ博多少女、如月閏きさらぎうるうだ。

 普段の様子を見ている限り、本番では間違いなく緊張しそうな女子ランキング一位……というか既に今の時点で緊張しているように見えなくもない如月を見て、俺は自動販売機へ小銭を追加すると新たな桜桃ジュースを購入する。


「餞別だ。これでも飲んで少しリラックスした方が良いぞ」

「(フルフル)」

「遠慮すんなって。お返しは俺の受験の時でいいからさ」

「…………」

「それとも、もしかしてこういうジュースとか駄目だったか?」

「(フルフル)」

「それなら、ほら」

「………………ぁ、ありが……とぅ……」

「どういたしまして。この時期の試験ってことは推薦だよな」

「(コクコク)」

「だよな。やっぱり如月も冬雪と同じで、芸術系の大学だったりするのか?」

「(コクコク)」

「……私と同じ大学」

「マジでか!」

「……マジ」


 如月が冬雪と一緒の大学へ行くことを意識したのかは不明だが、何となく自分と同じような境遇であることに共感を覚える。

 個人的には無口少女にとって大きな壁となる面接があるのか気になるところだが、余計な質問をしてプレッシャーを与えるのも悪いため今は黙っておいた。


「ん? でも同じ大学なのに、AO入試は受けなかったのか?」

「……工芸学科はあったけど、美術学科はなかった」

「へー。俺と似たような感じだな。如月、頑張れよ!」

「(コクコク)」

「……ヨネも頑張って。ファイト」

「ああ。サンキュー」


 両手をギュッと握りしめてガッツポーズをする冬雪だが、相変わらず一挙手一投足が無駄に可愛らしい。元気を与える一方で癒しを貰いつつ、二人と一緒に教室へ戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る