三十日目(日) タンジェントの正しい使い方だった件
「お?」
四往復目に入ろうとしたところで、タイミング良く窯入れを終えた冬雪、阿久津、早乙女、テツの四人が窯場から陶芸室へと戻ってくる。
今年はちゃんと仮眠を取ると豪語していた後輩は、不自然に減っている椅子とそれを持って行こうとしていた俺を見るなり不思議そうに尋ねてきた。
「ネック先輩、何してるんスか?」
「文化祭で使わせてもらうから、C―3に運んでるんだよ」
「運んでるって、そこにあった椅子全部持って行ったんスか?」
「ああ。後はこっちに残ってるのを持って行く感じだ」
「それならそうと言ってくれれば良かったじゃないッスか! 手伝うッス!」
「気持ちだけで充分だよ。もう残りはこれだけだし、お前は夜に備えて寝ておけって」
「……私も運ぶ」
「ん、サンキューな」
残っている椅子は八脚。冬雪に四脚を持たせるのは流石に気が引けるため二脚だけ持ってもらい、俺は伊東先生の姿が見えないのをいいことに最初に挑戦した六脚持ちをする。
椅子だらけの間抜けな姿を早乙女と阿久津に見られながら、冬雪と共にC―3へ移動開始。重さ的には辛くないが、角ばった部分が腕の筋肉や骨に食い込み地味に痛い。
「ブッフォ! フルアーマー米倉氏キタコレ!」
四脚ずつ運んでいいた時は普通だったアキトが、六脚持っている俺の姿を見るなり盛大に噴き出す。やっぱりこれ、見た目的にはかなり恰好悪いよな。
ようやく全ての椅子を運び終えたところで、回転ドアも無事に完成したため男軍団は滑り台のテストへ。持ってきた椅子を階段状に組み上げてから強く縛ってしっかり固定し、一番高い段へ立て掛けるようにして教壇を斜めに設置する。
「これ、角度的にはどれくらいなんだろうな? 45度あるか?」
「ちょいまち」
そう言うなりアキトは滑り台の縦と横の寸法を測った後で、スマホを片手に弄りながら教室の後方に固められている机地帯へと向かう。
そして埋もれていた自分の席に腕を伸ばすと、引き出しの中から数学の教科書を取り出し最後のページを開いた。
「多分、大体25度くらいな希ガス」
「何でわかるんだ?」
「高さを長さで割った値が約0.46だったので、タンジェントで調べたお」
思っていたより小さい角度を答えた親友は、教科書の巻末に付いていた三角関数表を見せつつ答える。タンジェントの値はX分のYであり、0.4663は25度だった。
数学は得意ではあるものの、正直に言って三角比なんて習ったところで使う機会はないだろと思っていただけに、感心のあまり変な声が出る。
「ほあー。お前って本当に頭良いな。成程、こういう時に使うのか。普通に脱帽だわ」
「フヒヒ、サーセン」
出来上がった滑り台の安全性を確認するために、生贄として但馬と太田黒を何度か滑らせてみたが問題ない様子。摩擦の関係で若干滑りは悪いものの、あくまでも演出であってスリルは求めていないしこれくらいで充分なのかもしれない。
三つのドア、滑り台、トンネル、回転ドアと大きな工程が続々と終わり始める中、休む間もなく次の作業へ移ろうとしたところで冬雪がポツリと呟いた。
「……ルー」
「えっ? おおっ! 如月っ! 来てくれたのかっ!」
音もなく開かれていたドアの方を振り返ってみれば、そこには待ちに待っていた編み込みの目隠れ少女が。一ヶ月振りに会えた如月を見て、思わず大きく声を上げてしまった。
まるで遅刻して授業中に教室へ入ってきた時の如く、クラスメイトからの視線が一斉に集まると、美術少女は教室に足を踏み入れることなくオドオドする。
「美術部の方は大丈夫なのか?」
「(コクコク)」
「それなら早速頼みたいことがあるんだけど……って、今日いきなりはキツイよな」
「(フルフル)」
「良いのか?」
「(コクコク)」
「ありがとうな。じゃあ早速これに…………あー、どうすっかな」
最初に作り上げた壁を引っ張り出そうとした途中で、思わず手を止めた。
教室内は既に他の作業で飽和状態。如月が絵を描く壁を置くだけのスペースがない。
「――――でぃぃ」
「ん?」
「…………」
小さな声で囁いた如月はハウスとハウスを繋ぐ広い渡り廊下、モールを黙って指さす。クーラーがついていて涼しい教室と違い、モールは言うまでもなく灼熱だ。
「え? でも…………いいのか?」
「(コクコク)」
「…………悪い。冬雪、ちょっと手伝ってくれ」
他に何か良い案が浮かばず、俺は美術少女の厚意に甘えてモールへと壁を運ぶ。
如月に絵を描いてほしい壁は全部で十枚あったが、夏休み終了まで残り一週間ということを考えると流石にそれは頼み辛い。実際のところ今進行中の壁作りが終わった後は、海の絵のように簡単なものに関しては他の女子達に頼むつもりだった。
「スタートするとドアが三つあって、開ける度に自分が小さくなっていく感じにしたいんだ。これが最初の左右の壁だから、普通の大きさの絵を描いてくれ。それで次の二枚は少し大きくした絵、その次の二枚には物凄く大きい絵を描いてもらえないか?」
「その……具体的には何ば描けば……?」
「うーん、雰囲気が伝われば別に何でも大丈夫なんだけどな」
「……カフェテーブルとか、薬の入ったビンとか、鍵とか」
「それだ!」
原作である不思議な国の記憶があまりなく困っていた俺に、冬雪のナイスサポートが入る。更にその勢いは留まる事を知らず、次から次へとポンポン出てきた。
描く物が指定されたことで、如月も何となくイメージができたらしい。全体的にどんな構図にするか決めたのか、美術少女はシャーペンで薄く描き始めていく。
「せっかく来てくれたのに、教室で作業させられなくて本当にゴメンな」
「よか」
風通しの悪いモールは下手したら外以上に気温が高く感じられるが、いきなり無茶な注文を引き受けてくれた如月も暑さに弱い冬雪も文句一つ言うことはなかった。
画力0な俺に協力できることは一切なく、手にしていたルーズリーフ入りのクリアファイルで扇ぐのみ。それぞれ陶芸部と美術部で活動してきた後であるため他の女子と違いクラスTシャツを着ておらず、疲れも溜まっているであろう二人を見守ることしかできない。
「…………そうだ! 何か飲み物とか買ってくるか?」
「(フルフル)」
「……ヨネは戻ってて大丈夫」
「いや、流石にそれは悪いだろ」
「……ヨネがいないと、クラスの皆が困る」
「そんなことないっての。アキトがいるから大丈――――」
「米倉氏ぃーっ! 少々確認したいことがあるのでオナシャス!」
そう言いかけた傍から教室のドアが開くなり、親友に大声で呼ばれる。
改めて汗水を流して頑張っている二人の方を見ると、冬雪が静かに口を開いた。
「……こっちは任せて」
「わかった。何かあったら、いつでも遠慮なく聞いてくれ」
「(コクコク)」
冬雪と如月に礼を言うと、俺は再び教室へ戻る。そして未だに滑り台で遊んでいた但馬と太田黒に溜息を吐きつつ、ラストスパートを掛けていた壁作りに加わった。
「これが最後?」
「だな」
冬雪が持ってきてくれた布や各教室のカーテンによって大きく削減されたものの、それでも寸法にして縦2m、横200m以上にまで及んだ壁作り作業…………。
その最後の一枚が、今ここにようやく完成した。
「「「終わったーっ!」」」
長期間に渡って取り組んでいた女子達が、喜びのあまり歓声を上げてハイタッチを交わし始める。そしてその祝福は、驚いたことに俺の元にまでやってきた。
「お疲れ様ー」
「あ、ああ」
ハイタッチを求められ、反射的に手を挙げて応じる。渡辺やアキトにもパチンと手が重ねられる中、遊んでいた但馬や太田黒が挙げた掌は華麗にスルーされていた。
「よねくら君。後は何が残ってるのー?」
「大きい物としてはペシャ猫作りと、壁の絵くらいだな。さっき如月に何枚か頼んできたけど、やっぱり一人じゃ大変そうだから海とかの簡単な絵は描いておこうと思うんだ。もし良かったら、誰か絵を描くのを手伝ってくれないか?」
「あんまり上手くなくてもいいなら……」
「私もいいよ」
「助かった! それじゃあ残ったメンバーは青玉作りと、ペシャ猫作りを分担してくれ。残り少しだから、頑張っていこう!」
「「「おー」」」
アキトにはダイオードの調整やオカマ衣装の手配を頼み、渡辺にはピコハンに風船にペンライトといった小道具の買い物へと行ってもらう。
手の空いた女子からは余った紙とダンボールを使って良いか尋ねられたが、話を聞いてみればトランプ兵を作ろうというナイスアイデア。迷わずGOサインを出しておいた。
更には合間合間で、如月と冬雪の様子も確認しに行くことも忘れない。
「おおっ? 凄えっ!」
「こげん感じでよか?」
「ああ! バッチリだ!」
問題なく完成した一枚目の壁を教室へ運び、仲間達にもお披露目する。流石は美術部だけあって、これなら入ってきた客が圧倒されること間違いなしだろう。
そのまま二枚目の壁の絵を描き終わったところで、日が沈み始めたため今日の作業は終了。如月から今後は来られそうという吉報を聞きつつ、次回の準備日を決めた。
「お前、本当に櫻か?」
「はあ?」
「さては偽物だなコノヤロー」
「いや知らねーよ」
別れ際に但馬と太田黒から意味不明な冗談を言われたが、疲れていたので適当にあしらいつつ解散。仲間達が昇降口に向かう一方で、俺は窯の番が待っている。
「……ヨネ、大丈夫?」
「ああ。テツもいるし、ちゃんとやるから心配すんなって。冬雪も窯入れと文化祭準備で疲れてるだろ? 今日はゆっくり休んでくれ」
「……ありがとう」
陶芸室へ行こうとしたところで声を掛けてくれた少女に、空元気を出してガッツポーズを見せる……が、その姿が見えなくなると一気に身体が重くなった。
夏期講習に釉薬掛けに文化祭準備と続けば、流石に肉体的にも精神的にも疲労困憊。それでも窯の番は代役が利かないため、気力を振り絞って部室へと向かう。
最早ドアを開けることすらしんどい中、力の入らない腕でゆっくりとスライドさせた。
「やあ」
クーラーの冷気が残っている陶芸室から、俺を出迎えるような声がする。
そこにいたのは少女が一人……参考書を読んでいる阿久津だった。
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