三十日目(日) 俺と阿久津の散歩だった件

「少し散歩でもしないかい?」


 俺の話が一区切りついたところで、不意に阿久津がそんな提案をする。

 時計を見れば、次に窯の温度を確認しに行く時間までは約十分。それが終われば帰宅する予定だった幼馴染からの提案に、思わず首を傾げつつ答えた。


「散歩って、どこに行くんだよ? あんまり時間ないだろ?」

「屋代をぐるっと一周するだけさ」

「ああ。それくらいなら丁度いいかもな」


 ゆっくり腰を上げて勝手口から外へ出た阿久津の後に続くと、窯場の横を通り過ぎて屋代の敷地内を散歩し始める。太陽が沈みきったことで暑さも収まり、歩いているだけで汗が出るようなこともない良心的な気温だ。

 夏だけあって寝る前はまだ多少なり明るいと思っていたが、僅か数十分経っただけであっという間に暗くなっており、空を見上げてみれば生憎と雲が多く月も星も見えなかった。


「もしかしたら、まだ梅君がいるかもしれないね」

「だな。アイツ、この夏は毎日のようにクタクタになって帰って来てたし、合宿とかも大変だったみたいだぞ。倒れた子もいたってさ」

「その話ならボクも聞いたよ。顧問の先生は優しいけれど、コーチが昔ながらの根性論タイプで色々と苦労をさせられているみたいだね。確か今は大会の最中じゃなかったかな」


 数ある体育館の前を通り過ぎていく中、バスケのドリブル音が聞こえてくる。未だにネットワークは繋がっているらしく、阿久津も梅の近況はそこそこ把握しているようだ。

 三年が引退して抜けた今、我が妹は努力の甲斐もあり一年にしてベンチ入りできた三人の中の一人に入ったとか何とか。一年なのに二年に遠慮なく物言えるのは梅だけだと、仲間達からも変な意味で頼りにされているらしい。


「そういや阿久津は、何で高校でバスケを続けなかったんだ?」

「中学時代で既に満身創痍だったから、高校でついていける自信はなかったかな。そもそもボクは梅君と違って、そこまでバスケが大好きだった訳じゃないからね」

「そうなのか? でも小学生の頃からずっとミニバスやってただろ?」

「元々はキミと一緒にやるつもりで入ったんだよ」

「え?」

「それが蓋を開けてみればキミはゲームクラブ。確かにあの頃はカードゲームにもハマっていたようだけれど、まさかそっちに行くとは予想外だったね」


 俺は小学生の頃、阿久津や梅と同じバスケ漫画を読んでいた。

 当時の俺が何を考えていたか今となっては知る由もないが、阿久津がミニバスを始めたきっかけの一つに自分が入っていたことを聞かされ正直驚きを隠せない。


「中学の時もキミが部活動見学期間にバスケ部を見ていたのを偶然見かけたから、ひょっとしたらとは思っていたかな。まあその頃はまだ、純粋にバスケが楽しかったからね」


 確かに当時、バスケ部の見学には行った。

 しかしながら入るつもりなんてこれっぽっちもない、単なる友人の付き添い程度だ。

 ポカーンとする俺をよそに、隣を歩く幼馴染の少女は淡々と語り続ける。


「バスケ部は本当に色々と大変だったけれど、入って良かったと思っているよ。最初は高校でも続けようか悩んで、友達と一緒に見学にも行ったくらいだったからね」


 梅の様子を見ていれば、高校の運動部がいかに大変なのかは伝わってくる。まあバスケットというスポーツ自体が狭いコートの中を四十分に渡って走り回るため、他のスポーツに比べても特別ハードなのかもしれない。


「ただ屋代には珍しい部活動も色々あるし、せっかくだからバスケ以外のことをやってみようと思ったんだ。ラクロス部に新体操部、それに華道部や邦楽部と、色々見学に行ったよ」




・新体操部 → レオタード。

・華道部や邦楽部 → 着物。




「…………ありだな」

「ん? 何がだい?」

「い、いや、何でもない。それで、どうして陶芸部に決めたんだ?」

「どうしてかと言われたら、自由で気楽だったからかな。自習スペースとしても使えそうで、部員も少ないから派閥とかもなくて先輩達も平和そうだったし」

「あー、そういうの女子は大変みたいだもんな」

「それに何よりも、体験の時に音穏と出会ったのが大きかったね。一緒に見学に回っていた友達は新体操部に決めていたから、新入部員がボク一人だったら考え直していたかもしれないよ」

「ほー」


 そんな話をしているうちにFハウスからBハウスまで順にぐるりと回り終え、何事もないままAハウス横にある駐輪場も通過。元いた芸術棟付近の駐車場にまで戻ってくる。

 道中で部活終わりと思わしき生徒を何人か見掛けたが、他の部活動が撤収を始める時間になっても毎年のように金賞を取っているご自慢の吹奏楽部だけは未だに練習中。遠くから知っている曲の演奏が聞こえてくると、反射的に口笛を吹いてしまった。


「夜の口笛は好ましくないね」

「蛇が出るんだったか? 何でそう言われるようになったんだろうな」

「理由は諸説あるけれど、昔は笛の音は神聖なものだったから夜に吹くと魑魅魍魎を呼び寄せると恐れられていたそうだよ。現代では単に夜に騒がせないための言い聞かせかな」

「よく知ってるな」

「中学の頃に総合学習で迷信について調べていたからね」

「何でそんなの調べたんだ?」

「迷信だって捨てたものじゃないさ。いつぞやの心理テストよりは信頼できるかな」

「そうなのか? どっちもどっちって感じがするけど」

「例えばツバメが低く飛ぶと雨が降ると言われているけれど、あれは湿度が高くなることで餌である虫の羽が重くなって高く飛べなくなるという、ちゃんとした理由があるんだよ」

「へー。そうだったのか」


 お婆ちゃんの知恵袋ならぬ、阿久津の知恵袋といったところか。少なくともネットで情報を探すと言いつつ、パソコン室で遊んでばっかりだった俺よりは数倍マシだろう。

 小学生の頃の自由研究もそうだったけど、総合学習も何について調べるかでやたらと困った覚えがある。自分の興味があることを自由に調べなさいって唐突に言われたところで、何一つ情報がないまま広大なフィールドに放り出されたRPGの主人公ばりに何をしていいか困るんだよな。


「ニャーン」

「お?」


 駐車場を歩いていると、俺の口笛に反応したのか野良猫の泣き声がする。

 周囲をキョロキョロと見回してみると、陶芸室に時々顔を見せる茶色の野良猫が茂みに隠れていた。


「やっぱアメだったか」

「一体どこから入って来ているんだろうね」

「ニャーン」


 相変わらず神出鬼没なアメは、呼んでもいないのにこちらへやってくる。

 そのまま俺達の前を横切ってどこか遠くへ去っていくのかと思いきや、何故か俺の目の前でゴロリと横になりマイペースに顔を洗い始めた。


「そういや迷信に猫が顔を洗うと雨が降るってのも聞いたことがあるけど、あれって実際のところどうなんだ? アルカスがやってるのを見て、傘を持っていくとかあるのか?」

「…………いいや、あまり見ることはないよ」

「そうか。まあそうだよな」


 後になって自分で調べてみたところ、その行為自体も湿気があるとヒゲの張りがなくなり狩りの成功率が下がるから嫌うなんて、一応ちゃんとした理由があったらしい。そうなると外で飼っているならともかく、室内飼いのアルカスなら関係性は低そうだ。

 しかし幼馴染である少女の口から、その知識が語られることはない。

 アメの前に屈みこんだ俺が何気なく発した質問に対して、普段なら何かと得意気に話しそうな阿久津だが、今日はポツリと呟くだけ。その様子に何となく違和感を覚え振り返る。


「どうしたんだ?」

「何でもないよ。最近はあまりアルカスと遊んでいなくてね」

「あー、成程な」


 恐らくそれだけ予備校が忙しいということなんだろう。もしかしたら今日みたいに予備校がない日は、本来なら阿久津にとってアルカスと遊ぶことのできる数少ない時間だったのかもしれない。


「悪いな。せっかくの貴重な遊ぶ時間を、俺の窯番なんかに付き合わせちゃって」

「いいや。ボクもいつまでもアルカスと遊んでばかりいられないからね」

「それもそうか。俺も負けていられないな」

「その通りだよ。仮眠を取って眠気は消えたし、散歩して気分転換も充分できただろう? 鉄君が起きてくるまでの残り時間は、しっかりと勉強に集中してもらわないとね」

「おう。任せておけ」

「その台詞は模試で良い判定を取ってから口にしてもらいたいよ」

「うぐ……」


 まるで見透かされているかの如く、胸に刺さる一言を口にする阿久津。恐らくコイツはA判定とかB判定とか、充分に合格が狙えるだけの成績を取っているんだろう。

 現実逃避するようにアメと戯れていると、自由奔放な野良猫は少ししてムクッと起き上がるなり「じゃあの」とばかりに悠然とした態度で去っていく。そんな後ろ姿を見送った俺達は、屋代の敷地内を一周して陶芸室へ戻ってくると窯場へと向かうのだった。

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