十四日目(月) 初めての手料理が冷やし中華だった件

「え?」

「お昼御飯早かったし、何か軽く作ろうかなって思って」

「いやいや、いきなり邪魔した上にそれは悪いだろ。それに夢野は疲れてるんだし」

「だから別に疲れてなんてないってば。お昼は少し考え事してただけ。それにどうせ望の夕飯も用意しなくちゃいけないから、作ることには変わりないよ?」


 そう言うなり、夢野は部屋を出るとキッチンへ向かう。

 そして冷蔵庫を覗きながら悩んだ後で、くるりと振り返り首を傾げつつ尋ねてきた。


「ねえ米倉君。冷やし中華とかどう?」

「あ、ああ……じゃあ俺も手伝うよ」

「いいからいいから。米倉君はお客さんなんだし、ゆっくり待ってて」


 先日阿久津が米倉家で昼飯を食べる話になった時に似たような主張をしたが、頼りないと一蹴されたのを思い出す。やっぱり夢野にもそんな風に見られているんだろうか。

 とはいえ、確かに料理に自信があるわけでもない。台所に立ちエプロンを付ける少女に歩み寄るも、肩を掴まれくるりと180度回転させられたため大人しく席に座った。


「そういや妹は?」

「今日は図書館に勉強しに行ってるよ。家だと集中できないって」

「あるある。まあ受験生だもんな」

「受験生と言えば、梅ちゃんの調子はどう?」

「夏休み中は阿久津に鍛えてもらったお陰で、かなり成長したみたいだ」

「そっか。屋代に合格できるといいね」

「夢野の妹と一緒にな」

「うん」


 火の前にいて暑いだろうにも拘わらず、夢野は扇風機を俺の向きへ固定。麺を茹でるためのお湯を沸かしながら、溶き卵をフライパンに薄く広げる。

 鼻歌を歌いながら作っている後ろ姿を見る限り、体調はこれといって問題ない様子。夢野の言う通り単に考え事をしていただけで、余計な心配だったんだろうか。


「♪~」


 ポニーテールの尻尾が揺れ、綺麗なうなじがチラチラ見える。スカートの下から伸びている太股、そして膝の裏側も何とも魅力的だ。

 わざわざ俺のために夢野が料理を作ってくれている。

 その実感が徐々に沸き上がりテンションが上がる中、更なる興奮剤が投与された。


「そういえば米倉君、文化祭当日って忙しかったりする?」

「ん? いや、クラスの当番からは逃げたし、せいぜい陶芸部の店番くらいだな。もしかして、F―2の牛丼を食べに来てくれって宣伝か?」

「ううん。もし良かったら、一緒に文化祭回らない?」

「えっ? 一緒にって……俺と、夢野が?」

「うん。駄目かな? ちょっと行きたい所があるんだけど、一人じゃ心細くて」

「いやいやいや、全然OK! OK牧場!」

「ふふ。良かった。二日目のお昼くらいなんだけど、時間とか大丈夫?」

「ああ。陶芸部くらいしか予定もないから、夢野に合わせるよ」

「それじゃあ、後でまた連絡するね」

「ちなみにその行きたい場所ってどこなんだ?」

「それは当日までのお楽しみ♪」


 焼いた卵を細切りにして錦糸卵を作りつつ、少女は嬉しそうに笑う。

 きゅうりやハムといった他の具材も、料理慣れしている包丁捌きで軽快にテンポ良くサクサクサクと刻んだ後で、夢野は麺を茹で始めた。


「…………」


 台所に立つ女子の後ろ姿って、眺めてるだけで物凄くそそられるな。

 制服の上にエプロンという姿は陶芸室で頻繁に見ている筈だが、そこに料理というシチュエーションが加わっただけで、何でこう……ギュっと抱きしめたくなるんだろう。

 今になって気付いたけど、単に手料理を振る舞ってもらうだけじゃなく作るところまで見られるなんて、ひょっとしてこれ結構貴重な体験だったりするんじゃないか?

 シチュエーション的には、新婚生活を始めたばかりの夫婦のイメージだ。




 ★★★




『腹減ったー』

『もう。料理中は危ないから駄目だよ?』

『大丈夫大丈夫。ハグしてるだけだから』

『そんなにお腹空いちゃった?』

『空いた空いた。お、ここに美味しそうな肉まんが!』

『ひゃんっ? 料理中は駄目だってば!』

『柔らかくて美味しそうなのが悪い。良い匂いもするしな』

『だーめ! 食べるなら、夕飯の後でね?』




 ★★★




(…………良い! 凄く良い!)


 心どころか身体までぴょんぴょんしそうになって、いとトゥンクしてる。

 気が付けば目が釘付けになっており、良からぬ妄想が留まることなく悶々と広がっていく。


「――――あるの? …………米倉君?」

「はいっ?」

「米倉君って、食べられない物とかあるの?」

「だ、大丈夫です! 何でも良く噛んで食べますっ!」

「ふふ。食べられない物を聞いたんだけど、突然どうしたの?」

「わ、悪い。えっと……アレルギーとかもないし、家だと好き嫌いするなって言われてるから、これといって食べられないって物はないな」

「じゃあ好きな物は?」

「んー。ラーメンとか、麺類全般だな」

「らーめん♪ わんたんめん♪ たんたんたんたんめんめんめん♪」

「まだ覚えてたのか」

「それはもう、バッチリ! ふーふん♪ ふんふんふん♪」


 俺の作ったラーメンソングを鼻歌で歌いながら冷やし中華を作る夢野が可愛すぎてヤバい。もしも傍に立っていたら、無意識のままギュっと抱き寄せていた気がする。

 本能と理性が激しい攻防を繰り広げる中、少女は茹で上がった麺をざる上げして流水で冷却。熱が逃げた後は氷水に入れ、少ししてから水気を切り皿へと盛りつけた。

 その上に切った具材であるハム、きゅうり、錦糸卵を麺の中央へ立て掛けるように乗せられ、最後にはカニカマをトッピング。付属のタレをかければ、赤・桃・黄・緑と色とりどりな夢野手作りの冷やし中華が完成した。


「はい、どうぞ」

「おおっ! 美味そう! それじゃありがたく、いただきます!」

「召し上がれ♪」


 用意された箸を借り、感謝を込めつつ両手を合わせる。

 箸で持ち上げた麺を口に入れれば、暑い夏にはぴったりな冷たさ。そしてその食感と味も最高で、向かいに腰を下ろした少女へ素直に感想を告げた。


「美味いっ! 超美味いっ!」

「本当に? 良かった」


 前に梅の奴も冷やし中華を作ったことがあるが、その時は麺を茹でる際に箸を折るというミラクルを起こした上に完成品も……いや、思い出すのはやめておこう。

 夢野が嬉しそうに微笑む中、俺の箸はどんどん進んでいく。


「ん…………夢野は食べないのか?」

「うん。私は後で妹と食べるから、気にしないで」

「そっか。何か悪いな。夕飯って、いつも夢野が作ってたりするのか?」

「別にいつもって訳じゃないけど、ここ最近はそうかな」

「へー。そういや前に、弁当も自分で作ってるって言ってたっけ」

「だからそれは冷凍食品とか詰めてるだけだってば」


 謙遜する夢野ではあるが、手際を見ても料理慣れしているのは一目瞭然だ。

 しかしまさかこんな形で手料理を食べさせてもらえるとは思わなかった。これは全国約150万人近くいる男子高校生の誰もが憧れる貴重な体験に違いない。

 あっという間に冷やし中華を食べ終えてしまった俺は、再び感謝の祈りを捧げるように両手を合わせた。


「ごちそうさまでした」

「御粗末様でした。足りなかったかな?」

「いやいや、これ以上ないほどに満足……あ。後片付けくらい俺がやるって」

「駄目。お客さんでしょ?」

「ん……何から何までサンキューな。今度何かしらお礼させてくれ」

「じゃあ、楽しみにしてるね」


 目には目を、歯には歯を、キーホルダーにはキーホルダーをときたら、やはり手料理のお礼は手料理で返すべきなんだろうか? 今度アキトの奴に相談してみるかな。

 残った二人分の冷やし中華は、麺が伸びないようにタレは掛けずにラップをして冷蔵庫へ。俺の食器まで洗ってくれた夢野は、ようやく一段落ついたとばかりにエプロンを外して席に着くと大きく身体を伸ばした。


「悪い、ちょっとトイレ借りてもいいか?」

「うん。お手洗いはそこだから」


 夢野の指差したドアに入ると、芳香剤の良い香りがする。

 色々と懐かしい物や新しい発見はあったが、結局2079円のヒントになるような物は見当たらなかったし、やはり本人に直接聞くしかなさそうだ。


「?」


 そんなことを考えながら用を足した後で食卓へ戻ってみれば、そこにはテーブルに突っ伏している夢野の姿。何だかんだ言ってもやはり疲れていたんだろう。

 考えてみれば元々は見送るだけのつもりだったのに、逆に色々と気を遣わせてしまったかもしれない。長居するのも悪いし、聞くのはまた今度にしてそろそろ帰るべきか。

 そう思いつつこっそり歩み寄り、少女の顔を横から覗き込む。


「…………」


 可愛い。

 その魅力的な寝顔に、思わずドキッとしてしまった。

 このまま眺め続けていたいが、そんなことをしたら再び本能が暴れ出しそうな気がする。

 理性が残っているうちに起こそうと、俺は夢野の額を人差し指で軽く押した。


「っ?」


 気のせいだろうか。

 俺は指一本だけではなく、掌を少女の額へと当てる。

 ――――熱い。

 自分の体温と比べてみても、明らかに平熱ではなかった。

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