十一日目(金) 部屋の片づけは万全だった件

 阿久津の泊まりが決まった直後に母親から、そこから少し遅れて父親からも、共に台風のせいで帰りが遅くなるという連絡が入ったため夕飯はまたもやセルフになった。

 女子会と言ったら鍋かタコパと盛り上がる梅だが、そんな都合良く冷蔵庫の中に鍋やらたこ焼きの具材が揃っているなんて筈もない。結局葱を切って麺を茹でるだけと、シンプルかつ夏バテにも優しい蕎麦で済ませた。


「おい、何で俺一人なんだ?」

「だってお兄ちゃん、無駄に強いじゃん」

「当然のチーム分けだね」


 その後は両親がいないというのを良いことにリビングを占拠しつつ、俺も交じってのゲーム大会が開始。リモコンを振って遊ぶゲーム機を使い、スポーツだのリズムゲームだの大乱闘だのを数時間に渡り楽しんだ。

 やがて時間を見た俺は途中で抜けると風呂を洗い、沸かしている間に皿を洗う。本来なら片方は梅に任せるつもりだったが、久々に阿久津と遊べたことがよっぽど嬉しいのか、いつになく楽しそうだし今日は特別にサービスしてやろう。


「お兄ちゃんお兄ちゃん! お風呂にこれ入れてっ!」

「うんこ入浴剤……まだ残ってたのかよ?」

「最後の一個、ラストうんこです! あ、クイズにするからミナちゃんには内緒ね」


 何でも去年の誕生日に友達からプレゼントで貰ったとのこと。箱を開けて中を取り出すと、ソフトクリームみたいにとぐろを巻いた巻きグソ型の入浴剤が出てくる。

 うんこと言っても匂いはバラの香りであり、湯船に投入した後の色も抹茶色。これが何の入浴剤かと言われて、うんこと答えられる人間は早々いないだろう。

 てっきり二人は一緒に入るものかと思ったが、そんなこともないらしい。うんこ風呂(こう言うと物凄く嫌だな)には俺→梅→阿久津と三人で交代に入っていった。


「お」


 風呂から上がった後は自分の部屋でのんびり。祭りが終わった後の如く普段通りに過ごしていたが、トイレから出た際に風呂上がりの阿久津と偶然出くわす。

 当然ながらバスタオル一枚なんてことはなく、着ているのは梅から借りたパジャマ。それでも阿久津のパジャマ姿という、滅多に見ないレアな恰好は中々に新鮮だ。


「やあ。お風呂、ありがたくいただかせてもらったよ」

「おう」

「梅君から問題を出されているけれど、あれは何の入浴剤だったんだい?」

「それは後で梅に聞いてくれ」


 自然体かつ無防備な雰囲気を放つ阿久津の後に続き、階段を上がっていく。ドライヤーで乾かされた長髪が揺れると、ふんわりとシャンプーの良い香りがした。

 梅講習中は基本的にシュシュで留めたポニーテール姿だったため、八月に入ってから髪を下ろしている姿を見たのは釉薬掛けの時くらい。久し振りだからか、はたまた風呂上がりということもあってか、見慣れていた姿の少女は一段と綺麗に見える。


「櫻」

「ん? 何だ?」

「少しキミの部屋を見せてもらってもいいかい?」

「お、おお。別にいいぞ」


 実は夏休みに阿久津が我が家へ来ると知ってから、部屋はいつ見られても大丈夫なようにしっかりと整理整頓済み。年末の大掃除並に頑張ったかもしれない。

 そういう意味では待っていましたとばかりに、俺は阿久津を部屋へ招き入れた。


「ちゃんと片付けているじゃないか」

「まあな」

「梅君から聞いた話と違うけれど、ひょっとしてボクが見に来る可能性を考えて準備でもしていたのかい?」

「そ、そんなことないっての! 単に梅が大袈裟なだけだ!」


 南中バスケ部ネットワークの情報量を甘く見ていた。あの妹め、後で覚えてろよ。

 俺が椅子に座ると、阿久津はベッドに腰を下ろす…………かと思いきや、そのまま屈みこむとベッドの下を確認した。真っ先に見るの、そこなのかよ。


「ふむ。これはやっぱり梅君のデマだったみたいだね」

「アイツは一体何を言ったっ?」

「キミの性格を考えれば、流石にこんな見え見えの場所に隠してはいないだろう」


 阿久津の言う通り、隠し場所はそこじゃなくて机の引き出しの奥。俺の宝を見つけて茶化すつもりだったのか、少女は残念そうに溜息を吐くとベッドに座り周囲を見渡す。


「それにしても、随分と変わった気がするね」

「そりゃそうだろ。最後に来たのなんて、何年前だ?」

「8年前だよ」

「即答かよ。よく覚えてるな」

「壁に掛けてあった、マジックテープのダーツが無くなっているね」

「流石にアレはもうないっての」

「そこにあった、夜に髪の伸びそうな日本人形はどうしたんだい?」

「あれなら今は一階の和室にあるけど、何でそんなのまで覚えてるんだよ?」

「それはもう印象的だったからさ。後は…………確かここには、キミが10万円貯めてみせると意気込んでいた500円玉の貯金箱が置いてあったかな」

「あれ、我慢できなくて開けちゃったんだよな。今はこっちに50円貯金があるぞ」

「武器にでもする気かい?」

「推理小説の読み過ぎだろ」


 袋状の物に硬貨を詰めて鈍器にした後、自動販売機とかに入れたりして証拠を隠滅する推理物あるある。確か通称はブラックジャックだったかな。

 ビニール紐に繋いでネックレスにできるくらいには集まっているが、いざ身に付けてみると重いし50円玉同士の隙間に肉が挟まるしで散々だったりする。


「逆に昔から変わらない物とかって何かあるか?」

「勿論あるよ。例えばペン立てとかね」

「ああ。三年生の社会科見学で貰ったやつだな。阿久津の家にもあるだろ?」

「そうだね。後はこのハサミなんて、幼稚園の頃から使っている物じゃないのかい?」

「言われてみれば……もう切れ味はボロボロだけどな」

「他にも懐かしいと言う程じゃないけれど、そこの木製の小物入れはキミが技術の時間に作っていた物だったね。先生に怒られていたけれど、確か理由は釘の打ち方だったかな」

「何でそこまで知ってるんだよ?」

「まあ、キミのことはちゃんと見ていたからね」

「え……?」

「パソコンを使う授業中に隠れてソリティアをしていたり、デスクトップの背景を勝手に変えたり」

「えっ?」

「掃除の時間に水の入ったバケツを回して「遠心力~」とか何とか言いながら調子に乗った挙句、うっかり天井にバケツをぶつけて頭から水をかぶっていたなんてことも」

「もう止めてっ!」


 相変わらず人のライフを0にするのが得意な幼馴染は、まだまだネタは沢山あるとでも言いたげな表情を見せる。俺が脳内から消した記憶を、一体どこまで覚えているのか。


「それはそうと喉乾いてないか? 飲み物とか持ってくるぞ?」

「お構いなく。そう言えばさっき夕飯の時に台所で使っていた鍋敷きだけれど、あれは元々美術でキミが作った時計じゃなかったのかい?」

「さーどうだったかー。あっ! 中学校の卒業アルバムでも見るかっ?」

「奇遇だね。ボクも同じ物を持っているよ」

「小学校のもあるぞ?」

「キミが作文でセンスの溢れる短歌を書いた卒業アルバムがね」

「ノォオオオオオオオオオンッ!」


 …………俺の人生って、どこを振り返ってもマジで黒歴史ばっかりだな。

 何かしら話題を変える道具でもないかと引き出しの中を探していると、覗きこむように首を伸ばしていた阿久津が何やら懐かしい物を見つけたらしく声を上げた。


「あっ! 今のは…………」

「ん?」


 閉じた引き出しを再び開けるが、この段には色々な小物類が入っている。一体何に反応したのかと思ったが、少ししてから気付いた俺はそれらしき物を手に取った。


「ああ、もしかしてこれか?」

「まだ持っていたんだね」

「まあな」


 幼い頃に誕生日プレゼントで貰った、綺麗な深緑色をした玩具のエメラルド。上部に小さな穴が空いていたため阿久津は首飾りにしてくれたが、チェーンではなくタコ糸という辺りに幼さが垣間見える贈り物だ。


「そういや、何でエメラルドなんだ?」

「それは勿論、キミの誕生日である二月の誕生石が…………」

「エメラルドなのか?」

「…………いや、アメシストだね」

「違うのかよっ! ってかアメシストって、アメジストじゃないのか?」

「正式名称はアメシストだよ。ちなみに和名は紫水晶かな」

「へー。じゃあ六月の誕生石は?」

「パールにムーンストーン。それとアレキサンドライトだね」

「二月と違って、随分と多いんだな。エメラルドは何月なんだ?」

「流石にそこまでは知らないよ」


 阿久津のことだし、誕生石どころか宝石言葉とかまで全部暗唱してみせるなんてことがあってもおかしくなさそうだが、全然そんなことはなかったらしい。

 ベッドに座っている少女は、腕を組みつつ難しそうな顔をして考える。


「さて、どうしてだったかな。ボクはキミにそれをプレゼントしたことすら忘れていたからね。幼い頃の話だし、ひょっとしたら理由なんて単に綺麗だからかもしれないよ」

「そんなもんか」

「それにしても、キミがそれを付けてくれた記憶が一度としてない気がするね」

「あー、いや……実はこれ、付けようにも頭が入らなかったんだよ」

「…………ぷっ」


 キョトンとした顔を浮かべた阿久津は、意外な返答だったのか思わず笑い出す。当時は何とかして頭に入らないかと、子供ながらに割と必死だったんだけどな。

 俺も小さい頃は何かしらのプレゼントを渡していたと思うが、一体何を贈っていたのか。そして阿久津はそれを今でも持っているのか……そんなことを考えながら玩具のエメラルドを元に戻すと、幼馴染は思い出したように口を開いた。


「そういえば、蕾君の誕生日がもうすぐじゃなかったかな?」

「9月8日だな」

「プレゼントはちゃんと用意したのかい?」

「ああ。バッチリだ」

「それなら安心だね。キミのことだから、またうっかり忘れていたりするんじゃないかと思ったよ」

「ここ最近はそんなこともないだろ?」

「確かに、そうかもしれないね」


 合宿の時だって時間には余裕を持って行動してたし、以前は目覚まし時計状態だった梅の「はよざっす」も、しっかり起きるようになった今ではリビングでの挨拶になっている。


「この前の蕾君は妙に眠そうだったけれど、一体どうしたんだい?」

「いや、それに関しては俺も聞かなかった」

「そうかい」

「…………」

「………………」


 一通り語り合ったところで話題がなくなる。

 しかし阿久津は梅の部屋に帰ることなく、俺を観察するように眺めていた。


「何だよ?」

「いいや、何でもないさ。キミの方こそボクをジーっと見て、どうしたんだい?」

「俺はただ、お前の髪が伸びてきたなーって思ってただけだっての」

「そうかい? まあ前と同じくらいまで伸びたら、またヘアドネーションするつもりだよ」

「ヘアドネーション?」

「切った髪の毛を、ウィッグを作るために寄付することさ」

「へー。そんなのがあるのか」


 阿久津は腰の辺りまで伸びている長い黒髪を手に乗せつつ答えた。

 掌から零れ落ちた髪はシャンプーのCMに使われてそうなくらいにサラサラしており、頭頂部から先端まで指を櫛のようにして梳いてみたいという欲求がそそられる。


「あまりにもジーっと見ているから、てっきり膝枕でもしてほしいのかと思ったよ」

「あー、あとちょっとだったんだけどな」


 月曜と火曜は全問正解同士による引き分け&俺の勝利と順調だったものの、木曜に敗北してしまったため望みは叶わず。しかも勝敗を分けたのは、たった一問の差だった。

 dialectの意味は『方言』だが、これを『量』を意味するdealと間違えてしまう痛恨のミス。先日の如月の博多弁と相まって、今の俺の頭の中にはdialectが深々と刻みこまれていたりする。


「こんなことなら、最初から言っておけば良かったかな。最初は軽い冗談のつもりだったけれど、まさかここまでやる気になるとは思わなかったよ」

「そりゃまあ……」

「膝枕の何がいいのか、ボクにはいまいちわからないね」

「男にとってはロマンなんだよ。膝枕一つで男の9割は救われるぞ? アニマルセラピーとかミュージックセラピーに続く心理療法として、俺は膝枕セラピーを提唱する!」

「そこまで言うなら、使ってみるかい?」

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