八月(上) 少女の日の思い出

もも、忘れ物してない?」

「お財布よ~し! 鍵よ~し! 櫻のパンツよ~し! 携帯よ~し!」

「ちょっと待って桃姉っ! 今変なのあったよっ?」

「そうね~。やっぱ実家の鍵は置いていこうかしら~」

「そこじゃないよっ? パンツっ! 桃姉、何でお兄ちゃんのパンツ持ってるのっ?」

「何でって…………無断で拝借してきたから?」

「ヴェエエエッ?」

「ほら桃、だから言ったじゃない。やっぱりお父さんのパンツにしておきなさい」

「お母さんまでっ?」


 うんうん、流石は私の妹。良い反応するわ~。


「あら、うめには話してなかった? 女性の一人暮らしは下着泥棒とか変質者に狙われやすいから、洗濯した時に男物のパンツを一緒に干しておくといいのよ」

「はえ~。 そ~なんだ~」

「ね~。桃姉さんもお母さんから聞いてビックリよ~。後は櫻の靴履いてっと」

「はえ? それも何かに使うの?」

「あ~した天気にな~れっ♪」

「占いたかっただけっ?」

「冗談よ冗談。はいは~い。準備オッケーで~す!」

「夏だから食べ物に気を付けて。後はたまには顔出しに戻ってきなさい」

「了解了解♪ ではでは行って参りま~すっ!」

「梅も行ってきま~す!」


 ドアを開けた瞬間、むわっとした熱気……本当、あつはなついわね~。

 そんな真夏にも拘らず駅まで見送ってくれる優しい妹と共に、十八年間過ごした我が家を出発。今日から桃姉さんの一人暮らしが始まろうとしているのでした。


「梅も一人で暮らしたいな~」

「寂しがり屋の梅には難しいんじゃない?」

「そんなことないもん!」

「本当に~? 桃姉さんがいなくても、ちゃんとやっていける~?」

「やっていける!」

「毎朝お兄ちゃん起こしてあげられる~?」

「あげられる……って、そんなことするのっ?」


 うんうん、流石は私の弟。見送りしないせいで梅からの評価が下がってるわ~。


「だって桃姉さんいなくなったら、櫻に構ってあげる役がいなくなっちゃうじゃない」

「む~……でも桃姉が出発する今日だって起きない薄情者だし……」

「それは梅の起こし方が甘かったからよ~。軽く揺さぶる程度じゃなくて、上からボディプレスとか洗濯バサミ使うとか色々工夫しなくちゃ!」

「そっか! じゃあ色々やってみる!」

「うんうん。梅のそういう素直で優しいところは、昔の櫻にそっくりね~」

「はえ? 昔のお兄ちゃんって、こんな感じだったの?」


 幼稚園の話は、桃姉さん既に小学生だったから詳しく知らないの。ただ女の子みたいに可愛くて優しい子だったから、割とモテモテだったみたい。

 小学校一年生の頃は、もう水無月ちゃんとラブラブ。ご近所さんで食事に行った時も「さくらくんちゅき~」「みなちゃんだいちゅき~」ってイチャイチャよ。


「そりゃもう、虫も殺せないくらいに優しかったんだから~」

「牛っ?」

「虫よ虫。牛を殺せない優しさって、ただのベジタリアンじゃない」


 二年生になると少しヤンチャになった……っていうより、何事にも興味津々だった感じね。隙あれば質問ばっかりで、お母さんが大変そうだったわ。

 そんな櫻が初めて大きな壁にぶつかったのは、きっと三年生かしら。


「昔の櫻の話、聞く?」

「聞きたい!」


 今から七年前、夏休みに入るちょっと前のこと……桃姉さんの昔話、始まり始まり~。




 ★★★




「ただいま~」

「お帰り~。桃、ちょっといい?」

「どうしたのお母さん?」


(あ、これ昔の桃姉? 可愛い!)

(でしょ~? 六年生で~す!)


「櫻が何か悩んでるみたいだから、話を聞いてあげてくれない? お母さんには話してくれなかったけど、桃なら話してくれるかもしれないから」

「わかった!」


(お母さん、何で悩みがあるってわかったの?)

(ただいまの一声を聞けば、何かあったかくらいはわかるんだって)

(何それ凄いっ!)

(本当、偉大よね~)


「何かわかったら、夜ご飯はエビフライ三本!」

「高速ダァッシュ!」


(…………偉大……だよね?)

(偉大よ~。まあ結局エビフライは二本だったのよね~)


「櫻~、どうしたの~?」

「…………」

「話してくれたら、このチョコバットをあげても――――」

「要らない」(ボキッ)

「バァ~~~ットッ?」


(うわ~、梅引くわ~)

(反抗期なら仕方ないわよ。梅だってこういう時期はあったんだから)

(え~? 梅は反抗期なんて無かったよ?)

(皆そう言うのよね~。ちゃ~んと梅にもあったって、お母さん言ってたわよ?)

(む~……それより、桃姉はこの後どうしたの?)

(勿論、櫻のことを一番良く知っている人に聞いてみました♪)


『ピンポーン』


「あ! ももちゃん! どうしたの?」

「櫻が悩んでるんだけど、水無月ちゃん何か知らない?」

「さくらくんが? うーん……何だろ?」


(ミナちゃんだ……って、口調が変っ?)

(昔はこんな感じだったのよ。髪の毛もまだ、梅よりちょっと長いくらいね)

(今は物凄く長いもんね)

(まあ実はその前に…………と、今は話の続き続き~♪)


「じゃあ何かわかったら教えてくれる?」

「うん! 私もさくらくんに聞いてみる!」


(昔のミナちゃん可愛い!)

(でしょ~? という訳で、水無月ちゃんが一晩で調べてくれました)

(早っ! ミナちゃんって、昔から桃姉を凄く慕ってたよね)

(言われてみれば、何でかしら? まあまあ、話は進んで翌日よ~)


『ピンポーン』


「はいは~い。あら水無月ちゃん」

「ももちゃん……さくらくんが落ち込んでる理由、わかったよ」

「本当っ?」

「うん……わたしのせいなの」

「?」

「ドッヂボールで、友達に要らないって言われちゃって……」


(桃姉、どゆこと?)

(梅はトーリッチって覚えてる? ほら、二人の代表がジャンケンするやつ)

(うん! 覚えてる! メンバーを一人ずつ選んでいくあれでしょ?)

(そうそう。ああいう取り合いジャンケンって最後まで残されるだけでも傷つくのに、櫻は戦力外通告されちゃったのよね~。それも女の子相手に!)

(お兄ちゃん、弱かったの?)

(梅はまだ一年生だったから覚えてないか~。近所で遊ぶ時って基本的に走る遊びばっかりで、ボールはあんまり使わなかったでしょ?)

(リレーに高鬼、氷鬼、色鬼……本当だっ!)

(だからこの近所に住んでる子って、皆して脚だけは速くなったのよね~。たま~にドッヂボールもやったけど、櫻は投げるのも取るのも苦手で逃げてばっかりだったの)


「でもそれが、どうして水無月ちゃんのせいなの?」

「普段はその友達と私がジャンケンするんだけど、昨日の昼休みは私がウサギ小屋に行ってて……それで……」


(櫻の弱さが浮き彫りになっただけなのに、本当に優しい子よね~)

(ミナちゃんはドッヂボール強かったの?)

(桃姉さんや梅と一緒で、水無月ちゃんは球技得意だったわね~。それに小学校中学年の頃は、身体の発達の関係で男の子より女の子の方が強かったりするのよ)

(はえ~。そ~なんだ~)


「それじゃあ櫻を強くしなくちゃ!」

「え?」

「ドッヂボール! 櫻が取り合いになるくらい強くなれば、万事解決でしょ?」

「で、でもどうやって?」

「特訓よ! 桃姉さんと水無月ちゃんで、櫻を鍛えるのっ!」




 ★★★




「まあこんな感じで、櫻は優しい子から強い男の子になったのでした!」

「ぱちぱちぱちぱち~」

「梅も困ったことがあったら、一人で悩まずに相談しなくちゃ駄目よ?」

「うん、わかった!」


 まあこの話、実は続きがあるんだけどね~。

 残念だけどタイムアップの梅とは改札でお別れ。階段を下りるとホームには丁度良く電車が待機中……この炎天下の中で待たずに済んでラッキーラッキー。


「あら?」

「ん……やあ、桃ちゃんじゃないか」

「これまた凄い偶然ね~。水無月ちゃん、夏休みなのに今日も学校?」

「部活さ。文化祭も近いからね」

「確か……陶芸部!」

「正解だよ。そう言えば桃ちゃんは、今日が旅立ちだったかな」

「そうなのよ~」


 腰の辺りまで伸びる、長くて綺麗な黒髪。

 そんな水無月ちゃんだけど、物凄く髪を短くしていた時期があるの。

 それが小学三年生。

 櫻が悩んでた原因は、ドッヂボールの他にもう一つ。男女を意識し始める第二次性徴期に、水無月ちゃんと一緒なのは男友達から仲間外れにされる原因だったみたい。

 お母さんも桃姉さんも、それには気付かなかった。

 最初に気付いたのは、勿論この子。


『みなちゃんっ? その髪、どうしたのっ?』

『別に、どうもしてないよ。それよりさくらくん……じゃなくて、櫻』

『えっ?』

『これからわた……ボクを呼ぶ時は、みなちゃんじゃなくて呼び捨てにするんだ』

『話し方も変だよっ!』

『別におかしくなんてないさ。さあ、今日も特訓しようか』


 健気な女の子にここまでさせるなんて、我が弟ながら本当に罪な男よね~。

 でもそんな努力の甲斐あって、ミナちゃんは男子グループに溶け込んだみたい。二人で一緒に夏祭り行ったりもして、本当に仲良しだったわね。


「何を笑っているんだい?」

「さ~、何ででしょうか~?」

「桃ちゃんは相変わらず何を考えているかわからないね」

「あらあら~。そんなことないわよ~」


 二人が疎遠になり始めたのは、四年生の終わりの頃だったかしら?

 桃姉さんは中学生になってたし、そこから先はあまり知らないの。ただその頃から今に至るまで水無月ちゃんはずっと髪を伸ばし続けてる……きっとまた困り者の弟が何かしでかしたんでしょうね。


「それじゃボクは失礼するよ」


 棒付き飴を咥えた水無月ちゃんとは、屋代に着くとお別れ。わざわざ振り返って発車するまで律儀に見送ってくれる辺り、この子は本当に優しい子よね~。

 だから桃姉さん、ドアが閉まる直前で言っておきました。


「水無月ちゃん。私がいない間、梅と櫻のこと宜しくね~♪」


 物凄く何か言いたげな顔をしてたけど、桃姉さん知~らないっと。

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