二日目(金) 俺が米倉先輩だった件

 昔は入学式に咲いていた桜も、今じゃ時期がずれて卒業式に咲く。

 そして今日みたいな風の強い日は、桜吹雪の中を走るのが気持ちいい。更に登校時は追い風だったため、ペダルを漕がずの疾走は本当に幻想的で最高だった。


 ――――ビュォオオオッ――――


「うおっ?」

「……袋が飛んでる」


 そんな心地良い風は、放課後になり益々勢いを増していた。

 昇降口を出た矢先、音が聞こえる程の風が吹き荒れる。今にも飛んでいってしまいそうな冬雪の言う通り、強風に煽られたビニール袋が優雅に空の旅をしていた。


「これで春何番だ?」

「……三番?」

「(コクコク)」


 中庭を抜けて芸術棟に入るだけなのに、一分足らずの道のりが妙に遠く感じる。珍しく一緒についてきた如月は、風でバタつくスカートを手で押さえていた。

 その仕草は中々にそそられるが、この世に生まれて十六年。俺の辿り着いた結論は『風でスカートが捲れるのはアニメの中だけ』だったりする。そもそも落ち着いて考えてみれば、平坦な道で下から上に風が吹く訳ないんだよな。


「……ルー、バイバイ」

「ぃ」


 とてとてと去っていく美術少女を見送る陶芸少女。そういや百人一首の際に判明した『冬雪スカートの下パンツ説』だが、普段からなのかは未だに不明だ。

 陶芸室に入ると、細い目をした白衣の顧問、伊東いとう先生が欠伸をしている。今の時期は通知表その他諸々で忙しいらしく、こっちへ顔を出すのは久し振りだった。


「ふぁああ……ほや、おはようございます米倉クン。冬雪クン」

「ちわっす」

「……こんにちは」


 定位置に荷物を置いた後は、とりあえずまったり休憩。昨日成形した作品はまだ乾いていないから削れないし、これといってやることもない。

 普通はそうなる筈なんだが、冬雪は今日もろくろを挽く気なのかテキパキと準備を進める。冬にできなかった分だけ創作意欲が溜まったのか、秋以上にやってるな。


「そうだ、驚け冬雪。今日は体験が一人来るぞ」

「……ユメから聞いた」

「何だ、知ってたのか」

「先生はビックリしましたよ。春の勧誘に向けてやる気満々ですねえ」

「いや、別に勧誘した訳じゃ…………あ、成程」

「……?」


 納得して手をポンと打つと、冬雪は不思議そうに首を傾げる。てっきり陶芸サイボーグなのかと疑ってしまったが、これは体験に来る夢野のための準備だったのか。

 噂をすれば影が差したらしく、コンコンとドアが叩かれる。いつもなら火水木か阿久津が来るところだが、部員の二人はノックしたりはしない。


「失礼します」

「よう」

「……いらっしゃい」

「お久し振りですねえ夢野クン」

「はい。今日は宜しくお願いします」

「おや? 体験のお客さんは夢野クンでしたか。ではこちら、つまらない物ですがどうぞ。今回は一つしかないので、米倉クンと冬雪クンはお預けですねえ」


 恒例のチョコ菓子を白衣のポケットから取り出す伊東先生。チラっとデジカメが見えたような気がしたけど、何でそんな物まで持ち歩いているんだろう?


「ありがとうございます」

「そういや火水木は一緒じゃないのか?」

「あ! ミズキだけど、花粉症が辛いから今日は部活お休みするって」

「まあ昨日の時点で大変そうだったからな」


 普段……というか、ハロウィンやクリスマスにおける夢野は阿久津の隣の席、つまり俺の右斜め前に座っていたが、今日は火水木の定位置である俺の左隣に腰を下ろした。

 荷物を置いた少女は、ブラウス姿の冬雪を見てブレザーを脱ぎ始める。やや膨らみのある胸は、半年前に比べると少し成長している気がしないでもない。


「えっと、何からすればいいかな?」

「ということで冬雪部長、お願いします」

「……今日はヨネが体験指導」

「はい?」

「……新しい一年生が来た時の練習」

「マジですか?」

「……マジ」

「それじゃあそれは誰の分?」

「……私」


 陶芸サイボーグ冬雪が、今ここに爆誕した。


「そうですねえ。米倉クンも先輩になる以上、いつまでも冬雪クンや阿久津クン任せじゃいけません。ちゃんと後輩へ教えられるようになりましょう」


 本来指導すべき顧問にだけは言われたくない一言である。

 まあ確かに伊東先生の言う通り、もう一ヶ月もすれば俺達も二年生。頼れる先輩になるためにも、夢野で体験指導の練習をするのはありかもしれない。


「だって。宜しくお願いします、米倉先輩♪」


 冗談めかして応える夢野だが、ちょっとドキっとしてしまった。

 冬雪はマイペースにろくろを挽き始めたため、本当に完全に俺任せらしい。自分が体験をした時や、火水木が体験をした時のことを思い出してやってみるか。


「えっと……じゃあまずはこのエプロン付けてくれるか?」

「わかりました、先輩!」


 何でだろう……呼び方一つ変わっただけなのに超テンション上がるな。

 中学時代は帰宅部で後輩なんて縁のないものだったし、仮に部活へ入っていたとしてもこんな親しみを込めて先輩と呼んでくれる異性は絶対いなかっただろう。


「えっと――――」


 ひとまず粘土の準備を終えて振り返ると、そこにはエプロン姿の夢野がいた。

 ハロウィンに小悪魔姿のエr……じゃなくて可愛いコスプレは見たことがあったが、エプロンというのもまた実によく似合っている。


「先輩。準備できました」

「…………え? あ、ああ。じゃあこっちに来てくれ。練り方の説明するから」


 すっかり見惚れてしまっていたが、声を掛けられて我に返った。冬雪は陶芸に夢中みたいだし、この場に阿久津がいなくて良かったと一安心する。


「まず荒練りって言って、こうやって練って粘土を軟らかくするんだ」

「へー。何だかパン作ってるみたいですね」

「パンツ食ってる…………? ああ、パンか。確かにそうかもな」

「………………」

「な、何だよ?」

「米倉先輩のエッチー」


 どうやら脳内の誤変換に気付かれたらしい。そういや『ねえ、ちゃんと風呂入ってる?』ってので『姉ちゃんと風呂入ってる』とかも言われたっけな。 

 笑いながら茶化す夢野だが、エッチという言葉の響きに優しさと幼さを感じる。これがエロいだったら、同じ意味の筈なのに何だか生々しくなるから不思議だ。


「ところで何でまた突然陶芸体験しようって思ったんだ?」

「うーん、ちょっとした気分転換……かな? 本当は掛け持ちで陶芸部に入部しようか悩んでるんだけど、アルバイトもあるし幽霊部員は迷惑かなって」

「……ユメなら幽霊部員でも歓迎」

「本当? ありがとう雪ちゃん」

「……ヨネは駄目」

「まだ何も言ってないのにっ!」


 まあ入部当初は休む気満々だったんだけどな。

 とりあえず誰でもできる荒練りを教え終わり、いよいよ問題の菊練り。不格好な練り方を見せていると、ガラッとドアの開く音がした。


「――――っ?」


 阿久津が来たのかと入り口に視線を向け、そこにいた相手に呆然とする。


「うぃっす」


 見覚えのあるツンツン頭。

 何も考えてなさそうな軽い調子の声。

 忘れもしない、阿久津に振られたあの先輩だった。


「おや? たちばなクンじゃありませんか。お久し振りですねえ」

「センセイも変わらねぇなぁ」


 橘と呼ばれた男は部室内を見回す。その際に目が合い「いよぉ」と声を掛けられたが、先輩は俺達ではなく湯呑を作っていた冬雪の元へ歩み寄る。


「いよぉチビ助!」


 冬雪の頭をポンポン叩いてから、ボブカットの髪を慣れ慣れしく撫で回す……うん。俺の中でまた一つ、この人に対するヘイトが溜まったな。


「……こんにちは」

「相変わらず愛想のねぇ奴だなぁ」


 久し振りの再会にも拘わらずあの反応……チビ助と呼ばれている辺りを踏まえても、この人と冬雪の相性はあまり良くなさそうだ。

 ましてや彼が例のビリヤード先輩だとしたら尚更だろう。そんなことを考えていると、先輩は机の上に乗っていた粘土を見るなりこちらへやってきた。


「この時期に新入部員たぁ珍しぃな。ちょっと貸してみろぃ」

「え? あ、はい」

「菊練りってのはなぁ、こぅやんだよ」


 腕まくりもせずに、先輩は粘土を掴むと練り始める。


「!」


 …………上手い。

 阿久津や冬雪の練り方とは若干違うが、紛れもなくそれは菊練りだった。

 遊んでいたビリヤード先輩は別の人だったのか。

 それとも実力があるのに、単に陶芸をしない困り者だったのか。


「わ……凄いですね」

「そこのチビ助は一週間そこらでマスターしたからな。まぁ頑張れや」


 何も知らない夢野が、本当の練り方を見て感嘆の声を上げる。

 先輩は綺麗に粘土を球体へまとめ上げた後で、手を洗うと伊東先生に尋ねた。


「水無月の奴はいなぃんすか?」

「そういえば普段なら来ている頃ですが、今日はお休みですかねえ」

「んじゃ、また今度来ますわ。邪魔しました」

「はい。お待ちしております」


 やはり阿久津が目的だったのか、そう言い残した先輩は部室を去っていく。

 新入部員扱いされた一人の男に火が付いたことは、彼は知る由もなかった。

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