十一日目(金) 俺の予定が一杯だった件

『阿久津水無月』


 見間違いではなく、間違いなくその名前が表示されている。

 アイツが電話してくるなんて一体どうしたのかと思いながらも、俺は通話ボタンを押してガラケーを耳に当てた。


「もしもし?」

『やあ。少し聞きたい事があるんだけれど、今は大丈夫かい?』


 阿久津の携帯を使って梅が電話……なんて可能性も考えていたが、聞こえてきた声は他でもない幼馴染の声。我が妹も阿久津の物真似はそこそこ上手かったりするが、流石に本人と聞き間違えるようなことはない。


「ああ。大丈夫だけど、どうしたんだ? 電話なんて珍しいな」

『メールでも問題なかったけれど、直接聞く方が良いかと思ってね』

「それなら夏期講習の時でも良かっただろ」

『キミが仲間と楽しそうに話しているところを邪魔するのも悪いじゃないか』

「別に大丈夫だっての」


 但馬たじま太田黒おおたぐろだった場合は嫉妬で怒り狂って八つ裂きにされかねないが、彼女持ちもいるイケメン軍団ならそんなこともないだろう。

 どうやら阿久津がこちらを見ていたのは、単に俺に用事があっただけらしい。またあらぬ勘違いをしかけていたため、調子に乗っていた自分を戒めておく。


「それで、聞きたい事ってのは?」

『その…………キミの予定を聞いておきたくてね』

「予定? いつのだよ?」

『来週……じゃなくて、再来週の日曜日だけれど、空いているかい?』

「再来週の日曜っていうと……十四日か?」

『そうだね』


 夢野家の壁に貼ってあったカレンダーを確認しつつ聞き返すが、再来週の日曜といえば夢野と一緒に行く花火大会の日にドンピシャだ。

 阿久津が電話を掛けてくるレベルとなると何かしら重要な用事だったのかもしれないが、流石にこの日の予定だけは雨でも降らない限りは変えられない。


「あー、その日は……ちょっと…………?」


 阿久津の用事を別日に変えてもらえないか、頼もうとした時だった。

 チラリと視界の端に映ったのは、ノートを俺に見せてくる夢野の姿。


《電話、水無ちゃんから?》


 そしてその開かれたページには、でかでかと質問が書かれている。

 その文章を見た俺は、首を縦に振った。


『…………そうかい。いや、無理ならいいんだ。すまなかったね』

《変われる?》

「あ、ちょっと待ってくれ。えっと……その、夢野が変わってほしいって」

『蕾君が?』

「ああ。変わるぞ」

「もしもし水無ちゃん? 突然ゴメンね」

『――――』

「ううん。今日は米倉君が私の家に来てて――――」


 俺から携帯を受け取るなり、阿久津に事情を説明する夢野。当然ながらスピーカーモードではないため、阿久津が何を言ってるか聞きとることはできない。


「――――再来週の日曜日って、もしかして花火大会だったりする?」

「!」

「私のことはいいから、ちゃんと言って! ね?」


 夢野が話している内容を聞いて、一つの可能性に気付く。

 ひょっとして阿久津は、俺を花火大会に誘おうとしていたのか?

 従来であればあり得ない、妄想もいいところの話ではあるが、今は事情が少し違う。




『――――仮にもしボクが櫻のことを好きだと言ったら、キミは今でもまだボクのことを好きになってくれるかい?』




 …………いやいや、考え過ぎだろう。

 ついさっき調子に乗っていたことを反省したばかりなのに、一体何度同じ勘違いを繰り返せば学習するのか……そう思いつつ、桜桃ジュースを手に取り口にした。


「ねえ水無ちゃん。もし良かったら、三人で一緒に行かない?」

「――――っ!」


 そして危うく変な所に入りかけた。

 何とか咳き込むのを抑えて飲み干し、慌てて夢野の方を見る。


「うん。私は全然。寧ろその方が嬉しいし………………ううん。そんなことないって。水無ちゃんがそう思うなら、本人に聞いてみよっか?」

「?」

「ねえ米倉君。花火大会、水無ちゃんも一緒でいい?」

「あ、ああ。阿久津がいいなら……」

「だって。聞こえた?」


 何も考えずに返事をしてしまったが、本当に良かったのだろうか。

 いや普通に考えたら両手に花とか幸せだし、阿久津の浴衣姿を見たい気持ちはあるが、現実は一人で寂しい想いをしそうな上、そもそもアイツは私服で来る気がする。


「あ、当日は浴衣だよ? うん、私も着るから」

「っ!?」

「うん。私は水無ちゃんとも一緒に行きたかったから。じゃあ詳しくは後で連絡するね。うん。どう致しまして。水無ちゃんも勉強頑張って。それじゃあ米倉君に返すよ?」

「も、もしもし?」

『えっと……そういうことになったから、宜しく頼むよ』

「あ、ああ。宜しく……」

『それじゃあまた夏期講習で。邪魔をしてすまなかったね』

「いや、気にすんなって。またな」

『失礼するよ』


 阿久津との電話が切れ、画面に通話時間が表示される。

 俺はガラケーを閉じると、軽く息を吐きつつポケットにしまった。


「勝手に決めちゃってごめんね?」

「いや、別にいいけど……その、アイツの用事って本当に花火大会だったのか?」

「うん。そうみたい。きっと息抜きがしたかったんじゃないかな」


 息抜き。

 そう言われると、確かに納得はできるかもしれない。

 でも、どうして俺なんだ?

 アイツには冬雪も早乙女も梅もいるし、クラスの友達だっている。

 それなのに、何で俺に電話をしてきたのか。


「さーて、もうひと頑張りしよっか」

「そ、そうだな」


 疑問は残ったものの、今は勉強を再開し集中する。

 しかしながら気持ちを切り替えなければいけないと頭で理解していても、どうにも気になってしまい前半に比べると集中力は若干低下。一時間ちょっと頑張ったところで休憩を挟み、以前に約束していた夢野の卒業アルバムを見せてもらった。


「これが夢野か。可愛いな」

「それじゃあ、今は可愛くないってこと?」

「え? いや、えっと……別にそういう訳じゃないけど……」

「けーどー?」


 これといって変わりない夢野&望ちゃんの部屋で一緒にアルバムを見ながら、時には茶化されつつも俺が知らない小学生や中学生の頃の夢野の姿を眺めていく。

 小学校の頃は苗字が土浦だったが、個人写真で見せている笑顔は今と変わらず無邪気なもの。そして中学生の頃になるとクラスで一、二を争うような可愛さとなっていた。

 これなら間違いなく、男子から告白されることもあったに違いない。そう思いつつも恥ずかしくなった様子の夢野によってアルバムは閉じられ、再び勉強タイムへと舞い戻る。


「ねえ米倉君。米倉君って、普段どれくらい勉強してるの?」

「んー、大体平日は2時間。休日は6時間やるようにしてるよ」

「6時間っ? 凄いね」

「本来なら受験生は平日4時間で、休日は10時間勉強するのが普通らしいけどな」

「10時間っ? そんなに勉強したら、頭おかしくなっちゃいそう……」


 仮にその理想的勉強量をこなした場合、一週間での学習時間は40時間。先程計算した俺の学習量の二倍近いが、それでも一科目に当てられる時間は130時間足らずだ。


「そういえば、米倉君はどうして月見野を目指そうと思ったの?」

「国立なら学費も安く済むからな」

「本当にそれだけ?」

「ん? 何でだ?」

「やっぱり水無ちゃんと一緒の大学に行きたいのかなーって思って」

「…………そうだな。中学の頃はそうだったよ」

「中学の頃っていうと、高校受験のこと?」

「ああ。阿久津が友達と志望校について話してるのを聞いたのが、俺が屋代を目指し始めたきっかけでさ。だけど夏休みに入る前に受けた模擬試験の点数は数学以外ボロボロ。確か社会に至っては20点だった気がするな」

「何だか『一年で点数を上げて屋代に合格した話』って本が書けそうな点数だね」

「確かに。それで親に言われて姉貴が通ってた塾にも行かされたんだけど、これがまた嫌で時々サボったりしてさ。特に夏期講習なんて地獄だったから、友達の家でゲームしたり本屋でずっと立ち読みしてたこともあったよ」

「米倉君、本当に悪い子だったんだー」

「最終的には親にバレて大目玉喰らったんだけどさ。こういう隠し事に限って、本当に不思議なんだけど必ずバレるんだよな」


 しかしながらこの悪事もアキト理論で考えれば、相当月謝が勿体なかったに違いない。親がせっかく高い金を払って塾に入れてくれたというのに、本当に馬鹿なことをしたな。

 俺が国立を目指す理由の一つには、そんな罪滅ぼしも含まれていたりする。ただ仮にこんな話を親にしたら「立派な大人になってから返せばいい」なんて言われそうだ。


「まあこうして屋代に合格したところで、ハウスが違うから陶芸部に誘われるまでは全く会えなかったけどな。登校も俺は自転車だったけど、アイツは電車だったし」

「自分から陶芸部に入ろうとは思わなかったの?」

「流石にそれは迷惑だってわかりきってたし、そんな間柄でもなかったからさ」


 ただ、近くで見ていたかった。

 アイドルを応援する群衆の中の一人のように、阿久津のことを眺めていたかった。

 そしてあわよくば、自分のことを見てもらいたかった……そんな感覚だろうか。


「大学も屋代と同じで、学部が違うと会えないだろ? アイツは獣医学部で俺は教育学部。同じ学校にいても授業だって違うんだし、阿久津は関係ないよ」

「そっか。ごめんね、変なこと聞いて」

「別にいいっての。夢野の言う通り、阿久津の影響が0って訳でもないしさ」


 俺と阿久津の差は、今どれくらい開いているんだろう。

 そしてその差を、残る時間でどこまで縮めることができるんだろう。


「月見野、行けるといいね」

「ああ。合格したいところだけどな」


 そんな話をしているうちに日は暮れ始め、望ちゃんが帰宅したところで勉強会は終了。最近の陶芸部の様子を軽く聞いた後で、俺は夢野宅を後にするのだった。

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