十四日目(月) 突撃! 隣の夢野家だった件

 台風一過により地獄のような気温が舞い戻ること数日。今日は天候に恵まれたと言っていいのか、釉薬掛けの日同様に普段よりは少しマシな程度の暑さになった。

 夏休みも明日で最終日という中、俺達は陶芸室の大掃除。昨年の冬にやった時と同様、机と電動ろくろを移動させてから床に水を撒きデッキブラシとモップ掛けを行う。

 部員が四人だった頃は一つ約四十キロという電動ろくろを俺一人で運ぶのに苦労したが、今回は元野球部の頼れる後輩、テツという男手もあったため作業はかなり楽になった。


「そういや、宿題は終わったのか?」

「大丈夫ッス!」

「へー、意外だな。てっきりそろそろ慌てる頃だと思ったけど」

「まだ明日があるんで大丈夫ッス!」

「それ、完全に終わらないパターンだな。違う意味で終わったになるやつだぞ?」

「いやいや、後は英語の問題集だけッスから」


 お昼には少し早い時間だったが区切りが良いということで、伊東先生が用意してくれたコンビニ弁当を仲間達と食べつつテツの話を聞く。その英語が一番大変なんだっての。

 思い返してみれば、俺も一年の時はこんな感じだったかもしれない。最終的には初回授業までという、夏休みが終わった後でも夏課題を進めるなんて状況に陥るんだろうな。

 大掃除が終わった後には窯出しも行い、それぞれが焼き終えた作品を見に行く。還元での焼成は初めてだったが、出来栄えは全体的に味のある雰囲気になっていた。

 俺達がいない間に冬雪が完成させた壺は、大掃除の前に他の残っていた作品と一緒に電気窯へ入れて酸化焼成を開始。焼き上がった姿を見られるのは始業式後だそうだ。


「そういえば、鉄が使った綺麗な青とかいうのはどうなったんでぃすか?」

「……多分、これ」

「灰色じゃないでぃすか」

「どこからどう見てもグレーだね」

「結局酸化でも還元でも綺麗な青になんてならない、普通の灰色だったってことか」

「違うッスよネック先輩! これは普通の灰色じゃないッス! 物凄い灰色ッス!」

「一年近く前にも似たような反応を見た気がするよ」

「だから胡散臭いと言ったじゃないでぃすか」


 最初に『きれいな青』なんて名前を付けた人は、一体何をどう勘違いしたのか。

 全力で否定するテツをよそに俺は傍迷惑な釉薬の前へ腰を下ろすと、自分が一年近く前にバケツの蓋に書いた『物凄い灰色』の『物凄い』の部分を二重線で消しておく。

 値段を付けたり作品を運んだり、陶器を売る教室の装飾といった本格的な文化祭準備は夏休み明けに行うとのこと。各自宿題が残っている可能性を考慮した伊東先生の指示により、今日のところは早々に解散となった。


「それじゃあ米倉君、また……わっとと」


 西日が強く照りつける中、今日も夢野と一緒の帰り道。別れ場所であるコンビニ前の横断歩道で一時停止していた少女は、信号が青に変わったのを見てペダルに足を掛ける。

 しかしバランスを崩したのか、自転車に跨ったまま俺の方に倒れてきた。


「おっと!」


 すかさず手を伸ばし、咄嗟に夢野の二の腕を支える。

 危うく俺ごと倒れそうになったが、何とかギリギリのところで持ち堪えることができた。

 掌に布地越しの柔らかい感触が伝わる中、少女は謝りつつ体勢を戻す。


「よいしょっと……ふう。ごめんね?」

「大丈夫か?」

「うん。ちょっとよろけちゃっただけだから大丈夫。それじゃあ、またね」

「ああ。気を付けてな」


 改めてペダルを漕ぎ出し、横断歩道を渡る少女の後ろ姿をジッと眺める。

 大掃除の最中も、夢野はボーっとしていることが多々あった。

 火水木に限らず阿久津や冬雪も心配しており、俺も不安だったため普段の帰り道は前を走っていることが多いが、今日は夢野の後ろを走って様子を見ていたくらいだ。


「…………」


 本当に大丈夫なんだろうか。

 歩行者信号の青が点滅を始める中、俺はハンドルを切る。

 そして勢いよくペダルを漕ぎ出すと、横断歩道を渡り夢野に追いついた。


「はよざっす!」

「えっ? 米倉君、どうしたの?」

「やっぱ不安だから、家まで見送ろうと思ってさ」

「そんなの悪いし、大丈夫だよ。さっきのはちょっとよろけただけだから」

「じゃあ大掃除の時、危うくゴミ箱にダイブしそうになってたのは?」

「あ、あれもちょっと足がもつれただけで……」

「でも置いてあったバケツにも足を引っ掛けて、水を盛大にぶちまけてただろ?」

「う……」

「後はおにぎりの開け方だって間違えて、海苔も大変なことになってたし」

「それは単にうっかり!」

「最終的にはデッキブラシに跨って飛ぼうとしてたもんな」

「やってたの私じゃなくてクロガネ君!」

「まあそんな冗談はどうでもいいとして。真面目な話、皆も心配してたし俺も不安だからさ。駄目って言われても勝手に付いていくぞ。突撃! 隣の夢野家ってな!」

「もう。大丈夫なのに……」


 そう言いながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべているように見えた少女の後に続いていく。

 最初は知っている景色だったが、徐々に入り組んだ道を進むと見知らぬ場所へ。やがてコンビニから五分も掛からずに到着したのは、二階建ての小さなアパートだった。


「ここなのか?」

「うん。このアパートの101が私の家」

「へー。それじゃ、俺はこの辺で」

「…………ねえ米倉君。せっかくここまで来てくれたんだし、もし時間があるなら上がっていかない?」

「えっ? いや、時間なら全然問題ないけど、突然邪魔するのも悪いだろ?」

「ううん。親は帰ってくるの遅いし、今は家に誰もいないから」

「えっと……それは…………誤解を招くというか…………何と言うか……」

「…………? あっ! そ、そういう意味で言った訳じゃなくて……ね?」

「お、俺もそんなつもりはないからっ!」


 あたふたしながら顔を赤くしつつ、掌を横に振る夢野。心の中で考えるだけに留めておけばいいものを、馬鹿正直に反応してしまった俺も俺で恥ずかしくなり慌てて訂正した。

 しかし夢野の家と聞いて興味はある。もしかしたらこの中には、最後の問題である2079円に繋がる何か重大なヒントがあるかもしれない。


「じゃあせっかくだし、少しだけお邪魔させてもらってもいいか?」

「うん。自転車、そこに止めて大丈夫だから」


 夢野の自転車の隣に自分の自転車を止めると、一階の一番奥にある101号室へ。ドアポストに入っていた広報誌を抜いた少女は、鍵を挿しこむとドアを開けた。


「あ……ちょっとだけ待ってもらってもいい?」

「おう」


 ドアを開けっぱなしにした夢野は、そそくさと家の中へ入っていく。

 てっきり見られてはいけない物の片付けでもするのかと思いきや、早足で進んだ少女は換気をしているらしく、中から窓を開ける音が聞こえてきた。


「お待たせ。どうぞ」

「お邪魔します」


 一分もしないうちにひょこっと夢野が顔を出す。誰もいなかった家の中は若干熱がこもっていたが、吹き抜ける風で小さく鳴った風鈴の音を耳にしつつ俺は靴を脱いだ。

 玄関を抜けるとダイニングキッチンがあり、少女に案内されたのは左側の部屋。よくよく考えてみれば女子の部屋に入るなんて機会、家族を除けば小学生の時の阿久津の部屋以来かもしれない。

 今更になってドキドキし始める中、俺は禁断の聖域へと足を踏み入れた。


「…………」


 部屋に入るなり目に入ったのは二つの机。どうやら夢野と妹の二人で一部屋を使っているらしいが、不意の来訪にも拘わらず素晴らしいことにどちらも綺麗に片付いていた。

 置いてある教科書などを見る限り、恐らくは左側が夢野の机なんだろう。横の壁に掛かっているコルクボードには、友達と映っている写真が貼られている。

 本棚の中には夢野の妹が好きだと言っていた白バスの漫画。タンスの上には可愛い動物のぬいぐるみがいくつか置かれており、クッションなどの小物も全体的に女の子っぽい。

 女子独特の良い匂いがする中、キョロキョロと辺りを見ていると夢野が笑った。


「そんなに珍しい?」

「そりゃまあ、女子の部屋なんて滅多に来ないからな。この写真、中学の頃の夢野か?」

「うん。よくのぞみに似てるって言われるんだけど、そんなに似てるかな?」

「んー、言われてみると似てるような気がするけど、夢野の妹は何回か見た程度だからな」

「そっか。そういえば、あの時の写真は?」

「あの時の写真って?」

「ほら、引退試合の応援に行った時の写真!」

「あ……悪い悪い」


 正直見直すのが恥ずかしくて、カメラごと封印したままだったりする。梅の奴が使うとか言い出す前に、データだけでもパソコンに移しておかないとな。


「おっ? これって、クリスマスのだよな?」

「うん。すっごく大事にしてるよ」


 夢野の机の上に置いてあったスノードームを見て思わず笑みが漏れた俺は、手に取った後で逆さにしつつ底にあるスイッチを入れる。

 鳴り出したのは、今の時期には不釣り合いなクリスマスソングのオルゴール。そして元に戻せば、ガラスの中ではキラキラと綺麗な雪が降っていた。


「自分用にも一つ、買っておくべきだったかな」

「ふふ。良いプレゼント貰っちゃった」

「まあそこは引き当てた夢野の運が良かったってことで…………ん? おっ! 懐かしい物を発見っ! これ、夢野も持ってたのか?」


 続けて見つけたのは、以前に電気店でも見掛けたことのある小型育成ゲームの初代シリーズ。米倉家にあったのが『わんこっち』なのに対し、夢野の机に置いてあったのは『にゃんこっち』だった。


「うん。今でも育ててるよ」

「マジかっ?」


 確か我が家の『わんこっち』は最初こそ兄妹で大切に育てていたものの、電池切れになった後は電池交換もせずに放置され、挙句の果てには行方不明になった気がする。

 夢野の『にゃんこっち』は所々に傷があり、塗装も剥がれ、日に焼けてこそいるが、スリープモードを解除すれば画面の中では可愛い猫が『ZZZ……』と寝息を立てていた。


「へー。凄いな。この猫、種類は何なんだ?」

「シャム猫だよ」

「シャム猫…………あれ? 確かシャム猫って、まめに世話をしてないと進化しない、一番頭の良い猫種じゃなかったっけ?」

「うん。私と望の二人で、大事に育ててるからね」

「じゃあ名前とかも付けてたりするのか?」

「一応チェリって名前はあるんだけど、恥ずかしくてあんまり呼んでないかな」


 前に夢野にペットを飼っているか聞いた際に「秘密♪」と意味深に返されたことがあったが、確かにこれは何とも返答し難いところかもしれない。

 せっかくなのでチェリに御飯をあげ、ご機嫌取りのゲームで遊んで戯れる。何だか久し振りに育てたくなってきたが、我が家の『わんこっち』も姉貴か梅が隠し持っていたりしないだろうか。

 その後も夢野の部屋にある物を色々と物色していると、ふと少女は思いついたように手をポンと叩いた。


「ねえ米倉君、お腹空いてない?」

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