二十日目(日) 俺の長所が優しさだった件
「何だかドッと疲れたな……」
「近くに落ち着ける良い場所があるけれど、少し寄って行くかい?」
「落ち着ける場所? どこにあるんだ?」
「この真上さ」
二階にあるB―9を指さす阿久津。確かパンフレットでは『茶屋』となっており、地味な和風の外装を見ても特に目を引くような要素はなかった気がする。
叫び疲れて喉が乾いたので自販機で飲み物を買ってから、階段を上り目的の教室へ向かうと、その入口には『完売しました。庭園だけでもどうぞ見ていってください』と書かれた看板が立っていた。
「ほー」
中に入ってみれば、目の前に広がっていたのは教室の半分近くを使って作られた美しい庭園。すだれで囲まれている空間の足元には石が敷き詰められており、真ん中にある小さな池の周りには草木も生い茂っている。
そして何より驚きなのは、ししおどしまであること。流石に教室の中では『コーン』という爽やかな音までは鳴らないようだが、チョロチョロと流れている水が溜まり重くなるなり竹筒は『ガコン』としっかり頭を下げてから元の位置に戻った。
「どうだい?」
「良い場所だな。見てて心が落ち着きそうだ」
赤い野点傘が差されている傍には真っ赤な布が敷かれている縁台が四つあるが、既に販売が終了したということもあってか教室の中に客はいない。
仕事が終わった今では完全に放置状態らしく、本来は団子や茶を出していたであろうカウンターにも店員と思わしき生徒の姿は誰一人として見当たらなかった。
俺は阿久津と共に縁台へ腰を下ろすと、涼しげな庭園を眺め風鈴の音に癒されつつ桜桃ジュースに口を付ける。
「キミは行っておきたいクラスとかはないのかい?」
「んー。元々文化祭なんて興味なかったし、今年は色々回ったから特にないな」
「それは何よりだね。色々と回った結果、良い場所はあったのかな?」
「ああ、美術部のやつがマジで凄かったぞ! 陶器市のすぐ傍でやってるんだけど、ああいうのはお前も好きそうだし絶対に見ておくべきだって! 超オススメだ!」
「美術部の展示となると、ブラックライトアートのことかい?」
「何だ。もう行ってたのか?」
「あれならボクも音穏と一緒に見に行ってきたよ。眺めていて心が落ち着くような、素晴らしい深海の世界だったかな」
「だよな! 阿久津の方はどこかオススメとかあったのか?」
「印象に残っているのはA―1がやっていたサーティツーのアイスと、E―5の人力コーヒーカップ。それとF―9の謎解きが楽しかったよ」
「E―5のコーヒーカップなら俺も行ったけど、確かにあれも凄かったよな!」
俺達はお互いに回ってきたクラスや各ハウスのモニュメント、校内を歩いていた生徒の面白いクラスTシャツなどについて語り合う。
すると不意に阿久津が小さく笑みを浮かべたため、不思議に思った俺は少女に尋ねた。
「ん? どうしたんだ?」
「いいや。少しは悩みも紛れたかい?」
「ん? 何だよ急に? 別に悩んでなんてないぞ?」
「その割に陶器市で店番をしていた時は、随分と難しい顔をしていたように見えたけれどね」
「ああ……まあ、悩んでたっていうよりは自分に呆れてたって感じだな」
「どういうことだい?」
「冬雪は大きな壺を作れるくらい器用だし、火水木は楽器が弾けたり呼び込みしたり積極的だろ? 夢野もバイトで接客慣れしてたり縫いぐるみ作ったりできるし、阿久津はスポーツ万能な上に勉強もできる。何て言うか、皆凄いなって思ってさ……」
アキトの奴はパソコンスキル、葵は歌と女子力(仮)。如月には絵がある。
後輩であるテツや早乙女だってそれぞれ野球部やバスケ部で培ってきた運動能力があるし、何よりも中学時代の三年間運動部を続けられただけの根性がある。
「…………それに比べたら、俺って何もできないだろ?」
歌も絵も人並みで、技術や家庭科が得意な訳でもない。勉強や運動だって平均より少し高い程度で誇れる程じゃないし、ゲームが得意なんてのは何の役にも立たないだろう。
ただの取り柄のない人間ならまだしも、あれだけ呆れていた後輩のことを棚に上げて夢野にまでセクハラしてしまうロクデナシ……それが米倉櫻という男だ。
「だから色々と頑張らなきゃいけないって考えてたんだよ。勉強とか陶芸だけじゃなくて、家事とかも手伝ったりしてさ。それにバイトして社会経験を積んだりするのも大事だろうし……とにかく、もっとまともな人間にならないと駄目だなって思ったんだ!」
時間を掛けて考えに考え抜いた決意を阿久津に熱く語る。
しかしながら俺の話を聞いた少女は、どういう訳か呆れた様子で溜息を吐いた。
「一体何を考えているのかと思えば、そんなことを悩んでいたのかい?」
「そんなことって、大事なことだろ?」
「確かに目標を決めて努力することは大切かもしれないけれど、言うは易し行うは難しだよ。勉強一つだけでもどれだけ大変だったか、夏休みのことをもう忘れたのかい?」
「う……」
「それに何よりも櫻が今掲げている目標は、根本的に間違っているかな」
「間違ってるって、何がだよ?」
「キミの言う『まともな人間』なんて、この世には一人もいないさ。誰だって長所があれば短所だってある。単にそれが表面に見えているかどうかの違いだね」
阿久津は「食べるかい?」と言いつつ、定価30円の棒付き飴を差し出してくる。それを俺が受け取ると、少女はもう一つ同じ物をポケットから取り出した。
「現に今のボクは別にスポーツ万能なんかじゃないよ。キミからそう見られているのは悪くない気分だし、運動神経は良い方だと自負しているけれど、陶芸部に入ってからは体力も落ちる一方だからね。今じゃ体育でも中学の頃みたいにはいかないさ」
「そうとは思えないけどな」
「キミは少しボクを買いかぶり過ぎだよ。こう見えても料理や洗濯は親がするから家事なんて自分の部屋の掃除くらいしかしていないし、バイトに関してはご存じの通り春休みにキミや桃ちゃんと一緒に行った一回きりだけだからね」
「仮にそうだったとしても、お前は陶芸も勉強もできるだろ?」
「陶芸はボクが半年先に入部したから経験の差があっただけで、合宿の作品数はキミの方が上だったじゃないか。それに売れ残りを見ればわかると思うけれど、キミの腕だって充分にお客さんを満足させる域に達しているよ」
「確かにそうかもしれないけど、それでもお前の上手いと俺の上手いには差があるだろ?」
「それは差じゃなくて個性と言うべきさ」
阿久津の作品を良いと思う人もいれば、俺の作品の方が良いと思う人だっている。
俺達の違いは展示品を作れるだけの技術があるかどうかくらいだと語った後で、幼馴染の少女は棒付き飴を指先でクルクルと器用に回した。
「人間性も芸術と一緒だよ。答えなんて一つじゃない。キミが友人を見て凄いと思うように、ボクだってキミのことが羨ましいと思う時はあるさ」
「いやいや、こんな奴のどこが羨ましいんだよ?」
「ボクが積み重ねているのは勉強だけ……というよりも、それだけで手一杯だったと言うべきかな。本当ならもっと色々とやりたかったけれど、いかんせん呑み込みが悪くてね。それに比べたらどこかの誰かさんは、少し勉強しただけで急成長中じゃないか」
「元々の中身が空っぽだったから、乾いたスポンジみたいに吸収してるだけだろ。それこそ俺を買いかぶり過ぎだし、お前みたいに続けられるかも不安だっての」
「それを理解しているなら、あれやこれや色々やろうとせずに目標を絞ってみたらどうだい? 高い理想を掲げるのは大事だけれど、高すぎると空想でしかないよ」
「でも…………」
「結果を求めたい気持ちはわかるけれど、何事も焦りは禁物だね。自分のことは自分が一番よく知っているからこそ、キミは短所ばかり見ていて長所が見えていないのさ」
俺には俺の良さがあり、阿久津には阿久津の良さがある。
確かにそうなのかもしれないが、気休めの言葉にしか聞こえず実感はない。
「じゃあ呑み込みが早い以外に、俺の長所って何かあるんだよ?」
「それをボクに言わせるのかい?」
「何かおかしいか?」
「逆に聞くけれど、キミはボクの長所を言えるのかい?」
「まず容姿端麗で文武両道だろ? 沢山の後輩からも慕われてカリスマ性もある上に、それに応えるために何事にも努力する頑張り屋でもある。それに周囲をよく見てて気配りもできて、子供の面倒見だっていい。論理的で考えにも筋が通ってるし、悪いことをした時はハッキリと相手に指摘する。せっかくの夏休みを費やして梅に勉強を教えるくらいお人好しだし、今だって俺が色々と悩んでたのを察して声を掛けてくれたんだろ? 去年の大晦日の時だって迷惑掛けたのに、こうしてまた俺に付き合ってくれてる。後は――――」
「もういいかな」
「ん? 何でだよ?」
「キミが真剣に話しているのを聞いていたら、ボクの方が恥ずかしくなってきたよ」
ぷいっとそっぽを向きつつ、阿久津が呆れた様子で言葉を返す。
何かやらかしてしまったのかと思っていると、棒付き飴を手にしたままの少女は空いている手で長い髪を弄りつつ深々と溜息を吐いた。
「…………はあ……ごほん。先に言っておくけれど、一度しか言わないからね」
「え……?」
「丁度、二年前になるかな。梅君も来週やることになる夏明け一回目の大事な模擬試験で、不運にも数学の時間にボクのコンパスの調子が悪くなったんだよ」
「そりゃ災難だったな」
「ボクは勿論そのことを試験官に伝えたけれど、替えのコンパスは用意してもらえなくてね。そんな時、前の席にいた優しい男子生徒がボクにコンパスを貸してくれたのさ」
「へー」
「まあ、その男子の名前は米倉櫻って言うんだけれどね」
「…………はい?」
「正真正銘、紛れもなくキミのことだよ。覚えていないのかい?」
「マジでか……全然記憶に残ってないんだが……」
「自分が何も考えずにした行動が、他人にとってプラスにもマイナスにも大きな影響を与えるのはよくあることだね。更に遡った話もしようか」
「ん?」
「小学校二年生の時、出席確認の際に先生がボクの名前を読み飛ばしたことがあったんだ。それに気付いたキミはすぐさま先生にそのことを伝えてくれたことがあるんだけれど、覚えているかい?」
「いや……」
「ボクの中では印象的な思い出かな。要するにキミの長所は…………」
「長所は? 何で止まるんだよ?」
「……………………優しいところ……」
阿久津は俺から視線を逸らしたまま、ポツリと小さな声で呟く。
そして大きく息を吸った後でゆっくり吐き出すと、改めて言葉を続けた。
「キミは素直で、馬鹿正直で、それでいて優しい。幼稚園の時も、小学校の時も、それに中学校の時だって、それだけはずっと変わらない。昔から今まで、根は優しいままさ」
「…………」
「よく笑う人とよく怒る人、どちらと友達になりたいかと言われたらよく笑う人だろう? 笑顔の元に笑顔は集まるように、キミの性格だって立派な才能の一つだよ」
「………………」
「仮にキミの言う通り米倉櫻が何の取り柄もない人間だったとしたら、周りには誰も集まらない。今の櫻が優しくて、陽気で、友達になりたい人間だからこそ皆もいる」
「……………………」
「ボクが今こうしているのだって、単にキミと一緒にいると面白いからさ。だからこそキミが浮かない表情をしていると、ボクはこう……何と言うか寂しくなるんだよ」
阿久津はそう言い終えると、再び大きく息を吐いた。
尊敬している幼馴染から純粋に褒められるだけでなく、予想を大きく超える称賛の言葉で称えられた俺は呆然とした後で、思わず自然と笑みを浮かべながら頬を掻く。
「何て言うか……そういう風に言われるとちょっと照れるな」
「さっきまでのボクがどういう気持ちだったか、少しは理解できたかい?」
「悪い。でもお陰で少し自信が出てきたわ」
「調子に乗り過ぎるのも良くないけれどね。とにかく今はキミにできることを、確実に一つ一つやっていけばいいだけだよ。焦りは禁物で、小さな目標の積み重ねさ」
しかしコイツは人のことを本当によく見てるな。
阿久津ですら勉強だけでいっぱいいっぱいとなれば、俺如きが他もこなすなんて明らかに無茶な話。危うくまた以前のように口だけになるところだった。
悩みが晴れて大きく深呼吸をすると、阿久津は棒付き飴の包みを開きつつ不敵に笑う。
「全く……この貸しは高くつくかな。キミは本当に手が焼けるよ」
「ん、いつもサンキューな」
「どう致しまして。そろそろ行こうか」
「ああ」
いつかコイツが困っていたなら、相談に乗って助けられるようなそんな頼れる男になろう。そう思いながら茶屋を出ると、俺達はBハウスを後にした。
そのままCハウス前に到着し別れる手前になったところで、ふとスカートのポケットに手を入れた阿久津が足を止める。そのままゴソゴソと探っていた少女は、少ししてからふーっと軽く息を吐いた。
「何か失くしたのか?」
「いや、大したことじゃないさ。どこかにフィーリングカップルの紙を落としてきたみたいでね。恐らくはお化け屋敷で走り回った時かな」
「あー、まあドンマイだな。ってか、探してたのか?」
「まさか。相手が誰かわかっていない上に、会える確率を考えれば探すだけ無駄さ。そういうキミはどうなんだい?」
「全然。特に興味もなかったし、珍しい番号でテツの奴が欲しがってたから譲ったよ」
「興味が無いからと言って譲るのもどうかと思うけれどね。欲しがるくらいに珍しい番号というと、1番とか100番とかかい?」
「いや、77番だ」
「それはまた奇遇だね。ボクも77番だったよ」
「マジでか。番号が同じになる確率だけでも相当なもんだろ」
「大体4%くらいだったかな。キミは何色の77番だったんだい?」
「確か青だったかな。阿久津は何色だったんだ?」
「…………」
「ん? いやいや、まさか…………冗談だろ? 青だったり……します?」
「………………するね」
「…………水色とか紫じゃなくて?」
「あれは間違いなく青色だったよ」
「マジですか?」
「マジさ」
「…………」
「………………」
まさかこんな身近にペアとなる相手がいるとは思わず、お互いに驚き呆然とする。そうと知っていたら肌身離さず持っていたのに、どうして渡してしまったのか。
いやいや、普通に考えたら相手は屋代の女子約1200人のうちの一人……遭遇確率0.08%とかレアアイテムのドロップ率より酷いし、見つかる訳ないと思うじゃん。
「全く……キミって奴は、どうして譲ったりするんだい?」
「そ、そんなこと言ったら、落としたお前だって大して変わらないだろ?」
「ボクが落としたのは不可抗力だけれど、キミのは人為的じゃないか」
「いや、結果として無くなってるのは同じじゃん」
「いいや違うね。ボクのはお化け屋敷に戻れば落し物として届いているかもしれないよ」
「それなら俺だって、必要となれば土下座してでもテツに返してもらうっての!」
「そこまで言うなら、探しに行ってみようじゃないか」
「おお! やってやろうじゃねーか!」
そんな感じで、俺達は再びお化け屋敷へ突入。タネがわかっている二度目なら安心と思いきや、動き出す生首が三番目に変わっていたり化け物が違う場所から飛び出してきたりと、一度目とは仕組みが変わっている驚愕の仕様のせいで再び絶叫する羽目になった。
そんでもって結局阿久津のカードは見つからず。まあコイツの性格を考えれば、こういう運命的な出会いとかには興味があるように見えないし別にいいだろう。
そもそも同じ番号の相手を見つけた場合、どこで何をしてどうなるかすら知らなかったりする。最初からフィーリングカップルなんて無かった……そう思うことにしよう。
「あざっした! また来てください!」
「「もう二度と来ない」よ」
「どんだけ息ピッタリなんスか……」
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