三十日目(日) 最後の釉薬掛けが織部だった件
夏休み終了まで残り一週間。今日も朝から夏期講習があり、昼からは陶芸室で素焼きが終わった作品に釉薬掛け。既に仲間達は作業を終えており、俺がラストだったようだ。
合宿を含めて今まで作り上げてきた皿や湯呑、茶碗に御猪口と、一つ一つへ様々な色の釉薬を丁寧に掛けていく。冬雪みたいに壺や急須を作るだけの技術は最後まで身に付かなかったが、不器用だった俺にしては本当に成長したと思う。
そして締めを飾るのは、六月中に挑戦して無事に完成させた大皿。集大成とも言える展示用の作品には、何色にするか悩んだ末に一番好きだった織部にした。
「ふぃー、終わったー」
「無事にできたのかい?」
「ああ。待たせて悪かったな」
最後の釉薬掛けが終わったところで、普段通り髪を下ろした姿に戻っている阿久津から声を掛けられる。俺が釉薬を掛けていた傍らでは、既に窯入れが始まっていた。
来年以降が困らないように冬雪と阿久津の指導の元、テツと早乙女の二人が同じ高さの作品を揃えながら並べていき、新たな支柱を立てると棚板を乗せていく。そこは違うだのここはこうだのと相変わらず口論の絶えない二人だが、そんなやり取りですらもう聞けなくなると思うと少し寂しいもんだ。
「思ったより時間が掛かったな……急がないと」
「何か用事でもあるんでぃすか?」
「クラスの文化祭準備ッスよね?」
「ああ。じゃあ悪いけど、後は頼んだ」
今年は橘先輩が来る気配もなく、窯の番は俺とテツの二人。本来なら仮眠を取るところだが、言い出しっぺである俺が文化祭準備を休む訳にはいかない。
だからといってテツ一人に深夜帯を任せて大丈夫なのか不安なのも事実。どうしたものかと悩んでいたが、その問題について先に言及してきたのは後輩の方からだった。
『ネック先輩! 今年の窯番、夜はオレに任せてぐっすり眠ってください!』
『大丈夫なのか?』
『今回はちゃんと仮眠取りますし、三十分毎に目覚ましも鳴らすんで絶対大丈夫ッス!』
『やけに気合入ってるな』
『合宿の時にミズキ先輩から言われたんスよ。ネック先輩は受験生なんだから、生活リズムを崩さないようにしっかりフォローしなさいって』
てっきり俺と夢野を二人にさせるための口実かと思いきや、ちゃんとした用事もあったらしい。本当に縁の下の力持ちというか、細かいところまで気が回るよなアイツ。
俺がテツに風呂場で話していた「引退後は宜しく頼む」的なこともしっかり伝えていた火水木には、ちゃんとメールで礼を告げつつ大福的アイスを奢る約束をしておいた。どうやら今年も文化祭でバンドをやるらしく、向こうも向こうで中々に忙しそうだ。
「じゃあこことそこの椅子を持って行きますね」
「はい。どうぞ持って行ってください」
窯場から陶芸室へと戻った俺は、クーラーで涼んでまったりしていた伊東先生に確認を取り、陶芸室にあった背もたれのない椅子を運び始める。
理科室や図画工作室でもお馴染みの椅子だが、滑り台の階段のために必要な個数は合計二十脚。できるだけ往復回数を少なく済ませたいため、枠になっている部分を左右の腕に通してぶら下げるように二脚ずつ、そして手には一脚ずつの計六脚を持ち上げた。
「見ていて危なっかしいですねえ」
「これくらい大丈夫ですよ」
「急がば回れと言いますし、一度でそんなに持とうとしないで無理せず分けてください。他の先生に注意された場合、先生のせいにされちゃいます」
ロボットのような見た目になったところで伊東先生に止められたため、仕方なく腕に一脚ずつと手に一脚ずつの四脚持ちに変更。陶芸室を出るとC―3まで微妙に遠い廊下を歩いていく。
ある生徒は作業台として、またある生徒はカホンのように打楽器として使っていそうなこの椅子を借りる場合も、本来なら色々と面倒臭い手順を踏まなければならない。今回こうして手に入れることができたのは、俺が陶芸部だからこそ可能な裏技だ。
「あ、よねくら君。お疲れー」
「悪い。遅くなった」
教室では今日も仲間達が準備中。女子達が気合を入れてデザインしてくれたペシャ猫のTシャツも無事に届き、少しずつ終わりが見えてきたことも相俟ってか盛り上がっている。
「おう! 遅ぇぞ櫻!」
「今日のお前が言うなスレはここですか?」
早速クラスTシャツを着ている女子メンバーには新たに数人が加わり、相変わらず制服姿な男子連中はアキトと渡辺の他に、今更ながらようやく太田黒や但馬が参戦してきた。
参加人数が増えてきたことで、当然ながら作業の幅は広がる。これが一年や二年の頃だったら教室内だけでなくハウスホールも使って壁作りを進めることができたものの、三年になったことで俺達の教室は二階へと移動。ドアを出た先は吹き抜けのホールを見下ろせる手摺り付きの細い廊下になっており、とても作業はできそうにない。
「おおっ! 回転ドア、完成したのかっ?」
「まだ若干微調整が必要ですが、大体は完成した感じだお」
大きな木の枠にはプラスチック製の波板が付いており、アキトが手で押すと中心を軸としてぐるりと滑らかにドアが回る。それを見て声を上げずにはいられなかった。
「うおおっ! 凄えっ!」
「重さが足りなくて不安定ですが、壁とくっつける形にすれば何とかなる希ガス」
「了解だ。予定通り滑り台のテストまでいけそうだな」
「オッスオッス」
「椅子運び、一人で大丈夫か……? 人手が必要なら俺も手伝うぞ……?」
「こっちは大丈夫だ。渡辺はアキトのサポートを頼む」
女子が進めている壁作りも第一段階は終了し、第二段階である装飾作業もいよいよ終盤。墨を使って真っ黒に塗り上げた新聞紙を貼っている最中だ。
新たに参加してくれた女子達は事前に俺が出していた指示通り、滑り台の着地地点に置くクッション代わりの青玉作りを制作中。円になって座っている女子の一人が新聞紙を丸め、残る二人が青のカラー用紙で包んでからテープで止めていた。
同様に今日からの参加である太田黒や但馬は、渡辺と一緒にアキトの手伝い中。何一つ事情を知らない二人は、俺の持ってきた椅子に首を傾げている。
「つーかその椅子、どこから持って来たんだ?」
「陶芸部だよ」
「ちょっと待て櫻。今、部室にはお前以外の部員もいるのか?」
「ん? ああ。何人かいるけど、それがどうした?」
「よし! 俺が手伝ってやる!」
「待て但馬! ここは俺に行かせろ!」
「は?」
「どう見ても陶芸部にいると噂の美少女目当てです、本当にありがとうございました」
そういえば一年前の文化祭の時に、夢野と一緒にいたのを見られていたんだっけか。無駄に眼をギラギラとさせている二人に対し、俺は溜息交じりに答えた。
「ああ、そういうことか。悪いけど今日は来てないぞ」
「「嘘を吐くな!」」
「何で無駄に息ぴったりなんだよお前ら。嘘じゃないっての」
きっと今頃は夢野も葵も、音楽部の合宿を頑張っている頃だろう。俺も負けてはいられない。
阿久津という美少女がいることは伏せつつ、しつこい二人をアキトに任せてから再び陶芸室に戻ると椅子を四脚持ちC―3の教室へ。そんな往復を一人で黙々と繰り返した。
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