一日目(木) ここは陶芸部だった件
雪が溶ければ水になり、雪が解ければ春になる。水が冷たいと作業する気にならない陶芸部も、丁度良い陽気になったことで活動を始めていた。
眠そうな眼にボブカットがトレードマークの部長、
「……その歩、危ない」
「へー。冬雪も将棋できるのか?」
「……盤から落っこちそう」
「そっちっ?」
天然ボケをかましてくれた冬雪だが、その表情は若干不満そうである。まあこんな絶好の陶芸日和にも拘わらず、将棋を指していれば仕方ない話だ。
ちなみに対戦相手は髪を二つ結びにした眼鏡少女。胸と声がでかいのが取り柄なアキトの妹である
「王手っと。これで詰みだな」
「異議あり」
「それを言うなら待っただろ? どこの逆転する裁判だよ」
「アンタってこういうどうでもいい特技多いわね」
「余計なお世話だ……って、将棋盤の上にオセロを置くな。挟んだからって俺のと金を勝手にひっくり返して歩に戻すな」
「じゃあこう?」
反転が駄目なら寝返りと、と金の向きを変えて自分の駒にする火水木。いつもよりテンションが低い癖に、妙に鋭いボケを見せてくるな。
マスクを付けてパンダみたいに垂れていた少女は、箱ティッシュで鼻をかむ。米倉家は花粉症にならない体質なので経験はないが、見ているだけで大変そうだ。
「辛そうだけれど、大丈夫かい?」
「毎年のことだから。本当この時期は眼と鼻を取り外して洗いたくなるわ」
「……マミ、無理しないでいい」
「ツッキーもユッキーも、ありがとね」
流石にこの状態だと、粘土を弄るのも難しいだろう。定価30円の棒付き飴を咥えた阿久津が、削り作業をこなしつつも心配そうに声を掛ける。
「…………」
告白されたとは思えないほど、いつも通りに見える幼馴染。
しかしそれは一日空いて、気持ちが整理されたからだろう。
彼女は昨日、珍しく部活を休んでいた。
『――――片想いの相手がいます――――』
あの後で先輩は本当に諦めがついたのか、話を切り上げ潔く去っていった。
しかしそんな話を聞いた俺は、未だに気が気ではない。
寧ろあれこそ夢なんじゃないかと思っている。
(あの阿久津が……ねえ……)
やはりクラスメイトだろうか。
バスケ部ネットワークのある妹でも、流石に聞き出すのは難しい案件だ。
考えれば考える程もやもやする。
(ひょっとして俺だったり…………しないよな)
言葉では否定するものの、内心どこか期待している自分がいる。
可能性は0じゃない。
というかその希望にすがらないと、とても平静を保ってはいられなかった。
「どうしたんだい?」
将棋を片付けつつ阿久津をボーっと見ていると、うっかり目が合ってしまう。
「え? あ、いや、こんだけのゲーム、誰が用意したんだろうってさ」
普段トランプとウノを入れている引き出しとは別の引き出し。その中には将棋やオセロの他にもジェンガに黒ひげ、カードで遊ぶ人狼ゲームなど色々と入っていた。
いつぞや火水木が人生ゲームを用意していたが、最初からこの陶芸部らしからぬ引き出しの存在を知っていたら、わざわざ持って来ることもなかっただろう。
「物好きな先輩が置いていったんだよ」
「……モップとビー玉でビリヤードするような人」
「あ、あれか? 卓球とバドミントン置いていったっていう」
「……そう」
確か前に卓球をした時に、聞いたことがあったっけな。
夏休みが終わった後で入部している俺や火水木は、誰一人として先輩の顔を知らない。何人いたかは尋ねたことがある気もするが、正直記憶が朧気で曖昧だ。
「………………」
そんな話をしていると、阿久津が難しい表情を浮かべているように見えた。
削り作業に集中しているだけで、俺の気のせいかもしれない。
もしかしてその先輩ってのは、あの先輩のことなのか?
口調から考えられる性格や雰囲気は、充分にあり得ると思う。
「へー。その先輩、アタシと気が合いそうね」
「……ここは陶芸部」
「でもほら、たまに息抜きするくらいならいいじゃない」
「……マミ、最近は遊んでばっかり」
「目が、目がぁ~っ! 花粉症がぁ~っ!」
随分と都合のいい花粉症もあったもんだ。どちらかというと大佐は大佐でも「陶芸をすると約束したな。あれは嘘だ」的な大佐の方が合っている気がする。
「……ヨネも遊び過ぎ」
あれ、冬雪さん。ひょっとしておこですか?
その先輩が遊び人だったとしたら、きっと陶芸大好きな彼女とは相性は悪かったに違いない。降りかかった火の粉が炎上する前に、適当に話題を変えておこう。
「そういえば、一つ聞いてもいいか?」
「……何?」
「いや、この中にバイト経験ある奴とかっているか?」
「……ない」
「ボクもないね」
「アタシは店の手伝いならあるけど、それがどうしたのよ」
「ちょっと春休みにやろうか悩んでてな」
「「「…………」」」
え、何この雰囲気。俺が変えようとしたのは話題であって、別に空気を変えようとした覚えはないんだが……何か妙に視線が刺さる。
「……陶芸は?」
うん、冬雪の視線は納得した。
「ふぇっくしょい!」
火水木は単にくしゃみが出そうなだけかよ。紛らわしいなおい。
「アイスのショーケースに入りたいなら、安いのが七万円で売っているよ」
そして削りを中断しスマホを手にした阿久津は、明らかに反応が間違っている件。バイトする理由がバカッター前提って、お前は俺を一体何だと思ってるんだ?
「あー何? アンタまた金欠なの?」
「まあそれもあるな」
「……そんなにアイスケース入りたい?」
「違いますよ冬雪さんっ? それ買うためのバイトじゃないからっ!」
「しかし春休みとはいえ、いきなりアルバイトだなんて櫻らしくないね」
「いや、ちょっとくらい社会経験も必要かと思ってさ」
本当は姉貴に誘われたからだが、つい見栄を張ってしまう。もしも俺が自発的にやろうとしたら、求人広告を眺めたところで満足して終わりそうだ。
「ふむ。そういう理由ならやってみるべきかもしれないけれど、キミの場合だと学生の本分である勉強が疎かにならないか不安だね」
「何やるかもう決めてんの?」
「それっぽい候補はあるけど、具体的にはまだだな」
「候補? 教えなさいよ。アタシが遊びに行ってあげるから」
「断る。どうせ邪魔しに来るだけだろ」
「それくらい良いじゃない。大して話もできないままケビンはカナダ帰っちゃったし、花粉のせいで花見はできないしでイベント総崩れなんだから」
まあ留学生なんてそんなもんだし、花粉で苦しんでるのはお前一人だけどな。
結局誰一人としてバイト経験はなかったが、やってみようかなという気分にはなった。ちょっとした土産話もできそうだし、金も手に入るなら一石二鳥だろう。
「それはそうと、ユッキーが拗ねてるわよ」
「ん?」
チラリと冬雪の方を見れば、ジトーっと見られた後でプイっとそっぽを向かれた。誤魔化してばかりの俺に不満らしく、口がへの字になっている。
不貞腐れる冬雪なんて中々にレアだが、怒ってもマスコットはマスコットか。
「アンタは元気なんだから、ちょっとくらい頑張りなさいよ」
「ちょっと今日は気分が乗らなくてな」
「仕方ないよ音穏。櫻は元々この程度の人間だからね」
「む……」
「四月になれば頼れる新入部員がくるから、それまでは三人で頑張ればいいさ」
「ちょっと待て。俺が戦力外とは聞き捨てならないな」
「事実じゃないか」
そこまで言われたら男として黙ってはいられないだろう。
俺は学ランを脱ぎ捨てると、腕を捲った後でいじけている少女へ声を掛けた。
「冬雪、俺にもう一度聞いてみろ」
「……陶芸、いつやるの?」
「今でしょっ!」
「……古い」
「まるで北風と太陽ね。流石は幼馴染、よくわかってるわ」
「ただの腐れ縁だよ」
遊び道具呼ばわりされていた頃から、俺も随分と成長したもんだ。
ただ同じく成長した筈の陶芸に関しては若干腕が鈍っていたらしく、久し振りに挑戦した菊練りは以前にも増してシュウマイ化が進んでいた。
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