十一日目(金) 膝枕が男のロマンだった件

「え?」


 さらりと提案をされ、思わず聞き返す。

 阿久津はポンポンと自分の太股を軽く叩きつつ、ケロッとした様子で答えた。


「木曜日に負けたにも拘らず、今日は全問正解だったからね。勝敗に関係なく真面目に勉強していたみたいだし、この夏に頑張った分の御褒美も兼ねてかな」

「御褒美って、俺はペットか何かかよ?」


 本当は柔らかそうな太股に顔を埋めたいところだが、橘先輩の教えを思い出しグッと我慢。勝負に勝ったならまだしも、負けたのに膝枕してもらうなんて男としてのプライドが許さない。


「しないのかい?」

「…………する」

「そういうキミの馬鹿正直なところは、ボクは嫌いじゃないよ」


 させてくれると言うのなら、ありがたくお言葉に甘えさせてもらう以外に選択肢なんてない。男としてのプライド? 何それ美味しいの?

 見知らぬ相手には臆病な小心者の癖に、見知った相手には全てを晒し踏み込み過ぎる。そんな0か100かみたいな極端な性格が自分としては嫌いなんだが、今回は欲望に従って正解だったらしい。

 心臓の鼓動が早くなっていく中、俺はベッドに腰掛けている阿久津の隣へ座る。

 そしてゆっくりと横になり、位置を調整しながら少女の太股の上へと頭を下ろした。


「…………」

「………………」


 ……………………うん、何か気まずい。

 後頭部に感じる柔らかい感触は良いが、仰向けに寝ている今は下から阿久津を見上げる形。必然的に少女と目が合い、視線の逃げ場を求めてキョロキョロしてしまう。


「ち、ちょっとタイム!」

「何だい?」

「姿勢変えてもいいか?」

「別に構わないよ」


 ゴロリと寝返りを打つようにしてポジションチェンジ。入口を見るような形の横向きになったが、阿久津の身体が見られる反対向きにすべきだったかもしれない。

 今回は制服じゃなくパジャマのため、頬が触れている太股は布地越し。以前より興奮度は若干薄いものの、それでも充分感動に値するレベルだ。


「頭が乗っている場所は太股なのに、どうしてこれが膝枕と呼ばれているんだろうね」

「ああ。それなら膝って言葉には意味が二種類あって、世間一般が呼んでるのは膝頭なんだよ。だけどもう一つの意味は『座ったときの腿の上側にあたる部分』だから、膝枕でも間違いないって前に見たな」


 仮に膝頭枕だった場合、寝るというよりは頭が寄りかかっているだけ。頭部に伝わる感触は凸な形だし、長時間続けると首が痛くなりそうな姿勢になるだろう。


「流石は膝枕マイスターだね」

「いや、単に膝枕が男のロマンってだけで、別にこだわりがあるとかそんなんじゃないからな? 仮に膝枕マイスターなんて称号があるとしたら、百人の膝枕を試してみましたとかそういう人に与えられるもんだろ?」

「それならキミは何人の膝枕を経験したんだい?」

「…………多分、二人だな」

「ボク以外にやってくれた人がいたことに驚きだね。ひょっとして夢野君かい?」

「そんな訳あるかっての。ずっと前に姉貴が突然アニメの名シーンを再現したいとか言い出して、それに付き合わされたんだよ」

「成程。確かに桃ちゃんならやりかねないね」


 あの時はジョジョ立ちをしたり、エネルギー波で吹き飛ばされた雰囲気を装ってジャンプした瞬間を撮影したりと、何ともくだらないことばかりやらされたな。

 先程のような気まずい沈黙にならないよう他愛ない雑談を話す一方で、接している肌を、頬の細胞一つ一つを、脳に伝わる感覚神経をフルに使って布地越しの太股を堪能する。


「…………」


 それにしても、膝枕というのは本当に素晴らしい。

 触角だけでなく嗅覚にも及ぶ幸せのひと時。いつか見た夢のように耳掃除もしてもらえたらなんて思いながら、阿久津の肌の柔らかさと心地良い匂いに恍惚としていた。


「それで、ボクの膝枕に関して何か感想は?」

「最高です。ありがとうございます」

「それは何よりだけれど、このまま眠ることだけは勘弁してもらいたいね。よくアルカスがボクの膝の上に乗った状態で眠るから、足が痺れて困るんだよ」

「起こせばいいだろ?」

「あんな気持ちよさそうな寝顔を見せられたら、そんなことはできないさ。前に陶芸室でキミを寝かせた時も、同じような顔をしていたけれどね」

「お前って、つくづく俺をペット扱いするよな」

「大抵の原因はキミにあるけれどね。今だってアルカスと大して変わらないじゃないか」


 そう言いながら、阿久津は毛づくろいでもするかの如く俺の頭を撫で始める。その優しい手の動きがまた実に気持ちよく、思わず眠くなり猫のように欠伸をしてしまった。


「しかし今日は久し振りに思いきり遊んだけれど、やっぱり兄妹がいるのは羨ましいね。ボクも梅君みたいな妹が欲しかったし、桃ちゃんみたいなお姉さんも欲しかったかな」

「そうか? いたらいたで結構面倒なもんだけどな。特に妹なんてやかましいし、何度言っても部屋のノックはしないし、勝手に人の物を持っていくし……」

「そんなことないさ。それにボクは、キミみたいな弟も欲しかったよ」

「弟かよ。確かに誕生日的には俺の方が年下だけどさ」

「ボクとしては弟より兄の方が欲しいけれど、キミが兄というのは少し頼りないからね」

「そんなことはない。遠慮なく兄さんと慕って良いんだぞ?」

「兄さん。ボクの膝枕は気持ちいいかい?」

「げほっ! えほっ!」


 阿久津としては「膝枕してもらうような兄がいるか」というつもりで言ったんだろうが、あまりにも不意打ちな兄さん呼びに思わず咳き込む。萌えた。普通に萌えた。


「キミが頼れる兄だったら、梅君はボクを頼ってくれなかっただろうからね。そういう意味では、キミが頼れない兄でいてくれて助かったかな」

「どうせ俺は兄らしくないっての。ただ梅の件に関しては、本当にサンキューな」

「前にも言ったけれど、単にボクが好きでやっているだけだから気にする必要はないよ。それにボクはただ指示を出しただけで、頑張ったのは梅君自身さ」

「それでも、やっぱり阿久津じゃなかったら絶対にあそこまで伸びなかったって」

「ボクはそうでもないと思うけれどね。梅君の苦手もキミと同じで、部活が忙しかったあまり努力をしていなかっただけさ。目に見えた結果を出した今、負の連鎖は断ち切れたよ」


 結果に繋がりさえすれば、どんな教科でも面白くなる。そのためにはまず一度成功体験を経験すればいいという、一年近く前に話していたことを実践しただけって訳か。

 身に付くのが速いタイプは忘れるのも早いという阿久津の教えを思い出し、まだまだ油断はできないと思っていると、俺の髪を弄っていた少女は何かに気付き手を止めた。


「…………ふむ」

「どうしたんだ?」

「いや、ここに白髪が生えていてね」

「色々と苦労してるんだよ」

「電子辞書のロックを開けるために、暗証番号を一から試して外したりかい?」

「あー、そんなこともあったな。冬雪に聞いたのか?」

「その件に関しては音穏が大絶賛していたからね。他にもキミの話は色々と耳にしているし、数Bの授業前に火水木君と話している雑談も聞こえてくるかな」

「アイツとの話って言っても、しょうもない話しかしてないだろ」

「二年になってからは勉強に力を入れているようだけれど、志望校でもできたのかい?」

「まあ…………実は、俺も月見野を目指してみようと思ってさ」

「月見野を?」


 阿久津の手が止まる。

 しかし少しして、少女は再び俺の頭を撫で始めた。


「それはまた、随分と高い目標だね」

「学部は教育だから、獣医学部よりは少しだけ低いけどな」

「それでも国立である以上、レベルが高いことに変わりはないさ。そういう理由で勉強していたとなると、まだまだ今後のキミの成長が楽しみだね」

「ああ。まあ見てろって」

「期待しているよ」


『バタン』


「お~邪魔~虫~。お兄ちゃ~ん、消しゴム貸し…………」

「…………」

「………………」

「ちょっといい気分~♪」(ハモリ上パート)


『バタン』


「ちょっ、待て梅っ! 話を聞けっ!」

「ボクが行こうっ! その方が丸く収まるっ!」

「頼んだっ! 関節を極めようが秘孔を突こうが、どんな手を使ってもいいから姉貴への連絡だけは断固阻止しろっ! 永遠とネタにされる羽目になるぞっ!」

「わかっているよっ!」


 こうして楽しい楽しい米倉家の御泊まり会は、第一次梅梅大戦と化す。

 阿久津が一体どんな方法を取ったのかは不明だが、どうやら口封じには無事成功したらしい。翌日の朝に顔を合わせた梅は、梅干しのようにシワシワなっているのだった。

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