四十一日目(日) 今日で陶芸部も引退だった件

 人生のピークとはいつだろうか。

 仮に人が八十年生きるとすると、睡眠に二十七年。食事に十年。トイレには五年の時間を費やしており、これらを差し引くと残りはたったの三十八年しかないという。

 俺はまだ、そのうちの二割程度しか人生を歩んでいない。

 それでも今日の出来事は、間違いなくピークと呼んでもおかしくない経験だった。

 坂を上った先に頂上はある。

 今回の坂が緩やかだったのか急だったのかはわからない。

 これから先の人生において、より大きな坂を上ることだってあるだろう。

 しかし例え新たなピークを迎えることがあっても、俺は高校三年の文化祭という記憶を決して忘れはしはない。十年経っても、二十年経っても……何年経っても。




「…………終わっちゃったね」

「………………そうだな」


 花火が終わり静かになると、ボーっと夜空を見上げていた夢野がポツリと口を開く。

 しかしながらそれは同時に、もう一つの終わりも示していた。


「さて……名残惜しいけれど、そろそろお開きにしようか」

「あーあ、もう引退かー。陶芸部として過ごすのも今日で終わりだと思うと寂しくなるわね。アタシは途中からだったけど、それでも本当に色々あって最高の部活だったわ」

「ふふ。その色々を主に担当してたのはミズキでしょ? でも前にここで四人で花火を見た時から、もう一年経ったなんて本当に嘘みたいだね」

「確かに、あっという間だったな」

「……でも、楽しかった」


 楽しい時間というのは、どうしてこうも短く感じるんだろう。

 何事にも始まりがあれば終わりもある。そんな当たり前のことはわかっているのに、いざ引退という言葉を聞くと後ろ髪を引かれる思いだ。


 やたら苦労した菊練り。

 釉薬に携帯を落とした結果、ターンタターンという謎の暴走。

 初めての窯番では地獄の勉強会や、カップ焼きそばにおける初歩的なミス。

 毎日のようにトランプやウノで遊び、黒板を使って色々なゲームで遊んだりもした。

 ハロウィンやクリスマスのパーティーだって忘れない。

 百人一首大会もあったし、テレビゲームで白熱したこともある。


 本当に色々な事があった。

 花火を眺めながら、仲間と共に語り合った思い出の数々を振り返る。

 沢山の青春が詰まっている陶芸室とも、今日でお別れだ。


「じゃあ先輩方! 最後ってことで、順番にありがたいお言葉をお願いするッス!」

「ありがたい言葉って、また唐突だな」

「いいじゃない! 締めは当然ユッキーで、その前はツッキー! あ、入部した順番の逆にすれば丁度ユメノン、アタシ、ネック、ツッキー、ユッキーって感じになるわね」

「ボクはそれで構わないよ」

「……(コクリ)」

「じゃあ最初は私? ありがたい言葉かー……うーん……」


 腕を組み首を傾げながら悩んだ夢野は、少ししてからゆっくり立ち上がる。

 そしてコホンと軽く咳払いをした後で、後輩達に向けて語り始めた。


「私は音楽部と兼部だったから陶芸部として活動する機会は少なかったけど、陶芸って人生で中々できないことだと思うの。せっかくの貴重な経験だから、いっぱい楽しんで! 後は望が勉強とかで悩んでるときに、先輩として色々教えてくれたら嬉しいな♪」

「了解でぃす! 星華に任せてください!」

「数学ならオレが手取り足取り教えるッスよ!」

『パチパチパチパチ』

「流石は蕾君だね」

「……(コクリ)」


 模範的な贈る言葉を聞いて、俺達は揃って拍手をする。

 夢野が腰を下ろすと、既に話す内容を考えていたらしい少女が意気揚々と立ち上がった。


「次はアタシの番ね!」

「火水木。ボリュームボリューム」

「アタシから言いたい事は一つだけ! とにかく楽しむことよ! 人生でたった一度きりしかない高校生活なんだから、何もしなかったら勿体ないでしょ? ましてやこんな自由な部活に入ったなら、青春しなきゃ絶対に損! 行動あるのみよ!」

「うッス!」

「夢野と同じように聞こえて正反対だったな」

「でも音楽部でも遊ぶ時はあったから、たまには陶芸以外を楽しむのも良いと思うよ」

「……程々になら」


 まあ火水木の言うことは合っていると思う。仮に陶芸部に入っていなかったら、一人で毎日ゲームしてばかりという中身の薄い高校生活を送っていたに違いない。

 二人が素晴らしいメッセージを残す中で俺の番がやってくるが、こうして後輩に言葉を贈るなんて経験が今まで一度もなかったため、何を言っていいのか悩んでしまう。


「んー………………あ、もしも窯の番が必要になったら遠慮なく呼んでくれ」

「…………」

「………………」

「え? ネック先輩、さっきはあんなに恰好良かったのに、まさかそれで終わりッスか?」

「後は………………望ちゃん。コイツにセクハラされた時は遠慮なく呼んでくれ」

「はい!」

「ちょっ? そりゃないッスよ!」

「本当、アタシもそれだけが心配なのよねー」


 夢野や火水木に比べると深みのないシンプルなメッセージだったが、結構ウケていたため良しとしよう。どっちかっていうと、こういう方が俺らしい気もするしな。

 次はいよいよ副部長である阿久津の番。凛々しく立ち上がった幼馴染の少女は、改めて後輩三人を見た後でゆっくりと口を開いた。


「星華君はバスケ部時代から含めて三年半、鉄君は一年半、そして望君は半年と短い間だったけれど、一緒に活動できて楽しかったよ。まずはお礼を言っておきたいかな。陶芸部に入ってくれて、本当にありがとう」

「…………」

「三人だと少し寂しく感じたり大変なこともあったりするだろうけれど、ボクと音穏の二人だった時もあるからね。それにもしかしたら新しい部員が入ってくるかもしれない。これからの陶芸部がどうなるのか、来年の文化祭を楽しみにしているよ」

「はい。頑張ります」

「いやー、流石はツッキー先ぱ…………って、メッチ泣いてるしっ?」

「五月蠅い……泣いてなんて……ません……」


 尊敬する先輩の言葉に感動したのか、はたまた別れが寂しいのか。唐突に目を潤ませ始めた早乙女に対し、阿久津はポケットからハンカチを取り出すと目元を拭う。


「星華君。後は宜しく頼むよ」

「…………ふぁい……」


 阿久津が頭を撫でながら優しく声を掛けると、早乙女は首を縦に振りつつ答える。もしかしたらバスケ部時代にも、こんなやりとりがあったのかもしれない。

 陶芸部を支え続けた副部長としての言葉と、二人のやり取りに拍手喝采。感動的なシーンを見せられた後で、最後を飾る冬雪が静かに立ち上がった。


「……センセイを困らせないように」

「…………」

「………………」

「……私からは、それだけ」

「……………………え? それだけッスか?」

「……(コクリ)」

「エエエェェェェェェエエエ!?」


 どうやら冬雪もこの手の類には慣れていないらしい。阿久津が良い話をしただけに、拍子抜けなメッセージを聞いてテツがオーバーなリアクションを見せる。

 …………が、そんな口下手な少女に対してパチパチと一人の拍手が贈られた。


「流石は冬雪クンですねえ。先生、感動しちゃいました」

「って、イトセンっ? いつからそこにいたのよっ?」

「皆さんが一人ずつありがたい言葉を言い始めた辺りです。青春ですねえ」


 後方にある勝手口から様子を見ていたらしい伊東先生が、俺達の元に歩み寄ってくる。白衣のポケットにデジカメを入れていたように見えたけど…………気のせいか?


「じゃあラストはイトセン先生から、先輩達に向けて熱いメッセージをお願いするッス!」

「熱いメッセージですか……そうですねえ。先生も君達と過ごした毎日に楽しませてもらいました。まあ時には困ったこともありましたが、これからもあまり羽目は外しすぎないでほしいところです。特に火水木クンと米倉クンは気をつけてくださいねえ」

「アタシは大丈夫だから安心して頂戴!」

「はは……気をつけます」

「さて…………君達は今日をもって陶芸部を引退ということですが、まだ屋代学園の生徒であることに変わりありません。校舎内で会うことだってあるかもしれませんし、今は便利な時代ですから携帯で連絡を取ることもできるでしょう」


 白衣を着ている糸目の顧問は、一人一人をじっくりと見ながら言葉を紡ぐ。


 冬雪を。


 阿久津を。


 俺を。


 火水木を。


 夢野を。


 優しく微笑みかけるようにして見つめた後で、伊東先生は話を続けた。


「そしてこれから先は受験勉強に追われる毎日ですが、受験もまた青春です。時に勉強に疲れた時には、いつでも遊びに来てください。勿論、受験が終わった後でも大歓迎ですよ」

「……(コクリ)」

「受験に限らず、人生と言うのは自分自身との戦いであって山あり谷ありです。楽しいことが沢山あるなら、悲しいことだって沢山あります。もしも辛くなったときには、この陶芸部のことを思い出してください。例えその場に自分しかいなくても、皆さんの心の中には仲間達との素晴らしい日々が残っている筈ですよ……と、こんなところでしょうかねえ」

『パチパチパチパチパチパチパチパチ』


 流石は先生。締めるところはしっかりと締める言葉に、陶芸部全員で拍手を贈った。

 確かに伊東先生の言う通り、これは終わりであり始まりでもある。

 特に夏休みに文化祭へ力を入れていた俺は、勉強の遅れを取り戻さなくてはならない。


「イトセン先生、あざっした! それじゃあ先輩達の合格を祈って、ビシッと一本締めで終わりにしましょう! いくッスよー? お手を拝借、よーおっ!」




『『パンッ!』パパパンッ! パパパンッ! パパパンッ! パンッ!』




「…………あれ?」

「ちょっ? バラバラじゃないの!」


 叩かれた拍子は二種類。それぞれ叩いた人数も丁度半々くらいで見事なまでにバラバラだったため、各々が困惑しつつも顔を見合わせて笑いあう。


「えっと、一本締めって一回じゃないんですか?」

「一回だけ叩くのは一丁締めだった気がするよ。一本締めは三・三・三・一の方で、一本締めを三回繰り返すものが三本締めだからね」

「流石は阿久津クン。その通りですねえ」

「……知らなかった」

「それじゃあ改めまして、先輩達の合格を祈って一丁締めッス! いくッスよー?」

「ちょっと待て。一丁締めって一回の方で良いんだよな?」

「うッス!」


 最後までグダグダではあったが、本当に最高の部活だった。

 八人の生徒と一人の顧問の手が、テツの掛け声に合わせて重なる。


「お手を拝借、よーおっ!」




『パンッ!』




「ありがとうございましたーっ!」


 夜空の下で鳴り響いた掌の音と共に、俺達三年は陶芸部を引退した。

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