九日目(水) 文化祭準備が目の保養だった件

 近年は受験生になると塾や予備校へ通うことが最早常識になりつつあるが、高校にも受験生向けのために進路センターや学習センターといった設備は備わっており、夏期講習のような短期集中型の講座だって開かれている。

 夏休みにも拘らず俺は今日も朝早くから登校し、アキトやクラスメイトの理系イケメン連中と挨拶を交わす。広い特別室の中にいるのはCハウスの生徒だけじゃなく他ハウスの生徒もおり、数少ない女子の中には阿久津もいた。


「それでは始めてください」


 今日の講習は数学Ⅰ・AとⅡ・Bの二つ。一コマ目の数学Ⅰ・Aが終わると半分ほどの生徒が部屋を出ていき、ただでさえ少ない女子は片手で数えられるほどになる。

 先生の指示を受けて、俺達は配られた問題用紙を開く。Ⅰ・Aの講座もⅡ・Bの講座も内容は同じで、時間を測って模試やセンター試験形式の問題を解くプレテストだ。


「…………」


 大切なのは計算速度に正確さ、そして問題の取捨選択。

 六十分という限られた時間の中、積み重ねてきた勉強で得た知識を総動員し、行き詰まった場合には一旦後に回して次の問題を取り組んでいく。


「そこまで!」


 やがて先生は試験終了を言い渡した後で、解答を配り始める。俺は赤ペンを用意すると、自分が記したマークシートと照らし合わせながら丸付けをしていった。


「…………」

「櫻、どうだったよ?」


 俺に声を掛けてきた左隣に座っているイケメン、新川しんかわの点数は52点。センターにおけるⅡ・Bの平均はその年によりけりだが、大体50点前後だ。


「ボロボロだな。特にベクトルが死んだ」

「あー、難しかったよな……ってお前、普通に良いじゃん!」


 点数はジャスト60点。ボロボロと言っては嫌味に聞こえるかもしれないが、目指している大学の偏差値や俺の得意教科が数学であることを加味するとこれでは足りない。

 Ⅰ・Aは比較的安定して90点前後が取れているものの、Ⅱ・Bはいつもこんな感じ。三角関数や指数対数、数列辺りは解けることが多いが、微積やベクトルで詰まってしまい点数を落とすことが多かった。


「こっちは数列の初っ端で詰まったんだが、これどうやって解いたか教えてくんね?」

「それな。俺もわからなかったから、強引に根性論で持っていった」

「流石は米倉氏。マジぱねぇっす」


 右隣にいるアキトの点数を見れば57点。コイツでこの点数となると今回の問題は難しめで、平均は40点台前半くらいになるんだろうか。

 そうなると60点は現役生の中では比較的高い点数かもしれないが、浪人生も加わってくる模試だと話は別。最低でも70点以上は安定して取れるようにならなければ、伸び悩んでいる他教科をカバーできそうにない。


「――――で、部分分数分解を用いると――――」


 間違えた問題は先生が板書した解説をノートに写していく。

 そして解けている問題の説明中に、ふと視界の端で視線を感じた。


「っ」


 右斜め後方の離れた席をチラッと見ると、こちらを見ていた阿久津と目が合う。

 幼馴染の少女が慌てて目を逸らしノートを取り始めたのを見て、俺も再び前を向いた。


「…………」


 夏期講習に入ってから、やたら阿久津と視線が合う気がする。

 別に前にいる俺が頻繁に振り返っているという訳ではなく、ジっとこちらを見られている感覚。昨年は数Bの授業が同じだったが、こんなことは一切なかった。


「ふぃー。終わったー。行こーぜ」


 お昼になったところで講習は終了。のんびり帰り支度をしている阿久津が気になりつつも、クラスメイトが一緒にいるこの状況では正直声を掛けにくい。

 結局今日も話しかけることはないまま、俺は仲間達と共にCハウスへ戻る。そして予備校のあるイケメン連中が昇降口へと去っていく中、アキトと二人で教室に向かった。


「あ、よねくら君。ひみずき君。お疲れー」


 学校によってはクーラーの取り扱いを教員が厳しく一括管理している場所もあるが、屋代は生徒が自由につけることが可能。今の時代は下手したら熱中症に繋がる可能性もあるからだろうか。

 涼しい教室内に集まってくれた女子は、前回よりも二人増えて六人に。その一方で男子は部活のため都合がつかなかった葵が抜け、俺とアキトだけになってしまった。


「お疲れ。何か問題とかあったか?」

「……大丈夫」

「白い紙を貼る作業は終わってー、2番と4番もできたから5番と6番を作ってるところだよー」

「了解だ。サンキューな」

「あー、お腹空いたー。ねーねー、お昼買いに行かなーい?」

「賛成! 行こ行こ!」

「行ってら」


 作業していた女子達が買い物へ行った後で、俺は進捗状況を確認。しっかりと指示通り進めてくれていたようで、完成した2番と4番の壁はバッチリだった。

 後方に固められた机の中の一席へ潜り込むように座ったアキトがコンビニ弁当を取り出す中、俺はまだ作り始めて間もないらしい6番の壁を継ぎ足していく。


「このペースで完成まで間に合うか気になるところですな」

「今のところ計画通りだし、問題ない筈だ。ドア枠の方はいつ頃できそうだ?」

「とりま今日中に小ドアと中ドアくらいまでは仕上げるかと」

「了解だ。何か手伝う必要がある時は言ってくれ」

「オマエモナー」


 夏期講習へ行く前に教室へ立ち寄り置いていったのか、ロッカーの上には電動ドリルが準備済み。あんなのを私物で持ってるなんて、本当にコイツの趣味は謎が多いな。

 スマホを片手に弄りつつ栄養補給する親友と雑談を交わしながら作業をしていると、若干Yシャツの透けた女子達がコンビニ袋を抱えて帰還する。


「涼しー。生き返るー。あれ? よねくら君、お昼はー?」

「ああ、俺は食べない派だから。食事代を節約中でさ」

「えっ? それ大丈夫なのっ?」

「お昼は食べた方が良いと思うよー?」

「普段も短縮授業の時とか食べずに部活やってるし、慣れてるから問題ないって」

「……ヨネのお腹は凄い音が鳴る」

「へー。そーなんだー」


 冬雪の一言で心配は笑いへと変わりつつ、女子勢が買ってきたパンやおにぎりを談笑しながら食べ始める中、俺は黙々とダンボールを切り貼りしていく。

 今日の作業も、この人数なら壁作りで問題ないだろう。工程の第二段階である装飾は作り終わった物から施していくべきか……いや、収納する時に貼った紙が破けるかもしれないし、今は寸法通りの物を作る第一段階を優先した方が良さそうか。


「……ごちそうさまでした」


 一足先に昼食を食べ終えた冬雪が、俺の元へやってくる。

 クーラーが付いているにも拘らず暑いのか、リボンを外して胸元のガードが緩くなっている少女が膝をつくと、艶めかしい鎖骨がチラリと目に入った。


「……これ、6番?」

「ああ。ちょっと横の長さを測るの手伝ってもらえるか?」

「……わかった」


 ハイハイをするようにして、転がっていたメジャーを拾い上げる冬雪。マスコットと呼ばれても仕方ない動きを見せられ、思わず口元が緩んでしまう。


「……225cm」

「ピッタリか。オッケー、サンキューな」

「……ヨネ、休まなくて平気?」

「午前で働かせてたのは頭だからな。冬雪こそ少し休んでていいんだぞ?」

「……私は大丈夫」

「そうか。悪いな」

「……別に謝る必要なんてない。皆で頑張って何かを作るの、楽しい」


 冬雪の場合、単純に物を作ることが楽しいだけな気もする。ただ今やってる壁作りは彼女が得意としている造形に比べると、レベルが数段下の図工といった感じだ。


「なあ冬雪。駄目元で聞くけど、陶器でペシャ猫って作るのって無理か? これくらいなんだけど」

「……流石に無理」

「だよな。悪い、変なこと言って」


 掌サイズの置物程度ならともかく、一メートル近いサイズともなれば焼くだけでも一苦労。薄々わかってはいたものの、冬雪ならできるんじゃないかと思ってしまった。


「……忘れてた」

「ん?」


 ゆっくり立ち上がった冬雪が、トテトテと自分の席へ戻る。

 そして少女は鞄を探ると、掌サイズに丸められた数枚の布を取り出した。


「……お母さんに聞いて余ってたの貰ってきた」

「え? これ、使っていいのか?」

「……(コクリ)」


 布を開いてみると、一枚一枚がかなり長め。若干ほつれていたり汚れているところもあり、カーテンとして使うには厳しそうだが使い道は他にも充分ある。


「……何かに使えそう?」

「ああ! 森部分の天井を作るのは諦める予定だったけど、これで何とか代用できそうだ! マジでサンキューな!」

「……良かった」


 思わぬ支援に感謝しつつ、休憩を終えた女子達と共に午後の作業がスタート。時々アキトのドリル音がホール内に響きつつも、ひたすら壁を作っていく作業は今日も続いた。

 隣で作業していた川村の白いブラが見えてしまったり、向かいに座っていた冬雪の水玉パンツが拝めたりと、やたら目の保養になりそうな光景が視界に広がる。今まで積極的に参加していなかったため気付かなかったが、文化祭準備も悪くないかもしれない。

 しかしながら覗いていることがバレた場合、ここまで上がってきた評価が一気に下落すること間違いなし。だからと言って思春期男子である以上は気になるのも事実であり、俺は予想外の誘惑に悩まされながら目のやり場に困りつつ手を動かすのだった。

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