十八日目(日) 月には叢雲、花に風だった件

「――――って言ったらどうする?」


 勇気を出して口から出た言葉。

 紛れもない告白だったそれを、俺は誤魔化して質問へと変えていた。


「…………まずは離してくれないかい?」


 返事を聞くまで離さない。

 ビシッと決めてそう返すつもりだったのに、何でこうなったんだろう。

 現実では、素直に拘束を解いている米倉櫻がいた。

 とんだ小心者……いや、半端者だ。

 雰囲気に呑まれず告白しない選択をした葵の方が、ずっと男らしい気がする。


「………………」


 阿久津は身体を起こすと、背を向けつつ軽く汚れを払った。

 そして俺の方へ振り返る。




 ――――その表情を見て後悔した。




「前にも言っただろう?」


 その一言だけで充分だった。

 しかし阿久津は誤魔化すことなく、はっきりと告げる。




「ボクはキミが嫌いだよ」




 真っ直ぐに俺の目を見て。

 偽りではないことを証明するように。

 彼女は、嫌いだとはっきり答えた。


「………………」


 何を勘違いしていたんだろう。

 阿久津とまた話すことができた。

 遊んだり勉強したり、一緒の時間を共有した。

 それだけで満足すべきだった。

 こうなることは、わかりきっていた筈だったのに……。


「そっか…………そうだよな…………」


 呆れ果てている少女へ、苦笑いを浮かべつつ応える。

 桜を照らしていた月は、気付けば雲の陰へと隠れていた。


「そんな馬鹿な質問をしている暇があるなら、夢野君とのデートプランでも考えたらどうだい? それこそ夜桜見物なんて、打ってつけだとボクは思うけれどね」


 幼馴染は静かにそう告げると、一人先に歩き出す。

 それから家に帰るまで、俺が阿久津と言葉を交わすことはなかった。




 ★★★




「あら、お帰り~」

「…………勝手に人の部屋に入ってくんな」


 自分の部屋に戻ると、何故か椅子に姉貴が座っていた。

 それを無視して、着替えもせずにベッドで横になる。


「ミナちゃん、ちゃんと家まで送ってあげた?」

「ああ……」

「うんうん、ご苦労様~」

「…………」

「そう言えば櫻、この桜桃ジュースまだ置いてたの~? 大事にするのはいいけど、早く飲まないと賞味期限きちゃうわよ~?」

「放っといてくれ……」

「せめて冷蔵庫に入れれば良いのに~」

「…………」

 

『ギィ』


「はえ? 桃姉、合図は?」

「今回は無し! 撤収お願いしま~す!」

「何で? お兄ちゃんどうかしたの?」

「ノンノン。ちょっと新ネタ閃いちゃった! ただその前にお風呂で話した梅の勉強の件を櫻にも伝えておくから、先に部屋に戻っててくれる?」

「新ネタっ? 了解っ! 音速ダァッシュ!」


『ギィ』


「さ~て……新ネタどうしようかな~」

「…………」

「ちょっといい気分を、ちょっといい身分にするとか~」

「…………」

「ちょっといいを、丁度良いに変えたりするのもありよね~」

「…………」

「…………………櫻、何かあったの?」

「別に……」

「ふ~ん」

「…………」

「…………………」

「…………」


「桃姉さんね、一人で暮らしてわかったことがあるの」


「一人暮らしってね、物凄く寂しいのよ」


「ほら、話す相手がいないでしょ?」


「先月に風邪引いた時なんてね、誰も看病しに来てくれなかったんだから!」


「まあテスト期間で友達も忙しかったし、看病なんて来ないのが普通なんだけどね」


「本当に静かで、孤独で、凄く寂しかった」


「だからね、櫻は幸せなのよ?」


「余計な御世話だとか、邪魔だとか思うかもしれないけど」


「相談に乗ってくれる姉も、心配してくれる妹だっているじゃない」


「兄妹がいない子なんて、頼れる家族は両親しかいないんだから」


「親って反抗期にはハードルが高いし、相談なんて中々できないでしょ?」


「知らないと思うけど、桃姉さんも昔似たようなことがあってね」


「今の櫻みたいに、誰にも言わずに強がってた」


「でも洗濯物干しに来たお母さんが、不思議そうに尋ねるの」


「優しい声で「桃、何かあったの?」って聞いてきて」


「いつも通りにしてた筈なのに、親って凄いよね」


「何でもないって言おうとしたら、ポロポロ涙が出ちゃって」


「お母さんは忘れてるかもしれないけど、私は凄く嬉しかったな」


「以上、桃姉さんの深イイ話でした」


「よっこいしょっと…………ピッチャー第一球、投げましたっ!」


 頭に何かがぶつかる。

 黙って手を伸ばすと、それはティッシュの箱だった。


「似てないようで兄妹そっくりなんだから。梅には練習試合で悩んでた時に言ったけど、家族相手に見栄張ってどうするの? 強がらずに、弱がりなさい?」


 …………余計な御世話だ。

 ティッシュを一枚取ると鼻をかむ。


「櫻、何かあったの?」


 枕に顔を埋め声を抑えつつ、俺は泣いていた。

 涙が止まらなかった。

 悲しくて、悔しくて、何より自分が情けなかった。




 ★★★




「どう? 少しは落ち着いた?」

「………………ああ」


 どれくらい泣いていただろう。

 涙を出し切った後で、ゆっくりと身体を起こした。

 振り返ればそこには、椅子に座りながら暖かい目で見守っていた姉がいる。

 俺は全てを話した。

 今日のことだけじゃなく、これまであった何もかもを語る。

 姉貴は途中で話を断つこともなく、時折頷きつつ真摯に聞いてくれた。


「本当、何やってるんだかな……」


 話を一通り聞いた後で、姉貴は何やら腕を組んで考える。

 一体何を気にしているのか……そう考えていると、一つ質問をされた。


「ねえ櫻。水無月ちゃんから言われたことってそれだけ?」

「え? ああ、そうだけど」

「そっか。告白なんてしなきゃ良かったって後悔してる?」

「…………まあな」


 改めて自分を見直してみれば、結果はわかりきっていた。

 優しいだけでモテるのは小学生まで。アニメじゃ魅力もない馬鹿な主人公がハーレム状態になっているが、普通に考えてそんな奴がモテる訳ない。

 ましてや俺みたいに口ばっかりで、いい加減な奴がOKを貰える筈がなかった。


「櫻は水無月ちゃんが他の男子と付き合っても良いの?」

「それは……嫌だけど……」

「はい、ちょっと正座」


 姉貴がビシっと俺を指さす。言われるがまま、ベッドの上で正座した。


「本当に水無月ちゃんが好きなら、行動しなくちゃ駄目でしょうが。後悔にしても行動したことを後悔するんじゃなくて、今まで行動しなかった自分を後悔しなさい」

「行動って?」

「一途に想い続けるだけで振り向いてくれると思う? 気になる相手なら、それに見合う人間になるように自分を磨くでしょ? 好かれる努力をするでしょ?」

「…………」

「何なら水無月ちゃんの気持ちを、桃姉さんが代弁してあげましょう」


 姉貴はコホンと咳払いをする。

 そして相変わらず似ていない物真似で、阿久津の台詞を口にした。


「ボクは『今の』キミが嫌いだよ」


 決して似ているとは言えない物真似。

 しかしその言葉は、先程聞いたものと少し違う。


「きっと本当はこうだったんじゃないかって、桃姉さんは思うよ?」

「昔の俺の方が良かったって言いたいのか?」

「櫻ってば、全然分かってないんだから。そりゃ桃姉さんだって戻れるなら、ラジオ体操を踊ってたあの頃に戻りたいわよ。でもそうじゃないでしょ?」

「?」

「昔を懐かしんでも昔は昔! 水無月ちゃんが言いたかったのは過去の櫻じゃなくて、未来の櫻の話よ。昔どころかそれを超える、これからに期待してるの!」


 俺に期待だって?

 阿久津が聞いたら、鼻で笑われる話だ。


「それは姉貴の勝手な想像だろ? 何でそんなこと言えるんだよ?」

「だって水無月ちゃん、櫻には言わなかったんでしょ?」




 ――――他に好きな人がいるって――――




「!!」


 確かにそうだ。

 思わず反応してしまったが、すぐに我に返り考え直す。


「それは先輩が聞いたから答えただけで、単に俺には言わなかっただけだろ」

「確かにそうかもしれないけど、告白もどきとはいえ櫻は二度目でしょ? 本当に片想い中なら、そういうしつこい相手にこそ諦めさせるために伝えることじゃない」


 確かにその通りだ。

 でも阿久津は俺にそのことを話さなかった。


「じゃあそれを教える価値すらない程に嫌われてるってことだ」

「そもそも、その嫌いっていうのがおかしくない?」

「何がだよ」

「もしも櫻のことが嫌いなら、お弁当も一緒に食べないで梅と回るでしょ? 疲れてる姿を見てジュース買ってあげるなんて、桃姉さんなら絶対しないわよ?」

「それは……幼馴染的な同情だろ」

「例え幼馴染だろうと水無月ちゃんが嫌いな相手にそんなことしないのは、他でもない櫻が一番よくわかってると思うんだけど」


 理解しているからこそ、陶芸部に誘われた時には驚いた。

 つまりこういうことか?

 阿久津は今の俺を好きじゃない。

 でも、嫌いでもない。


「高校生なんて思春期真っ盛りなんだし、誰だって気持ちはハッキリしないわよ。ただ水無月ちゃんが櫻を気に掛けるのは、櫻が蕾ちゃんのことを気にしてるのと似たような感じだと思うのよ」

「別に俺は……そもそも、夢野には相応しい相手がいるんだよ」

「それは自分に自信がなかった櫻の勝手な考えでしょ? じゃあ水無月ちゃんにも相応しい男が現れたら、櫻はそうやって諦めちゃうんだ?」

「…………………………」

「そんなの優しさじゃなくて、ただ逃げてるだけでしょ? はい、顔を上げる!」

「っ!」


 無意識に俯いていた顔を上げる。

 視線が合うなり、姉貴はニコッと笑顔を見せた。


「勝負もせずに諦めたら一生後悔するわよ? 好きなら好きで「俺が相応しい男になってやるっ!」くらいの心意気でしょっ? 押してダメなら更に押せよっ!」

「でもそういう奴がストーカーになるんじゃ……」

「一人で突っ走るのはそうだけど、第三者の保証があれば問題なし! 恋愛はそれくらい貪欲じゃなくっちゃ! 失敗を恐れるより、何もしない自分を恐れろってね」


 似たようなことは年末、幼馴染にも言われている。

 その意味を今になって改めて理解した気がした。

 今の俺を見ている。

 あの時、阿久津は俺に向けて確かにそう言った。

 しかし彼女が本当に言いたかったことは違ったのかもしれない。


「何にせよ自分を磨かないと、水無月ちゃんも蕾ちゃんも見放しちゃうんだからね。二人とも、いつまでも待ってはくれないわよ?」

「そっか……そうだよな……」

「どう? 少しは改心した?」


 俺は黙って首を縦に振る。

 一人で悩み考えていたら、こんな結論には到底達しなかっただろう。


「本当~? 決意なんて一晩寝たらリセットされちゃうんだから、人間そう簡単には変われないのよ~? 今回の経験が明日以降に繋がるか、桃姉さん不安だわ~」


 姉貴は椅子から立ち上がると、大きな胸を見せつけるように身体を伸ばす。不安そうなジェスチャーも含み笑いする笑顔もウザい姉だが、嫌いではなかった。


「ま~ま~焦るな若者よ。大切なのは毎日の積み重ねだからね」

「ああ、ありがとうな姉貴」

「は~い。どう致しまして」


 姉貴が部屋を出て行った後で時計を見ると、すっかり日付が変わっていた。

 エイプリルフールは三日後であり、今日の決意に嘘なんて何一つない。そんなことを考えながら窓から外を見上げ、夜空に浮かぶ蕾のように丸い月を眺める。


「…………」


 高校生の一年目は終わりを告げ、俺達は新たな春を迎えようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る