八月(下) 櫻取物語

「今日は忙しい中、ありがとうございました」

「……ました」


 八月も終わりが近づいてきたけれど、まだまだ暑い日は続く。

 元気に蝉が鳴いている中、今日は部員全員で陶芸部の大掃除。協力してくれた先輩達にお礼を告げて、綺麗になった部室に残っているのはボクと音穏だけだ。


「……ミナ、お疲れ」

「ん、音穏もお疲れ様」


 伊東先生に差し入れされた、お茶のペットボトルで乾杯する。

 中学の頃は部室なんてものが無かった。

 一応バスケ部には体育館の隅にある一畳サイズの小部屋が与えられていたけれど、大掃除なんてする機会はなかったし物が散乱していてボクは使わなかったかな。


「……どうかした?」

「いや、これからが大変になると思ったのさ」


 先輩達は夏期講習の合間を縫って手伝いに来てくれた。それどころか受験生にとって忙しくなる時期なのに、文化祭の販売までサポートしてくれたらしい。

 理由はボクと音穏が販売未経験の一年生であり、陶芸部には二年生が一人もいないため。そして先輩が引退した後に陶芸部へ残るのも、ボク達二人だけだ。


「音穏は明日筋肉痛になるんじゃないかい?」

「……(コクリ)」

「普段の活動をする分には何一つ問題ないけれど、大掃除や文化祭は人手がいるね」

「……部員欲しい」

「来年の勧誘には力を注ぐとして、当面の問題は冬の大掃除かな」


 一台につき四十キロ近い電動ろくろが十二台……普段は遊んでばかりの頼りない橘先輩だけれど、あの人がいなかったら正直もっと時間が掛かっていたと思う。

 必要なら冬も呼べとは言っていたけれど、流石にセンター試験前とかに呼ぶのは気が引ける。だからといって伊東先生に迷惑を掛けるのは申し訳ない。


「ふむ、男手か……」


 クラスで頼りになりそうな男子は……あまり当てにしない方が良さそうかな。

 ただ来年に部員が入る保証もない以上、対策を打つなら早いに越したことはない。


「音穏のクラスには、陶芸部に入ってくれそうな男子はいるかい? 部活に入っていないとか、転部や兼部を希望しているとか」

「……いるけど、私よりミナから言った方が良い」

「音穏は人見知りだからね。ただ面識があるならまだしも、顔も名前も知らないボクが教室に乗り込んで陶芸部に入ってくれなんて頼んだら相手も困るさ」

「……面識ならある」

「どういう……ああ、そういうことかい? 何を言っているのかと思ったけれど、そう言えばボクも知っている相手が一人だけいたね。すっかり忘れていたよ」


 米倉櫻。

 ボクの幼馴染……いや、馴染んではいないから幼知人かな。


「中学時代も帰宅部だったけれど、高校でも帰宅部なのかい?」

「……多分」


 屋代には陶芸部みたいに、他の学校にはない部活が沢山あるのに勿体ない。そんな消極的だと、また根暗なんてあだ名を付けられても仕方ない話だね。


「音穏。彼には期待しない方がいい」

「……何で?」

「まず飽きっぽいし、いい加減で、何より陶芸なんて柄じゃない。仮に入ったところで幽霊部員が関の山……長続きせずに退部するのがオチさ」

「……そうなの?」

「普段の様子を見て、そう感じなかったのかい?」

「……数学の時間に居眠りしてた」

「変わらないね」

「……でも、先生に指された問題は解けてた」


 そういえば数学棟のランキングに貼り出されていたかな。中学の頃から数学だけは得意だったからね……苦手だった英語辺りは、きっと今でもズタボロだろう。


「……ミナ、嫌いなの?」

「少なくとも、好きではないかな」

「……なら諦める」


 肩を落とし項垂れる音穏を見て、少し複雑な気持ちになる。

 確かに受験期は頑張っていたようだけれど、そんなのは当たり前のこと。マイナスからゼロに戻っただけの相手を褒めるべきじゃないだろう。

 そして何より、ここまで部員に期待している音穏をぬか喜びさせたくはない。


「そのうちフラっと誰か来るかもしれないさ。さて、そろそろ帰ろうか」

「……うん」


 気休めの言葉を口にした後で、ボク達は陶芸室を後にする。

 それにしても音穏から櫻の話が出るとは思わなかった。クラスで過ごしている彼は、部活に誘っても良いと思えるくらいには成長……いや、回帰したんだろうか?


「…………」


 夜になって、ボクは梅君に連絡を取った。向こうからメールはちょくちょく届いていたけれど、こちらから話を振るのは随分と久し振りかもしれない。


『桃ちゃんがいなくなって、変わったことはあるかい?』

『オカズの量が増えた!』

『それは何よりだね。櫻はどうだい?』

『相変わらず毎日ゴロゴロ。漫画読んでゲームばっかり!』


 夏休みに限らず、普段の平日や休日もそんな感じなんだろう。もしかしたら桃ちゃんがいなくなったことで、一層エスカレートしている可能性すらある。


『あ、でも今日は必死に勉強してたよ!』

『それは梅君と同じで、夏休みの宿題をやっていなかっただけじゃないのかい?』

『何でわかったのっ? ミナちゃんエスパータイプっ?』

『自分ではノーマルタイプのつもりだよ。勉強中に邪魔をしてすまなかったね』

『発明が舞い降りな~いっ! 創意工夫が浮かばな~いっ!』

『また面倒な宿題を残したね』

『良い風景が見当たらな~いっ! 本の感想が思いつかな~いっ! ワークが見当たらな~いっ! 研究しない自由が欲しい~っ! 助けてミナえも~ん!』

『諦めよう』

『試合終了しちゃった!』

『全く何をやっていたんだか……ボクと話している暇があるなら、次期部長としての面目が潰れないように一つでも宿題を消化するべきだよ』

『了解であります! それじゃ、梅梅~』


 昔は家に招かれて付き合わされたけれど、ここ数年はそんなこともなくなった。

 付き合うと言っても、当然ながらボクが宿題をする訳じゃない。せいぜい発明やら感想を引き出すアシストと、勉強する環境作りもとい監視役を引き受けるだけだ。


「…………」


 そう考えると期限に追われているとはいえ、自分でやっている櫻はまだマシ……いやいや、それはいくらなんでもハードルが低すぎるかな。

 こんなことで悩むくらいなら、せっかく買ったキャットタワーでアルカスを遊ばせる方法を考えた方が良さそうだ。全く、いくらなんでも無関心すぎないかい?


「よしよし良い子だ。おいでアルカス」

「にゃーん」

「やれやれ。キミも困った奴だね」


 本当、誰かさんにそっくりだよ。

 二学期が始まって、登校の際に偶然ボクと出くわした誰かさんとね。


「やあ」

「よ、よう」


 半袖のYシャツに身を包んだ、冴えない顔の男子生徒。斜め向かいの家から姿を現した彼こそ、梅君の兄である米倉櫻だ。

 ボクより少し大きいけれど高校男子としては平均的な身長に、大して筋肉質でもない細身の身体。陶芸室にある電動ろくろを、一人で持ち上げられるかも疑わしい。


「キミにしては随分と早起きじゃないか」


 この半年間、登校時間が重なることは一度もなかった。

 まあ櫻は自転車通学でボクは電車通学。一緒に居合わせるのは一分足らずだ。


「最近、梅の奴に毎朝起こされるんだよ」

「成程ね。それは何よりだよ」


 先日騒いでいた夏休みの宿題も無事に全部終わったと連絡が来たし、桃ちゃんがいなくなって自立したのは梅君の方だったかな。


『水無月ちゃん。私がいない間、梅と櫻のこと宜しくね~♪』


 …………全く、桃ちゃんは昔から本当に変わらないね。

 何も考えずに言ったのか、ああ言えばボクが気に掛けるとわかっての発言か。いつぞやドッヂボールを特訓した時も、企画だけしてボクに任せきりだったじゃないか。

 まあそれでも色々と世話にはなったし、借りは返しておくべきかもしれない。


「な、何だよ?」


 自転車に跨った姿をジーっと見ていると、櫻が気まずそうに尋ねてくる。




「………………キミは暇だろう?」




 一体何から話すべきか考えた結果、そんな言葉が口から出ていた。

 ポカーンとした表情を浮かべられたが、ボクは構わず話を続ける。


「梅君から聞いているよ。家に帰った後はゲームに漫画。少しは部活に入るなりアルバイトでもするなり、何かしら貢献したらどうだい?」

「バ、バイトなら……コンビニとか、そのうち――――」

「するとは思えないからボクから提案だ。陶芸部に来ないかい?」

「へ……?」

「こちらも少し人員が不足していてね。ああ、別に答えは今すぐじゃなくて構わないよ。寧ろ仮に来るとしたら、文化祭が終わった後にしてくれる方が助かるかな」

「いや、えっと……」

「興味があるなら詳しい話はキミのクラスにいる音穏……冬雪君から聞くといい」

「ふ、冬雪……?」

「まあキミがバイトを始めて忙しくなるなら、ボクは別に構わないけれどね。ただ家で毎日ゴロゴロするよりは部活動でもする方が、誰がどう見ても得策だと思うよ」


 これだけ釘を刺せば、少しは真面目にバイトを始める気にもなるだろう。

 仮に陶芸部へ来るなら、それはそれで構わない。音穏の期待を裏切って幽霊部員になっても、ボクとしては大掃除の時だけ協力してもらえればいい話だ。


「繰り返すようだけれど、キミは暇だろう?」


 もしも櫻が真面目に陶芸をしたら?

 それでもボクは今までと変わらず過ごすだけ……監視役を引き受けるだけさ。

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