十八日目(日) 桜も櫻も見せ場だった件
梅が行こうと言った場所は銭湯というよりも、風呂だけでなくマッサージやトレーニングコーナー、食堂など色々ある健康ランドだった。
一人男湯に入ると、疲れた身体を洗い流す。屋内の天井で男湯と女湯が繋がっているとか、露天風呂の柵の向こうで姉貴達の声が聞こえるとか、そんな構造になっている訳もない……ってか本当にあんのかよ?
阿久津の旅館羽織姿は中々にレアだったが、それ以外は特筆すべき点も無し。座敷にて夕食を食べた後、もう一風呂浴びてから俺達は公衆浴場を後にした。
「――――で、あの後に回ったらね……わんこっち! あの懐かしのわんこっちがあったんだよ! 勿論にゃんこっちも一緒に置いてあって――――」
元気一杯な妹の声が耳に入り、ゆっくりと目を開ける。
どうやら車に揺られているうちに眠ってしまったらしい。それもかなり寝ていたのか、窓の外を見ると既に見知った辺りまで帰って来ていた。
助手席に座る梅が姉貴にホビーショーの話をしている点は、目を閉じる前と何一つ変化なし。姉貴も疲れている筈だが、そんな様子は微塵も見せない。
「…………」
ふと隣を見ると、阿久津は頬杖をついて外の景色を眺めていた。
切ってもなお長い髪が、開けられた窓から入る風によってサラサラと靡く。黙っていれば可愛い横顔と合わせて、思わず見惚れてしまう程に綺麗だった。
「?」
ボーっと眺めていて、ふと違和感に気付く。
静かに口呼吸をしていた少女は、俺の視線に気付くと軽く視線を向けた。
「ん……起きたんだね」
「あ、ああ」
「………………」
どことなく顔色の優れない阿久津は、おもむろにポケットへ手を入れる。取り出した棒付き飴を見て確信を得た俺は、少し考えた後で運転手へ声を掛けた。
「姉貴、
「え~? 突然どうしたのよ? 家までもうすぐじゃない」
すぐと言っても、一分や二分は掛かる。
今の阿久津にとっては、その僅かな時間が死活問題かもしれない。
「あっ! ひょっとして夜桜見に行くのっ?」
「成程納得っ! 櫻もたまには良いこと言うじゃない!」
梅がとんちんかんな解答をするものの、幸い乗り気になった姉貴は代山公園へ車を入れる。先に阿久津だけ下ろすか悩んだが、駐車の腕が上がっていて助かった。
棒付き飴を咥えつつ遠くを眺めていた少女は黙って車を降りる。口数が少なくなっている辺りから考えても、やはり食後の運転で酔っていたようだ。
「わぁ~っ!」
とりあえず一安心と胸を撫で下ろす中で、梅が歓喜の声を上げた。
幼馴染から視線を外すと、今更になって周囲の風景に気付く。
「――――」
月明かりに照らされた満開の桜。
桃色というより白色に近い花びらが、広い公園で淡く浮かび上がっていた。
微かな風が吹くと枝は揺れ、粉雪のように花びらが散る。
そんな絶景に思わず魅入っていると、梅と姉貴がビシッとポーズを決めた。
「ウメレンジャーッ!」
「モモレンジャーッ!」
「「二人揃ってサクレンジャーッ!」」
「錯乱ジャーの間違いだろ」
他にも夜桜見物に来ている客はいるし、恥ずかしいからやめてほしい。
再び阿久津に視線を戻すと、少女もまた櫻に……じゃなくて桜に目を奪われていた。遠くの緑じゃないけど、これで少しは回復してくれるだろうか。
「桃姉桃姉! トランクにレジャーシートとか入って…………はれ?」
花見をする気満々の妹だったが、ミニスカのポケットからガラケーを取り出す。どうやら電話が掛かってきたらしく、耳に当てるなりいつも通りに応えた。
「もし~ん! うん、うん、一緒だよ? は~い」
「誰から?」
「お母さんから。桃姉にチェンジ!」
「そういう誤解を招く発言をするな」
梅からガラケーを受け取りながらも、姉貴は不思議そうにポケットからスマホを取り出す。あちゃーという顔をしたため、どうやら電源が切れていたらしい。
一応俺も自分の携帯を確認してみるが着信なし。まあ姉貴にベッタリなのは俺より梅の方だし、母上の判断は正しいと言えるがちょっと悲しくなる。
「はいは~い。うん、電池切れちゃってた。今? 代山公園だけど………………あらら? うん、うん、はいは~い。了解で~す」
「お母さん、何だったの?」
「緊急で車使うことになっちゃったって。お花見はまた今度ね」
「え~」
通話を切った姉貴は画面を拭いてから、梅に礼を言いつつガラケーを返却する。俺はチラリと幼馴染を見るが、まだ安全ラインを確保したとは言い難い。
ここからなら家まで歩いても十五分程度。しかし俺が徒歩での帰宅を提案すれば、阿久津は間違いなく「問題ない」と応え、無理をしてでも車に乗るだろう。
「それじゃあ桃姉さんは梅を乗せて先に家へ戻るから、櫻と水無月ちゃんの二人は花見を楽しんでから歩いて帰るってことで」
「!」
まるで俺の心を読んだかの如く、姉貴がそんなことを提案する。
当然ながら阿久津は不可解な表情を浮かべると、もっともな質問を返した。
「どうしてそうなるんだい?」
「この車、二人乗りなのよ~」
いやいや、つい数分前まで四人乗りだっただろ。
納得していない様子の阿久津だったが、姉貴が何やら耳打ちをする。流石に声が小さすぎて聞き取れなかったが、姉貴が耳元から離れるなり幼馴染は溜息を吐いた。
「櫻~。ちゃんとエスコートしてあげなさいよ~?」
「え? あ、ああ……」
「梅、カモンッ!」
「らじゃ~っ!」
普段なら花見をしたいだの、ミナちゃんと一緒にいたいだの、色々とブーブー文句を言いそうな妹だが、今日に限って妙に物分かりがいい。
阿久津の車酔いに気付いていたのか、はたまた単なる御節介なのか。姉貴と梅が車に乗り走り去っていく様子を見届けた後で、自販機でサイダーを購入した。
「ほら、俺の奢りだ」
「どういう風の吹き回しだい?」
「元気の素のお返しだよ」
「ふむ。そういうことなら、ありがたく貰おうかな」
乗り物酔いには柑橘類の入っていない炭酸飲料が良い。素直に受け取った阿久津はプシュッと音を立ててキャップを開けると、一口飲んでから手すりに寄りかかる。
「…………すまないね」
「何で謝るんだよ?」
「ボクのせいで、疲れているキミまで徒歩に付き合わせたことさ」
「寝ると体力は全回復ってのは、どんなゲームでも常識だろ」
「確かにアンデッドにとっては数少ない回復方法だね」
「誰がアンデッドだ」
「車内で酷い寝顔を見せていたからさ。見るかい?」
「また撮ってたのかよっ?」
「冗談だよ。梅君に付き合って食べたデザートが失敗だったかな」
そんなことして酔うほど阿久津も馬鹿じゃない。苦笑いを浮かべた幼馴染は静かに立ち上がると、大きく身体を伸ばしてから口を開く。
「せっかくだし、桜でも見て回ろうか」
「おう。思う存分に見ろ」(荒ぶる鷹のポーズ)
「………………はぁ」
「何で溜息を吐くんだよっ?」
「そこの桜がバラ科・スモモ属なら、キミの分類は愚科・低属かな?」
どうやら罵倒できるくらいには回復したみたいだな。
バ科にされなかっただけマシかと思いつつ、公園のジョギングコースをのんびり歩く。幼い頃に遊んだ公園だが、ほとんど昔と変わっていない。
「ここへ来るのも久し振りだね」
「そうだな」
最後に来たのは……中学生の夏休みに風景画を描いた時だったか。最初は真面目に描いていたけど、失敗したから全部灰色にして曇り空って出した気がする。
それより昔の幼い頃には阿久津や友人と一緒に蝶やクワガタ、トンボなどを捕まえに来た思い出の場所だ。
「覚えているかい? キミがトンボに噛まれた時のこと」
「ああ、あれだろ? ケンジの奴が自信満々に羽を持てば大丈夫って言うから、言われた通りに持ったらトンボがこう身体を捻って噛んできたやつな」
「そうそう。キミは似たようなことを、ザリガニの時もやっていたね」
「ん? ちょっと待て。そんなことあったか?」
「あったさ。だるま沼に行った時に――――」
昔話で思い出話に花を咲かせながら、ふと改めて感じる。
阿久津と過ごしていた時間は、本当に楽しかった。
それは今でも言える。
コイツといると安心して、不思議と落ち着いている自分がいた。
「……………………」
公園内を半周した俺達は、何の変哲もない桜の木の下で足を止める。
大した理由は無いのに、遊ぶ際の集合場所はいつもここだったっけ。
「さて、そろそろ帰っ――――」
舐め終わった飴の棒をゴミ箱へ捨て、戻ってきた少女が躓いた。
急に自分の方へ倒れてきた幼馴染を受け止めようとする……が、足が疲れきっていて踏ん張りが効かず、そのまま押し倒される形で俺達は芝生に倒れ込んだ。
「すまない! 大丈夫かい?」
「あ、ああ……」
後頭部をぶつけたが、地面が地面なので痛みはない。
胸に顔を埋める形で転んだ少女から、シャンプーの良い香りがする。
そして俺は仰向けに倒れながらも、彼女を離さず抱きしめたままだった。
――ドクン――
俺は阿久津が好きだ。
だからこそ、今のままでいい。
告白して関係が壊れるくらいなら、ずっとこのままでいい。
………………今までは、そう思っていた。
『残念ですが、片想いの相手がいます。だから先輩とは付き合えません』
『今のキミになら渡しても大丈夫そうだからね』
『全く、キミは本当に世話が焼けるね』
『確かにボクは最低だったキミを知っている……けれど、今のキミも見ているよ』
――ドクン、ドクン――
…………阿久津はどうなんだろう?
俺が感じていることを、同じように感じているんじゃないか?
仮にそうなら……?
彼女も俺のことを想っているとしたら…………?
「なら良かった。それでキミは、いつまでボクを拘束するつもりなんだい?」
両手を地面について、上体を少し浮かせた阿久津は静かに尋ねた。
その質問には応えない。
代わりに、少女の軟らかい肢体を抱える手に力が入る。
「……………………櫻?」
――ドクン、ドクン、ドクン――
「なあ、阿久津」
倒れたままで恰好はつかないが、離したくなかった。
綺麗な月が浮かぶ夜空を背に、俺は幼馴染を真っ直ぐに見つめる。
「お前のことが好きだ――――」
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