十八日目(日) 着ぐるみが世紀末で地獄だった件
「…………疲れた」
「それは音穏の真似かい?」
「違うし……もう箸より重い物が持てん……」
「キミはもう少し体力を付けるべきだね」
休憩室にて高そうな弁当のラスト一口を食べ終えた幼馴染の少女は、箸を持ったままバタンキューしている俺を見るなりやれやれと溜息を吐く。
設営と聞いて文化祭のノリをイメージし、のんびり阿久津と話でもしながら準備できるかと思いきや大違い。男は力仕事を回され、共に行動する機会すらなかった。
次から次へと指示が飛び交い馬車馬の如く働かされた結果、既に午前だけでクタクタ。目の前にある昼食も半分ちょっとしか喉を通らずにいる。
「俺の体力不足以上に仕事がキツかったんだっての」
「ふむ。とてもそうは見えないけれどね」
少女が室内をぐるりと見渡す。休憩は交代制であり他にも何人かのバイトがいたが、今この部屋に残っているのは俺と阿久津の二人だけだ。
その理由は限られた休憩時間を使ってイベントを見に行くため。疲れを知らない姉貴もその一人であり、今頃は梅と一緒に駆け回っているに違いない。
「阿久津は行かないのか?」
「ボクは別にホビーショー自体には興味ないよ」
「なら何でバイトしたんだ?」
「何故かと言われたら、まあ社会経験かな。目指している職業に直接結びつくことはないと思うけれど、職場で働く人を見て学んで損はないからね」
「目指してる職業って?」
「話していなかったかい? 獣医師だよ」
もう将来を決めている辺り、流石は阿久津である。
そこまで動物好きだったイメージはないが、アルカスを飼ってから変わったのかもしれない。俺にはあの猫のどこが可愛いのか、いまいちわからないけど。
「へー。獣医っていうと、やっぱ医学部とかになるのか?」
「獣医学部だね」
「この辺りにそんな学部のある学校あったか?」
「専門を除けば、
「国立か。流石だな」
「キミだって充分に狙える力は持っているさ」
「まさか」
成績優秀者の阿久津なら入ることも難しくないだろうが、俺なんかの頭では無理な話。こうして一緒に過ごせるのも残り二年足らずってことか。
机に突っ伏したまま、陶芸部に入ってからの半年間をボーっと振り返る。
「それより、いつまでそうしているんだい?」
「…………ん?」
「今食べないと、午後の分の体力が持たないよ?」
「午後もあるって考えたら、余計に疲れが増した気がする」
「アルバイトとはいえ仕事である以上、大変なのは仕方ないじゃないか」
「ミナえもーん。オラに元気を分けてくれー」
冗談半分で力なく応えると、阿久津はやれやれと溜息を吐く。
こんなことならバイトなんてやらなきゃ良かったと後悔する中、手にしていた箸が指の間から引き抜かれた。阿久津さん、ひょっとして俺の弁当も食うの?
「全く、キミは本当に世話が焼けるね」
椅子を引く音を聞いて顔を上げると、向かいにいた筈の幼馴染が隣へと座っていた。そして箸で唐揚げを挟むなり、呆然としている俺の口元へと運ぶ。
「勘違いしないでほしいから先に言っておくけれど、これは介護だよ」
「へ……?」
「ほら、口を開けて」
ツンデレの常套句みたいなことを口にした幼馴染に従い、あーんをする。若干照れ臭かったが、それ以上にドキドキで気分が高揚していた。
「少しは元気が出たかい?」
全速力で首を縦に振る。某アンパンヒーローの過去最高は元気三百倍らしいが、今の俺はそれを超えて体内からアンコが飛び出すレベルだ。
「介護というより、餌付けに近いね」
嘲笑しながらそんなことを口にする阿久津だが、餌付けでも構わなかった。疲れきっていた俺は幼馴染の好意に甘んじて、その後も弁当を食べさせてもらう。
「…………」
そして、一つの疑念が生じる。
介護だと口にはしているが、ひょっとして阿久津も俺のことが――――?
「それじゃあ、ボクは先に行くよ」
「あ、ああ……サンキューな」
「キミのお守りをするくらいなら、ボクも桃ちゃんと一緒に行くべきだったかな」
幸せな時間というものは、あっという間に過ぎるものだ。
席を立ち自分の弁当を片付けた阿久津は、苦笑を浮かべつつさらりと告げると休憩室を出て行った。特に照れている様子もない、いつも通りの阿久津水無月だ。
「………………」
やっぱり気のせいだよな。
とりあえず貰った元気で気合を入れ直すと、俺も少女に続いて休憩室を後にする。
「あ! ちょっとそこの君い」
「え? 俺ですか?」
廊下に出るなり、唐突に掛けられる声。
何かと思い振り返ると、そこには小太りな中年スタッフが汗を流していた。
「そうそう。あ、もしかしてまだ休憩中だったあ?」
「いえ、今終わって戻ろうとしたところですけど」
「なら良かったあ。君、身長何㎝?」
「えっと……169……だと思います」
そう答えると、中年スタッフは腕を組み考える。
「うん、ギリギリいけるかなあ?」
「へ?」
――五分後――
「えっと、これ何ですか?」
「知らない? ワンニャンマン」
「ワンニャン……犬と猫どっちなんですか?」
「犬でも猫でもない、ヒーローさあっ!」
どや顔で言われても反応に困る。
中年スタッフに連れて行かれた先で俺が目にしたのは、犬でもなく猫でもないヒーローの抜け殻……要するに着ぐるみだった。
「着てた人がちょっと体調崩しちゃって、君にやってもらいたいんだあ」
「えっ?」
「大丈夫大丈夫。ショーとかじゃなくて、子供と接するだけだからさあ。着ぐるみ着た経験とかって……あー、やっぱりないよねえ?」
「ないですし、そもそも俺このキャラ知らないんですけど……」
「別に喋らないし、知らなくてもいけるってえ。ちょっと着てみてくれない? 汗掻くからこれに着替えてもらって……あ、靴も脱いでくれるかなあ?」
渡されたのは白の全身タイツ。コ○ンの犯人でもないのにこんなの着るのか。
言われた通りに着替えた後で、身体に厚みを付ける謎パーツを装着。着ぐるみを手に取ると思ったより重く、前任者のものなのか嫌な汗臭さが残っていた。
「うん。身長的にギリかと思ったけど、大丈夫そうだねえ」
ぶっちゃけ全然大丈夫じゃない……が、そうも簡単には言えない。
手首や足首などをスタッフが確認した後で手袋と靴、そして頭をかぶせられる。目の部分から外が見えるものの視界は狭く、何より頭部は胴体よりも臭かった。
「ちょっと動いてみてくれるう? あ、できればオーバーな動きで宜しくう。着ぐるみ姿だと一回り大きくなるから、普段の動きが小さく見えるんだよねえ」
無理難題を軽々と注文する中年スタッフ……鬼かよこの人。
言われた通り腕を上げたり、少し歩いてみたりするが物凄く動きにくい。バトルものとかでありがちな、重力を操る攻撃でも受けたように身体が重かった。
「いいねいいねえ。あ! そこにある飲み物は飲んでいいから、水分補給だけはしっかり取ってねえ。ハケたい時は×サインしてくれれば何とかするよお」
「はい」
「返事は首振りでいいよお。寧ろ絶対に喋っちゃ駄目! それとワンニャンマンはヒーローだから、子供の悪戯には寛容に宜しく頼むよお」
「…………(コクリ)」
「そうそう。それじゃ早速行こうかあ」
(えっ? もうっ?)
「習うより慣れろってねえ。視界が悪いだろうから、足元に気を付けてえ」
頭部が大きな作りとなっているため、自分の足元は全く見えない。まっすぐ歩く事すらままならないまま、俺は中年スタッフの後に続く。
俺が知らなかっただけで割と有名なのか、配置に着いて暫くすると幼稚園児や小学生、そして時には中学生といった広い年齢層が反応した。
「ワンニャンマーンっ!」
声援を浴びることから始まり、握手を求められたりポーズを要求されたりする。一緒に写真を撮ることもあり、ちょっとしたスター気分だ。
中には大ファンなのか、女子中学生と思われる可愛い女の子からハグをされることもあった。何だ何だ、案外ワンニャンマンも悪くないじゃん。
――十分後――
『ヒャッハーッ!』
時は世紀末、世界は核の炎に包まれた!
周囲には殴ってくるお子様、蹴ってくる子供、叩いてくる坊主、タックルをしてくるガキんちょ、膝カックンしてくるガキ、頭を取ろうとするクソガキばかりだ。
何て言うか、マジでコイツら容赦ない。人を見る目じゃない。顔の部分は堅い素材だが、体の部分は少し分厚い布程度なので普通に痛い。
「あっ! 中に人間入ってるっ!」
下から見上げた一人のチビが堂々と言い放つ。やかましいわ。
通気性が悪い着ぐるみで全身を覆われた結果、内部は熱が籠っていて地獄の暑さ。午前の肉体労働も結構辛かったが、たった数分でそれ以上にしんどかった。
「ほら見ろ! このワンニャンマンは偽物だー」
「本物だもんっ!」
「じゃあ証拠見せてみろよー」
「今からワンニャンマン空飛んでみせるもん!」
おいそこの小坊主。負けそうだからって無茶を言うな。
喉の渇きも限界だったため、×サインを出してヘルプを求める。最後の最後まで尻尾を引っ張られたが、中年のスタッフに助けてもらいつつ何とか逃走した。
「はぁ……ふぅ……」
控室へ避難するなり頭部を外すと、扇風機の風力を強にして涼みつつ水分補給。制止芸とか言って笑っていたけど、ド○ラの中の人って凄いんだなと改めて思う。
「お疲れ様。大丈夫かい?」
「しんどいですね」
「うんうん。でも着ぐるみの中とはいえ笑顔でいなくちゃ駄目だよお? 疲れた顔をしていると、不思議なんだけどお客さんに伝わるからねえ」
いやいや、そんなの無理だって。
立ちっぱなしで足腰も辛いし、既に体力は尽き果てヘトヘト。イライラも溜まってきており、頭部を取り外して子供に投げつけてやろうかと思った時もあった。
「それじゃあそろそろ行こうかあ。今度は風船を配って貰おうかなあ」
「マジですか」
「うん。宜しく頼むよお」
いつもの冬雪の合いの手が恋しい……誰でもいいから、この地獄から助けてくれ。
★★★
「大丈夫お兄ちゃん?」
「…………無理……死にそう……」
結局あれから四度も駆り出された上、着ぐるみ業務を終えての後片付け。精も根も尽き果てた俺にとっては、姉貴の車までの道のりさえも果てしなく遠く感じた。
「ほら、キミの元気の素だよ」
『ボトッ』
「…………本当に大丈夫かい?」
阿久津が差し出してくれた桜桃ジュースが、掌をすり抜けて落ちる。
受け取り損ねたペットボトルを拾った幼馴染は、軽く汚れを払った後で改めて俺の手を取るとしっかり握らせてきた。うん、これはどう見ても介護だわ。
「これが労働の厳しさよ~。櫻は500の経験値を手に入れた!」
瀕死になるまで頑張って500ぽっちとか、人生ってクソゲーだな。
子供達に夢を与える仕事と言えば聞こえはいいが、別に子供好きでもない俺にはただの重労働……いや、保育士希望の夢野でも価値観が変わるんじゃないか?
「ね~ね~桃姉。梅お腹空いた!」
「う~ん。本当は御飯でも食べに行こうと思ってたけど、櫻がこれじゃあね~」
「今すぐ風呂入りたい……そして寝たい」
身体の節々は傷むし、所々アザになっている場所もある。今はただボロボロでベトベドな身体を洗い流し、軟らかい布団で横になりたかった。
「あっ! それなら梅、良い場所見つけたよっ!」
「良い場所?」
「うん! ほら、あそこっ!」
梅の指さした方向を阿久津と姉貴が見る。尚、俺は見る元気もない。
「大きな『ゆ』の文字が見えるけれど、まさかあれのことを言っているのかい?」
「うん!」
「ナイスよ梅! 水無月ちゃん、時間大丈夫?」
「親に連絡すれば問題ないけれど、本当に行く気かい?」
「まあまあ、たまには裸の付き合いもいいじゃないの~。櫻もOK?」
「フロハイリタイ」
「はあ……仕方ないね」
社会の片鱗を味わってわかったこと。働いている人には、もっと優しくしよう。
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