三十日目(日) ゆびきりげんまんの約束だった件
「停電だね」
「珍しいな」
四階から聞こえていた吹奏楽部の演奏も止まる。
静かになった夜の学校で、俺達は黙って窓の外で光っている雨雲を眺め続けた。
「停電って、ちょっとワクワクするよな」
「そうかい?」
「うおっ? 今の稲光、見たかっ?」
「確かに凄かったけれど、まるで花火でも見ているかのようなはしゃぎっぷりだね」
「花火は花火で綺麗だけど、稲光も割と綺麗だと思うんだよな」
所謂人工的に作った芸術と、自然が作り上げた芸術との違いと言ったところか。ただし後者は害があるため、素直に綺麗と喜ぶのもどうかという話ではあるけど。
「…………花火大会の時は、何かと迷惑を掛けてすまなかったね」
「迷惑って、何がだ?」
「絡まれていたところを助けてもらったり、足のことを気遣ってもらったり」
「そんなの別に気にしてないっての」
「それに何よりも本来はキミと蕾君の二人で一緒に行く予定だったところを、急遽ボクも参加させてもらった形だったからね」
「ああ。確かに最初は驚いたけど、あれも元はと言えば夢野から誘ってただろ? 別に阿久津が卑屈になる必要はないし……阿久津が卑屈って何か語呂良いな」
「確かに、ボクらしくなかったかな。そう言ってもらえると助かるよ。ボク自身、過程はどうあれ三人で花火大会に行けて良かったと思っているからね」
「そうそう。楽しかったならそれでいいんじゃないか? 最高の気分転換だったし、思い出にもなったし、いいこと尽くしで言うことなしだろ」
「櫻もボクみたいに、蕾君から誘われたのかい?」
「まあそんなところだけど、今回はお互いにって感じだったかな」
「お互いに……ね……」
本当は本格的に受験が忙しくなる前に、自分の気持ちをはっきり伝えるつもりだった。
一緒に祭りに行くことで、答えを出す筈だった。
夢野のことが好きなのか。
それとも阿久津のことを忘れられないのか。
しかしながら三人で楽しんだ結果、未だに解答は得られず宙ぶらりんである。
「月見野のオープンキャンパスには行ったかい?」
「ん? ああ、勿論だ。一応志望校だからな」
一時は阿久津を誘おうかと考えていたものの、例えキャンパスが同じだろうと違う学部。どうせまた一蹴されるだけだろうと思い、結局一人で行って来た。
これから目指す大学に足を運ぶことで入学したいという意志が強くなったかと言えば、実際はそんなこともなく10へぇ~程度。こんな感じなのかと見て回り体験授業を受けたくらいで、これといった感激はあまりなかった気がする。
行ってみて一番わかったことと言えば、オープンキャンパスは祭りに似ているということ。友達と行けば面白いのかもしれないが、一人で行っても楽しさは半減だった。
「阿久津も行ってきたんだろ?」
「いや、今年は行かなかったよ」
「え? 何でだよ?」
「ボクは二年の時に一度行っていたし、それに…………」
「それに?」
「その……できることなら、キミと一緒に行きたかったからね」
「…………へ?」
予想だにしない言葉を聞いて、思わず耳を疑う。
雷が激しく鳴っていたが、決して聞き間違いではない。
口を開けたまま呆然とする中、阿久津は淡々と言葉を続けた。
「オープンキャンパスは、十二日からの三日間だっただろう? だから一緒に行けないかと思って、十四日が空いているか確認するために電話をしたんだよ」
「え……いや、ちょっと待ってくれ。一緒にって、誰と誰が?」
「ボクとキミだけど、何をそんなに驚いているんだい?」
「いやいや、だってお前……何で……?」
「同じ志望校なら、別に何もおかしくないじゃないか」
「おかしいだろ! 去年の文化祭の時みたいに元気づけるためとかならまだしも、お前が俺を理由もなく誘うとかどういう風の吹き回しだよ?」
相変わらず停電は続いており、阿久津の表情は見えにくい。
俺の問いかけに対し、幼馴染の少女は少し間を置いた後でゆっくりと深呼吸をした。
「どういう風の吹き回し……か。確かに、そう思われても仕方がないかな」
「?」
「………………正直に言うよ櫻。前にも話したことがあるけれど、ボクはキミと一緒にいる時間が楽しいんだ。そして今は、キミと時間を共有したいと思っている」
「…………え?」
「キミといると落ち着くんだ。馬鹿みたいな話をしたり、くだらないことで言い合いをしたり……気を張らないで何も考えずに話すことができる。だから楽しいんだよ」
「阿久津……」
「今日こうして残っているのだって、キミが心配だったからだけじゃない。純粋にボクがキミと話をしたくて……そして何よりも、一緒にいたかったからだよ」
「っ」
俺の手を温かく柔らかい感触が包む。
それが阿久津の掌であることは、薄暗い中でもはっきりとわかった。
「これが蕾君と同じ気持ちなのか、正直ボクにはわからない。単に今のボクが心の拠り所を求めているだけかもしれない……だけどキミに一つだけ、伝えておくべきことがあるんだ」
「伝えておくこと?」
「ボクは……ボクは、キミと一緒の大学に行きたい!」
「!」
「だから合格してほしい…………いや、一緒に合格して月見野へ行こう!」
阿久津がギュッと俺の手を握る。
表情は見えなくとも、声を聞けば真剣であることは充分に伝わってきた。
「そう約束……してくれないかい?」
「……………………約束……か」
ピークは過ぎたのか、次第に雨音が弱くなっていく。
雷は未だに光っているが、その距離も少しずつ遠のいているようだった。
「…………知ってるか阿久津? かの初代アメリカ合衆国大統領、ジョージ・ワシントンはこう言ったそうだ。出来もしないことを引き受けるな。約束を守ることには細心であれってな」
「ボクはキミが月見野に合格することを、出来もしないことだなんて思っていないよ」
「全く、簡単に言ってくれるよな。こっちはこれでも結構苦労してるんだぞ?」
「知っているさ。キミのことはしっかり見ているからね」
「…………ここで約束して合格したら、俺も少しは恰好良くなれたりしてな」
「どうだろうね。ただそう感じるかもしれない人が一人、少なくともここにいるよ」
「俺のやる気スイッチをONにするには、打ってつけの一言だな」
今までの俺だったら安請け合いしていたが、今回ばかりは話が違う。
阿久津からの約束。
頼りがいなんて皆無だった俺に、阿久津が期待している。
合格できる保証なんてない。
しかしながら答えが「全力を尽くす」では、恰好もつかないだろう。
「…………そういうことなら阿久津、お前も約束だ」
「ボクに?」
「俺が受かってお前が落ちたら話にならないだろ?」
「そういう軽口を叩くのは、ボクより上の判定を取ってからにしてくれないかい?」
少女がそっと手を離すと、狙ったようなタイミングでパッと電気が点く。
目の前にいたのは、普段と変わらず不敵な笑みを浮かべている幼馴染だった。
「確かにキミの言う通りだね。ちゃんとコレで約束をしておこう」
「ん?」
「忘れたのかい? 昔からボク達の約束と言ったらコレだったじゃないか」
「随分と懐かしいな」
阿久津が俺に小指を見せると、俺もまた小指を出す。
二つの小さな指が絡み合うと、俺達は声を重ねた。
「「ゆーびきーりげーんまーん、うそついたらはりせんぼんのーます♪ ゆびきった!」」
こんなことをしたのは何年振りだろうか。
思わず口元が緩む中、小指を離した阿久津もまた小さく微笑んだ。
「一緒にオープンキャンパスに行けなかった件は、これでチャラにしておくよ」
「いやいや、ちょっと待て。何かナチュラルに俺が悪いみたいなことになってるけど、オープンキャンパスに行きたかったならそう言ってくれれば良かっただろ?」
「元はと言えば夏期講習の時に、キミが話しかけてこなかったからじゃないか」
「何で俺が話しかけること前提なんだよ? それに電話の時だって十四日が駄目だったなら、十三日とか十二日とか他の日に行けば良かっただろ?」
「それは……その、オープンキャンパスに行った後で花火を見に行けないかと考えていたからと……蕾君が浴衣とか唐突に言い出すから混乱して…………そ、そもそもキミがボクを誘ってくれないのが悪いんじゃないか!」
「なっ? 俺だってお前を誘おうって、何度も考えてたんだぞっ? ただどうせ誘ったところでいつもみたいに受け流されると思ったから、それで――――」
さっきまでの雰囲気はどこへやら…………結局その後はいつもの調子で、雷が完全に過ぎ去るまで俺達のくだらない口喧嘩は続いた。阿久津の言い分に怯むこともあったが、今回はそれなりに善戦したと思う。
暫くして雨が止んだ頃には普段通り。すっかり帰りが遅くなった阿久津が親への連絡を終えて鞄を担ぐと、俺が芸術棟の出入口まで見送った。
「それじゃあ、後は宜しく頼むよ」
「ああ。気を付けてな」
「………………………………櫻」
「ん?」
「約束だよ」
「…………ああ、約束だ」
俺の返答を聞くなり、阿久津は小さく微笑む。
幼馴染の少女が去ってから、何も知らない後輩が起きてくるまでの数時間。未だかつてないやる気に満ち溢れていた俺は、黙々と問題集を解いていくのだった。
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