二十一日目(日) 米倉家の勉強会が思い出話だった件
「ごめんね。わざわざ来て貰っちゃって」
「全然。元々迎えに行くつもりだったし、この辺りは結構入り組んでるから迷うのも仕方ないって。小学校とか中学校の時も、先生が家庭訪問に来た時は車でグルグルしてたしな」
ゴールデンウィークの半分が経過した五月初日の昼過ぎ。今日は待ちに待った夢野との勉強会ということで、俺は自転車を押しながら道に迷った少女へ道案内をしていた。
我が家には望ちゃんが何度か来ていたし、住所も知っていたため大丈夫と言っていた夢野だが、地図を見るのは少々苦手らしい。準備万端で待機していたところに『黄色い看板を右に曲がったところだよね?』という逆方向を示すメールが届いたのを見て、俺は素早く自転車に跨ると夢野を迎えに行った訳だ。
「そうなんだ。でも足、平気だった?」
「手術してから数日はマジで地獄だったけど、今はもう大して痛くないな。何なら明後日でも明々後日でも弥の明後日でも、藤まつりに行く準備はバッチリだぞ?」
「だーめ。明日には抜糸なんでしょ? 安静にしてなくちゃ。そうやって油断してると、また終わった後になってから痛くなるかもしれないよ?」
「確かにあの先生、抜糸が終わった後になってから「暫くは痛みが続くと思うからー」なんて言い出したりしそうなんだよな…………と、ほら。ここだよ」
「へー。これが米倉君の家なんだ。それじゃあ水無ちゃんの家は?」
「あっちの角の家だ」
俺が指さすと、夢野は興味深そうに阿久津の家を眺める。
確か日曜は予備校が休みと言っていた気がするが、まあ会うことはないだろう。
「よっと。どうぞ」
「お邪魔します」
「いらっしゃーい」
働いている病院は今日と明日が営業日ということで、母親は本日も仕事へ。カレンダー通りの休みである父親はリビングでテレビを見ており、ドアの向こうから挨拶が聞こえた。
ちなみに梅の奴は今日も部活で屋代に行っており、姉貴が帰省するのは明後日の予定。米倉父は米倉母に比べて干渉しないタイプだし、比較的平和に過ごせそうだ。
俺達は手を洗った後で階段を上がり二階へ。この日のために大掃除をしておいた自分の部屋へ招き入れると、夢野は感動でもするかの如く声を上げた。
「わぁー」
「そんなに驚くような部屋でもないと思うけどな」
「米倉君が私の部屋に来た時も、きっと似たような顔してたと思うよ」
「ん? そうか?」
「だってあの時の私と似たようなこと言ってるから」
「そうだったっけ。まあ適当に座ってくれ」
「うん!」
勉強するための場として、卓袱台と座布団は準備済み。俺が腰を下ろすと、物珍しそうに周囲をキョロキョロと見渡していた夢野は向かいに腰を下ろした。
お互いにゴールデンウィーク前半をどう過ごしたか、特に変わりない近況を話した後で学校から出されている課題を開始。俺が数学を進める中で、夢野は英語を解いていく。
「…………」
ハンドバッグを置いたことでπスラッシュ状態は解除。今日は涼しいこともあって夢野の私服はロングスカートであり、普段の制服姿よりも脚の露出は少なかった。
これなら百人一首の時みたいに、スカートの中を覗こうとしようなんて悪巧みを考える余地はない。うっかり消しゴムを落としてパンツが見えるなんてラッキースケベも、心のどこかでは少しだけ期待していたものの絶対に起こらないだろう。
「ねえねえ米倉君。この文の並べ替えってどうしてこういう順番になるの?」
「ああ、それは確か分詞構文で……ちょっと待っててな。あったあった。これだよ」
数学に比べると英語は上手く説明できる自信がないため、一緒になって調べながら解説することで自分自身も知識を再確認していく。
学校のテストレベルならそこそこ点数を取れるだけの力はついてきたが、模試レベルの問題となると悩みどころ……今度本屋に行って参考書を探してみるべきか。
「ふー。肩凝っちゃった。んんーっ!」
「ちょっと休憩するか」
「賛成!」
去年の夏休みに阿久津と勉強をした時は一時間半に対して十分間の休憩だったが、一時間経過したところで夢野が息を吐くと身体を大きく伸ばす。
「何か飲み物でも持ってくるか?」
「ううん。大丈夫。ねえねえ、米倉君の卒アル見てみたいな」
「卒アル? 卒寿でアルバイトの略か?」
「探したらいるかもしれないけど、物凄く大変そう……じゃなくて、卒業アルバム!」
いの一番で避けたかった話題を振ってくる夢野。せっかく時間潰しのアイデアを色々考えていたものの、こうして見たいと言われてしまった以上はどうしようもない。
「卒アルか……正直言ってあんまり見せたくないんだよな」
「えー? 私は小学校とか中学校の米倉君とか水無ちゃん、見てみたいんだけどなー。今度私のも見せるから、ね? お願い!」
夢野はきっと小学生の頃も中学生の頃も可愛いだろうからいいが、俺の卒業アルバムは黒歴史以外の何物でもない。それこそ短歌風にまとめた作文とか、恥ずかしいにも程がある。
しかしながら両手を合わせたおねだりポーズで懇願されては断ることもできず、俺は棚の奥に封印していた小学校と中学校の卒業アルバムを用意。その後でちょっと待つように言い残してから部屋を出ると、二年生と四年生の時に作った文集を持ってきた。
「色々あるんだね。どれから見よっかなー」
「中学から遡っていく方がいいぞ」
「そうなの? どうして?」
「不味いものは先に食べた方が良いと思ってさ」
「えー? そんなことないと思うけど?」
人生の汚点の口直しとして見てもらうための文集は卓袱台の上に残され、夢野は俺の奨めに従い中学校の卒業アルバムから手に取ると中を開く。
「米倉君と水無ちゃんって何組だったの?」
「俺も阿久津も二組だよ」
校歌や校長先生と教頭先生の写真&コメントに始まり、クラス毎に分けられた個人写真のページへ。滅多に笑わない生徒ですら笑顔で映されている中、夏に撮影したため俺の写真は汗なのか油なのか妙にテカっており、逆向きから見ても本当に気持ち悪かった。
「米倉君は今とあんまり変わらないね」
「え」
…………それは今も汗なり油でテカってるってことなんでしょうか?
夢野の一言で微妙に凹むものの、自分の容姿レベルに関しては鏡を見る度に実感させられている。マイナスから0くらいにはなったと思っていたが、確かにプラスじゃないことには変わりないか。
とりあえず中学の一件以来は体臭なり口臭に充分気を付けているし、この部屋に沁みついていたであろう男臭さも全力で消臭したため、そこに関しては大丈夫な筈だ。
「水無ちゃん、やっぱり可愛いね」
「写真では笑ってるけど、普段は仏頂面で近寄りがたかったんだぞ?」
「本当に? そうは見えないけど」
更にページを捲ると今度は部活動紹介。普段は幽霊部員の癖にちゃっかり映っている知り合いが数名いる中で、帰宅部だった俺がどこにもいないのは夢野も知っているため、見たのは女子バスケ部の写真だった。
運動部のユニフォーム姿なんて運動会の部活動対抗リレーくらいでしか見る機会がなく、二の腕まで露わになっている阿久津の貴重なユニフォーム姿も、ここにある集合写真とフリースローを打っている写真の二枚だけである。
「水無ちゃん、恰好良い! カッコカワイイ!」
「みなちゃん(可愛い)がいるなら、みなちゃん(可愛くない)もいるってことか?」
「それならきっと米倉君(恰好良い)もいるよね?」
「あー、もう絶滅したらしいぞ」
「えー?」
ちなみに米倉君(恰好悪い)なら被害が出るほどに大量発生していたりする。そのため現在は米倉君(普通)に品種改良できないか鋭意努力中だ。
「米倉君って何委員だったの?」
「流石にもう忘れたな」
部活動の次は委員会のページ。意気揚々と探し始める夢野だが、一分も経たないうちに給食委員で不審人物を発見。何でそんな委員会を選んだのかなんて全く覚えてないし、具体的にどんな活動をしていたのかすら一切記憶には残っていない。
先へ進めば今度は行事のページ。屋代の文化祭に比べると規模の小ささを実感させられる文化祭や、正直面倒だった持久走大会に合唱コンクールなど三年間通して行われた行事。そして修学旅行は勿論のこと、スキー教室や職業体験学習なんてものまであった。
「あっ! スキー教室は私も行ったよ。初心者コースだったけど、スキーって難しいよね」
「そうか? 俺も初心者だったけど、最終的には割と何とかなったイメージだぞ」
「本当? 歩くだけでも難しくなかった? あんなに長い板を履いて歩くことなんてないから、普通に歩いてるつもりが知らない間に後ろで板同士が重なってたりして、そのまま足を上げようとしては転んでの繰り返しばっかりだったんだけど」
「あー、確かにそれはわかる」
「後は一番最初にインストラクターさんが「まずは転んだ時に起き上がる練習をしましょう」って言って説明を始める前から転んで迷惑掛けちゃったし、キックターンとかも足が全然上がらなくて大変だった記憶しかないよ」
「キックターンって、片足上げて方向転換するアレか。そんなのもあったな」
「米倉君は、何かそういう大変なことなかったの?」
「そうだな……足をハの字にしたら止まるって聞いたのに、どんどん加速して全然止まらなくてさ。まだ滑り始めでストックも持ってない時だったから、必死に両手でブレーキ掛けたことはあったぞ。こう、うおおおおおおおおおおおおっ! って感じで」
屈んでいる姿勢から両手をついた、蛙倒立の準備段階みたいなジェスチャーを交えつつ説明すると、その時の様子を想像したのか夢野がクスクスと笑う。
結局のところはスキー板を縦に立てるようにすることでブレーキが掛かる訳だが、そんなことは教わっていない。できればハの字(立体)とか言って欲しかったところだ。
「職業体験学習とかも懐かしいね」
「夢野はどこに行ったんだ?」
「私は保育園だよ」
「そう! そういうのが普通だよな!」
「どういうこと?」
不思議そうに夢野が首を傾げる中、俺は待ってましたとばかりに語り始める。
「いやさ、俺の時も黒板に色々と選択肢が書かれた訳だ。保育園、ファーストフード、本屋、消防署、家電量販店、老人ホーム……そんな中で、明らかに変なのがあったんだよ」
『○○保育園』
『ワクドナルド』
『△△書店』
『□□消防署』
『☆☆電気』
『河城組』
『老人ホーム◇◇の里』
「えっ? 河城組って何っ?」
「だろっ? そうなるだろっ? それで俺達もザワついた訳だ。あれ、これヤバくねって。完全に暴力団とかヤクザとかそっちじゃねって。全然何をする場所かわからなかったし、当たり前だけど誰も希望者がいなかったんだよ」
「うんうん」
「俺は本屋を希望してたんだけど、人気が高くてジャンケンになってさ。それで負けた結果、河城組に行く……いや、カチコミすることになったんだけど」
「ふふ。カチコミって」
「いざ到着したら意外と普通の人が出迎えてくれてさ。ホッと一安心しながら案内された部屋に荷物を置いて、さあ見学に行こうってなった時にヘルメット渡されたんだよ。危ないからこれをかぶってくれって」
「ヘルメットっ?」
「本当に何の職業を体験するんだよ俺達って思ったけど、種を明かすと建設系の会社でさ。クレーンとかも作業して危ないからかぶってくれってことだったんだよ」
「なーんだ。ビックリしちゃった。どんな体験したの?」
「コンクリの耐久度テストをするところとか見せて貰ったり、壁を作る工程の一部を手伝ったりとかかな。それとお昼のお味噌汁が凄く美味かった」
「へー。あ! ひょっとしてこの写真?」
「そうそう。それは壁の溝に入ってるゴムを取ってるところだな。本屋に行った奴とかは本を貰ったりしてたのが羨ましかったけど、何だかんだでいい場所だったよ」
「そうなんだ。それにしても河城組って、名前だけ聞いたら絶対に勘違いしちゃうね」
「実際アキトに話した時も同じような反応だったな。向こうが「職業体験はどこに行ったので?」って聞いてきたから「河城組」って答えたら思いっきり噴き出してたよ」
「河城組……ふふ」
インパクトのある名前に夢野がクスクスと笑う。苗字+組が企業名になっている会社は意外にもかなり多いことを後になってから知ったが、やっぱりそっちのイメージが強いんだよな。
他にもいつの間に撮られていたのか疑問になるような写真や、無駄にカメラ目線の生徒がいる写真を眺めた後で、最後に在校期間中の出来事を記した年表ページをチラリと見てから中学校の卒業アルバムは閉じられる。
続いて夢野が手に取ったのは小学校の卒業アルバム。中身の構造は大して変わらず、先程同様にクラスを聞かれた後でページが開かれた。
「米倉君、可愛いね」
「いや、これはもう劣化の進行が始まってるな」
「えー? そんなことないよ」
優しく否定する夢野だが、この後で四年と二年の文集に貼ってある集合写真を見れば全てを理解するだろう。
姉貴や梅からも称賛され、自分でもどうしてこんな突然変異をしてしまったのかと思うほどに可愛かった幼き日の俺を前にしてどんな反応を示すか、今から楽しみで仕方ないくらいだ。
「あっ! 水無ちゃんの髪が短い!」
「それでも長くなってきた方だったけどな」
「もっと短い時があったの?」
「ああ。四年生までは男子と見間違えられるくらい短かったよ」
「ふーん。そうなんだ」
別のクラスのページに移るなり、笑顔を浮かべている阿久津を見て夢野が驚く。
かつてベリーショートだった少女の髪は、肩に掛からない程度のショートカットにまで伸びていた様子。そしてこの髪は、高校一年の冬まで切られなかった訳だ。
「さーて、米倉君と水無ちゃんは何クラブかなー?」
「夢野は小学生の頃、何クラブだったんだ?」
「私は家庭科クラブだよ」
「成程、合ってるな」
「見ーつけた!」
人数を見る限り男子に人気だったのはスポーツゲームやソフトサッカーや卓球といった運動系のクラブで、女子にはバレーボールやバドミントン、それとバトンクラブ辺りが人気だったらしい。
そんな中で阿久津は男女共に人気があったミニバスケットクラブという納得の選択に対し、俺が入っていたのは室内ゲームクラブ。この頃はデュエリストとして人生を謳歌していた気がする……桜花だけにな
「米倉君は書き初めとか得意だった?」
「本来なら『親しい友』と書くべきところを、うっかり『新しい友』と書くくらい苦手だ」
「それは苦手に入らないと思うよ? 寧ろどうしてそうなったの?」
笑いながら尋ねてくる夢野だが、正直言って俺にも分からない。
毛筆は苦手どうこう以前に使い終わった筆をちゃんと洗っていなかったため、先端以外はろくに曲がらないカチンコチンな状態で書いていた記憶しかなかったりする。
「書き初めといい風景画とかポスターといい、賞を取る奴って毎回大体決まってたよな」
「そうそう! 私も金色の折り紙が貼られたのは一回だけだったなー」
通常授業の風景に始まり、水泳や書き初めといった懐かしい授業。そして林間学校や鼓笛による交通安全パレードといった行事の写真に懐かしさを感じつつ眺めていく。
そして一番の問題である作文ページに入る直前で、とあるページが目に留まった。
「米倉君、人気者だったんだね」
「担任の先生が良い先生で、クラスも仲良しだっただけだよ。中学の卒業アルバムにも一番最後に付いてたけど、あっちは真っ白だっただろ?」
夢野の手によって開かれたのは、元々は白紙だったページ。友達や先生からのメッセージを書くスペースとして用意されている、寄せ書きのためのページだった。
卒業式の当日に渡されてメッセージを書いて貰うのは中々に大変だが、小学六年生の俺はそれなりに頑張った様子。大半は中学校に行っても頑張ろうだの宜しくだのと同じ内容ではあるものの、そこにはクラスメイト全員からのコメントが残っていた。
「六年生の頃から算数、得意だったんだ」
「まあな」
「これからも面白いギャグをどんどん言ってね……だって!」
「その辺は今と大して変わらないかもな」
「この『タコタコタコタコタコタコ』って書かれてるのは?」
「その書いてる奴、タコ好きだったんだよ。別に罵られてる訳じゃないぞ?」
「ふふ。そうなんだ。あれ? 水無ちゃんからのメッセージは?」
「アイツは違うクラスだったからな」
「そっか」
阿久津との関係は疎遠になり始めていた時期だが、それでも何だかんだでこの頃は本当に楽しかったと思う。
だからこそ中学生になってからは、ずっと小学生に戻りたいと思っていた。
だけど今は違う。
この高校生活をいつまでも続けていられたら……最近はそう思ってばかりだった。
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