五日目(土) メールの最後が膝枕だった件

 橘先輩が帰った後、俺達はコンビニで夜食を購入。まだまだ続く深夜に備えて栄養補給した後は、俺が英単語の記憶を。テツは残っている夏課題へ取り組み始める。

 しかしながら三十分もすると、後輩は集中力が切れて課題を中断。カブトムシを探してくるなどと唐突に言い出し、駐車場で側方倒立回転を始めていた。

 何かやりましょうよと人を堕落へ引きずり込む気満々のテツだが、俺はそれを華麗にスルー。生憎とその手の面倒な輩への対応は、妹で慣れていたりする。


「――――――んごぉおおおおおおお……ガギッ……ゴギッ…………」

「…………」


 そして現在時刻は日付を回って午前0時半。昼に大丈夫だと豪語していた後輩は、伊東先生が戻って来るまで二時間以上残っているにも拘らず爆睡していた。

 歯ぎしりが激しくなってくると、黙々と英単語を覚えていた俺は一旦休憩。大きく身体を伸ばした後で、三十分に一度の温度確認を行うが一向に問題はない。


「んごぉおおおおおおお…………ずびぃいいいいいいい…………」


 陶芸室へ戻るなり、盛大ないびきが出迎える。騒音被害を訴えたいレベルにも拘わらず、この凄まじさを知っているのは俺だけというのが今一つ納得いかない。

 何となく悪戯心が沸き、ノートを千切りつつテープを用意。でかでかとペンで『いびきと歯ぎしりがマジでヤバイ』と書いてから、テツの背中にペタリと貼る。

 そしてその姿を写真に撮ると、メール作成画面を開いた。


「………………」


 昼の時点で眠そうだったし、夢野はきっともう寝ているだろう。

 時間が時間であり下手に起こすのも悪いので、宛先には阿久津のアドレスを挿入。本文に『結局俺一人の窯番になった』と添えて写真付きメールを送信した。


「…………」

「んごぉおおおお……ごっ………………」

「っ?」

「…………ずびぃいいいいいいい…………んごぉおおおおおおお…………」

「………………」


『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』


「!」


 時折いびきが止まり不安になる中、送信から二、三分で携帯が震え出す。

 どうやら阿久津は起きていたらしく、返信を確認してから新たに返事を作成した。




『先輩は帰ったんだね。キミは大丈夫なのかい?』


『橘先輩なら二時間くらい前に帰ったな。俺の方は昼に寝たからバッチリだ。さっきまでは明後日の勝負に備えて単語を覚えてたけど、見ての通り思わぬ妨害が入った』


『それは災難だったね。合宿の時にも言っていたけれど、いびきと歯ぎしりはそんなに酷いのかい?』


『60デシベルは軽く超えてるだろうな。掃除機くらい……いや、セミの鳴き声レベルか? 信じられないって言うなら、いっそ録音して後で聞かせてやるぞ?』


『それは遠慮しておこうかな。それだけ大きいとあれば、仮にキミがうっかり寝るようなことがあっても目覚ましの代わりになるじゃないか』


『今回は大丈夫だっての。そんなに不安か?』


『勉強が嫌いらしいキミが単語の記憶なんて眠くなりそうなことをしていると聞いて、少し不安になったかな。まあこうしてボクにメールを返している限りは安心だけれどね』


『今は休憩中だからな。そっちはもう寝るところだったか?』


『いいや、もう少し起きているよ。話し相手がいなくて退屈なら付き合おうか』


『サンキュー。眠くなったらいつでも寝ていいからな。そういや梅の奴は、阿久津から見てどんなもんなんだ?』


『屋代に受かるかどうかと言われると、今のところはまだ何とも言えないかな。ただ夏明けは間違いなく伸びるだろうね』


『マジか。流石だな。夏期講習代は姉貴に請求しておいてくれ』


『単にボクが好きでやっているだけだから、その必要はないよ。それに点数が上がったとしても、それは単にキミと同じで梅君の呑み込みが早いだけさ。指示した宿題もしっかりやってきてくれているからね』


『いやいや、阿久津が教えてなかったら絶対あそこまでやらなかったからな。例え梅の呑み込みが早くても、アイツが勉強する気になったのは阿久津のお陰だって』


『褒められたところで何も出ないけれど、そう言ってもらえるとお役に立てたようで何よりかな』


『夏課題を放り出して遊び始めた後輩を見て、やる気を出させることの難しさがわかった気がしてさ。コイツの宿題の残り具合を見てると、一年前の自分を思い出すよ。これは最終日に徹夜コースだ』


『受験を控えた中三の夏と、入学して数ヶ月の高校一年生ならやる気も違うさ。そう思うなら、起こしてあげたらどうだい?』


『いや、最終日になって痛い目を見るまでは起こしても無駄だろうな。まあ俺も梅の勉強に付き合わされなかったら、まだまだ課題が残ってただろうけどさ』


『キミは昔から溜めこむタイプだったからね。小学生の頃の歯磨きカレンダーだって、最終日になってから一気に色を塗っていただろう?』


『あったあった! 青、青、青、青、黄色、青、青って感じで、時々わざと駄目な日を交ぜたりしてたわ。歯磨きカレンダーとか、懐かしいな』


『できることなら来年の宿題はしっかり自分で管理してもらいたいところだね』


『流石に来年は大丈夫だろ。ってか今気付いたけど、もうちょっとしたら高校生活も半分が終わるんだな。入学したのって、ついこの前じゃなかったか?』


『時間が経つのはあっという間さ。前にやった窯の番ですら一年近く前じゃないか』


『今日のテツを見てると、あの時の俺はこんな感じだったのかって思うな。色々と迷惑掛けてすいませんでしたっ!』


『ボクの苦労がわかってもらえたなら何よりだよ』


『本当、サンキューな。陶芸部に誘ってくれたこと、マジで感謝してる』


『…………寝惚けているのかい?』


『何でそうなるんだよっ? 寝惚けてないっての!』


『寝惚けていないとなると、明日は雪だね』


『台風なら向かって来てた気がするけど、明日の天気は晴れだったな。いっそ雪でも降って、暑い夏がさっさと終わってくれた方が個人的には助かる』


『冬になって修学旅行が終わったら、後はもう受験しか待っていないかな』


『それはそれで嫌だな。ってか、俺が礼を言うのってそんなにおかしいか?』


『時間が時間だからね。てっきりまた膝枕でもする必要があるのかと思ったよ』


『仮にここにいたら、してくれたような口振りだな』


『してほしいのかい?』


『そりゃしてもらえるなら、してもらいたいけどな』


『それならこうしようか。残り四回の英単語勝負でキミがボクに一度も負けなかったら、膝枕してあげても構わないよ』


『言ったな?』


『できるものならね。この方が、キミも英単語の記憶に熱が入るだろう?』


『じゃあそっちが全勝したら、俺が膝枕をしてやる』


『どうしてそうなるんだい?』


『じゃあ何枕が良いんだ?』


『どの枕も遠慮しておくよ。それじゃあ悪いけれど、ボクはそろそろ寝かせてもらおうかな。伊東先生が戻ってくるまでの残り一時間ちょっと、宜しく頼んだよ』


『おう。付き合ってくれてサンキューな』




「…………」

「――――んごぉおおおおおおお――――」

「………………」

「――――ガギギッ! ゴギャッ……ずびぃいいいいいいい――――」

「おっしゃ!」


 気合いが再注入された俺は、いびきなど気にも留めず英単語の記憶を再開する。

 月曜の分だけじゃなく火曜、木曜、金曜の範囲も覚えていると、気付けばあっという間に午前三時となり伊東先生が帰還。そして寝ているテツの破壊力(物理)を見るなり、苦笑いを浮かべるのだった。

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