一日目(火) 陶芸部最後の合宿だった件
夏休みに入って数日が過ぎると、今年も陶芸部による合宿の時期がやってくる。
電車に揺られて到着したのは、昨年と異なる新天地。やはり一日目は美術館見学に始まり、この辺りで有名な焼き物や技法について勉強した。
そして二日目の今日は午前午後と成形を繰り返すのも変わらない。最近は勉強漬けだったこともあり、多少腕は鈍っていたものの陶芸そのものは楽しかった。
「それでは七時までに戻って来るようお願いします」
「はい!」
今年の宿泊先は木々に囲まれた山荘。バスでの移動中に川を見ていた俺達は荷物を置いた後で、顧問である
近づいていくにつれて静かに流れている川のせせらぎが聞こえ、やがて開けた場所に出ると目の前に広がっていたのはまさに大自然。もののけのお姫様でも出てきそうな雰囲気の空間を前に、部員の誰もが感動の声を上げた。
「……サワガニがいる」
「えっ? 本当にっ?」
おもむろに周辺の石をひっくり返し、隠れていた小さな蟹を摘み上げたのは陶芸を愛し陶芸と共に生きる少女、
そんな冬雪と一緒になって、子供みたいに目を輝かせながらサワガニ探しを始めたのは、兼部している音楽部が忙しいにも拘らず今年も合宿に来てくれた
「冷たくて気持ちいいですね」
「こんなことなら、サンダルを持ってくるべきでぃした」
新入部員であり初の合宿参加でもある、お団子頭がチャームポイントな夢野の妹、
今日の成形を見ていた限り、望ちゃんはこの三ヶ月ですっかり成長した様子。早乙女も元バスケ部部長だけあって何だかんだ真面目だし、陶芸部の次期部長候補だろう。
「ミズキ先輩! ネック先輩! 水切りで勝負ッス!」
「水切り? ああ、石切りか。やるか?」
「言っておくけど、アタシ結構得意よ?」
自称名人のムチましい少女、
――――チャプ、チャプ、チャプ、チャプ、チャプチャプチャプ――――
「おー」
「中々ッスね! ミズキ先輩の水切り、名付けて火水切りッスか」
「何ちょっと上手いこと言ってんのよ」
石は水面をチャプチャプと何度も跳ねた後で沈む。記録は大体10回ってところか。
石切りや石投げとも呼ばれているこの遊びのギネス記録は88回らしいが、続いて挑むのは元野球部であり筋肉質な後輩、
「おりゃっ!」
――――チャパーーーン、チャパーン、チャパン、チャプ、コンッ――――
独特のフォームから力強く投げられた石は最初に大きく跳ねた後、何度かに渡り跳ねている途中で川の向こう岸に着地。回数はアレだが飛距離はナンバーワンだった。
「トールの水切り、物凄く跳ねるわね」
「石切りならぬ鉄切りだな」
「これがオレ流ッス! 川がもっと広かったら負けないんスけどね」
「さあネック。アタシの回数を超えられるかしら?」
「俺のもテツと同じで、自己流なんだよな…………ほっ!」
――――チョパパパパパパパパパパパパパパパ――――
「何か違うっ!」
「どうやったんスか今のっ?」
「いや、どうって言われても、こう手首のスナップを利かせて普通に投げただけなんだが……」
「そうはならないでしょ普通!」
そんなことを言われても、実際になってしまっている以上は仕方ない。幼い頃に家族で川へ行った際、父親から教わった筈なんだが……どうしてこうなった?
投げ方についてあれこれ聞かれ、二人が見様見真似で石を投げ始める。そんな中俺は近場の大きな石に腰かけ、横髪をかきあげている少女に視線を向けた。
普段は真っ直ぐに下ろしている長い髪を白いシュシュで留め、定価30円の棒付き飴を咥えたままボーっと仲間達を眺めている幼馴染との関係は、少しずつ変わってきていた。
★★★
「――――仮にもしボクが櫻のことを好きだと言ったら、キミは今でもまだボクのことを好きになってくれるかい?」
思わず足が止まる。
何を言っているのかわからない。
いや、違う。
理解していたからこそ、声が出なかった。
「………………………………え?」
ようやく絞り出した言葉は、たった一文字の疑問。
何かの罰ゲームか?
脳内によぎった可能性は、真っ直ぐに俺を見つめる少女を見て即座に否定される。
そもそも阿久津が冗談でこんなことを言う筈がない。
じゃあ、一体どういうことなのか。
「本当に自分勝手な話だとは思うけれど、ボクはキミのことが好きなのかもしれない」
「!」
聞き間違いかと思った。
好き?
阿久津が?
俺のことを?
夢かと思ったが、夢ではない。
だからといって、現実でも起こりうるとは思えない。
そんな不可解な状況に、ようやく止まっていた思考回路が動き出し声を発する。
「かもしれないって…………突然どうしたんだよ?」
「自分でも、よくわからなくてね……」
よくわからないのはこっちの方だ。
一体何があったというのか。
今日の阿久津は阿久津じゃない。
そう言いたくなるくらい、しおらしい姿には違和感しかなかった。
「…………すまない。もう一つの悩みのせいで、少しおかしくなっていたみたいだ。変なことを聞いてしまったね。今のボクの発言は気にしないで構わないよ」
「あ、ああ……」
言いたいことはあった。
聞きたいことも沢山あった。
しかしながら俺は、何一つ知ることができなかった。
★★★
――――そしてあれから、三ヶ月が経とうとしている。
「…………? どうしたんだい?」
「!」
俺の視線に気付いた阿久津が、首を傾げつつ尋ねてくる。
そして重い腰を上げると、今までと変わらない様子で口を開いた。
「キミの水切りならちゃんと見ていたけれど、あれは何切りと言うんだい?」
「ただの水切りだよ。別に名前なんてないっての」
「ふむ。じゃあボクが名前を付けてあげよう。みなづ切りなんてどうだい?」
「それ完全にお前が伝授したみたいになってるじゃねーか!」
「そう言われても、櫻切りだと響きも縁起も悪そうじゃないか」
確かにそんな気もする。冬雪が投げた場合は冬切りとか、ちょっと恰好良さそうだな。
「しかしキミは相変わらず、何かと変な特技ばかり持っているね」
「変な特技で悪かったな」
「別に悪いなんてことはないさ。寧ろ羨ましいくらいだよ」
「ん? あの二人みたいに身に付けたいなら、伝授してやるぞ?」
「いや、今は忙しいから遠慮しておこうかな」
「物凄く暇そうに見えるんだが……?」
「音穏。笹舟でも作らないかい?」
「絶対暇だろお前!」
阿久津は不敵な笑みを浮かべ、俺もつられて一緒に笑う。
まるで何事もなかったかのようなやり取り。
お互いに、あの日の話題に触れることは一切ない。
それでも俺は心のどこかで、幼馴染が口にした言葉の真意が気になり続けていた。
「星華にも作り方を教えてほしいでぃす」
笹舟と聞くなり、早乙女と望ちゃんがやってくる。少しして米倉流水切りに挑戦していたテツと火水木も奥義の伝授を諦めて合流し、結局全員で笹舟を作ることになった。
「まずこうやって端の部分を折ってから、折った部分を三等分するように少しだけ裂いて切り込みを入れる感じだね。その三つに分かれた部分の両側を内側に寄せて、片方の輪の中にもう片方を通せば……こんな風になるから、これを反対側の端にもやれば完成さ」
笹舟の作り方を知っていたのは、冬雪と阿久津と夢野と望ちゃんの四人。幼馴染の少女は手本として説明を交えつつ実際に工程を見せながら、曲線を描いた笹の葉を作り上げる。
こうして聞いていると簡単に聞こえる……というか、小学生どころか幼稚園児でさえ作ることがあるらしく難易度は低い筈だが、単に笹舟一つでもやはり器用不器用の差は大きく出るようだ。
「おーほしさーまーきーらきらー♪ きーんーぎーんーすーなーご……っと、でーきた♪」
「ユメノン先輩の笹舟、良い感じッスね! でもオレのマグナムも負けてないッスよ!」
「…………えっ? 冬雪先輩の笹舟、帆が付いてる! それ、どうやったんですか?」
「……簡単にできる」
「ちょっとネック。アンタの笹舟、何か妙に平べったくない?」
「おかしいな。ちゃんと言われた通りに作った筈なんだが……」
「どうやったらそうなるんでぃすか? そんなんじゃすぐに沈みそうでぃす」
「名前はタイタニック号に決定だね」
こんな調子で各々が笹舟を作り上げると、スタートとゴールを決めてレースを開始。火水木の合図に合わせて、全員が一斉に川に浮かべていた自分の舟から手を離した。
「かっとべマグナムっ! メッチのマシンをぶち抜けーっ!」
「どこがマシンでぃすか!」
「帆が付いてるだけあって、中々やるわねユッキー丸。風を味方につけるのよ! アフロディーテ号!」
「どっちかって言うと冬雪の方がアフロディーテ号で、お前のは火水木丸って感じだけどな…………ん? あれ? 俺のタイタニック、どこ行った?」
「……あそこで沈んだ」
「エンダァァァァァァァァァイヤァァァァァァァ!」
「それはタイタニックじゃなくてボディガードだよ」
当初は速度を競う筈の勝負だったが、最終的には生き残った笹舟が勝ちというデスマッチに。それぞれ自分の笹舟を応援する姿は、傍から見ればまるで小学生だ。
…………今の俺と阿久津の関係も、そんな感じなのかもしれない。
中学時代のような疎遠な関係ではなく。
陶芸部へ入部した時のような普通の友達でもなく。
告白して振られた後のような冷え切った状態でもない。
「優勝はーっ! ツッキーっ!」
友達以上恋人未満なんて複雑な言葉で表現するよりも、そんな小難しいことは一切考えず一緒に楽しんでいた、小学校低学年の頃と例える方が合っている気がする。
火水木に腕を持ち上げられるなり、やれやれという表情を浮かべつつも嬉しそうに微笑む阿久津。手を伸ばせば届きそうな距離にまで近づいたように感じる幼馴染の姿を眺めながら、俺はふとそんなことを考えるのだった。
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