一日目(木) 夢のような耳掃除だった件

「櫻」

「んぅ…………?」


 耳元で俺を呼び起こすのは、聞き慣れた幼馴染の声。

 目を開けると、そこはいつもの陶芸室だった。


「寝ていたのかい? ほら、反対だよ」

「反対?」


 顔を上に向けると、阿久津が俺を見下ろしている。

 頭の中は朧気なままだが、自分が膝枕をされていることは理解した。


「ボクの方を向いてどうするんだい?」

「え?」

「まだ寝惚けているみたいだね。全く、キミは本当に手が掛かるよ」


 耳かきを手にした少女は、やれやれと溜息を吐く。

 並べられた椅子の上という不安定な寝床から落ちないよう、阿久津は俺の身体を支えながら自分の方へ引き寄せると耳掃除ができる横向きにした。


「!」


 柔らかい太股に顔が乗せられ、黒タイツの感触が頬に当たる。

 目の前には短いスカート。

 少し上を見れば、ブレザー越しではわかりにくい控えめな胸が目に入った。


(ああ、そうだ……窯の番をしてて、眠気が限界だったんだっけ…………)


 あれからどれくらい寝ていたんだろう。

 そんな疑問を打ち消すように、幼馴染は耳元で囁いた。


「大人しくしているんだよ」


 その吐息にドキッとしていると、耳かきが入れられる。

 気持ちいい。

 耳の中を弄られる快感に恍惚としていた。


「何をしているんだい?」

「え? あっ――――」


 …………無意識だった。

 だらりと垂れ下がったまま、収まりの悪かった右手。

 置き場所に困っていたそれを、うっかり阿久津の太股へ乗せていた。


「動かない」

「っ!」


 すぐさま手を戻そうとしたが、少女に制止され黒タイツの上に留める。

 よくよく考えてみれば、頭を動かすなという意味だったのかもしれない。このまま太股に触れていて怒られるか、それとも動いて怒られるか……どう足掻いても絶望か。


「まあキミに触られようと、別にボクは気にしないけれどね」

(え……?)


 どうしたものか悩んでいると、阿久津が予想だにしない一言を口にする。

 つまりそれって、このまま触ってもOKってことか?

 確認するように視線を上げるものの、少女は淡々と耳掃除をしていた。




 ――さわ――




 ほんの少し……一ミリだけ指先を動かしてみる。

 しかし少女の反応はない。




 ――さわ、さわ――




 もう一度、もう一度だけ。

 様子を窺っては指先を動かし、また様子を窺う。


「…………」


 動かす指を一本から二本へ。

 指が大丈夫なら、今度は掌全体で。

 何度か繰り返しているうちに、少しずつエスカレートしていく。

 気付いてもおかしくない筈なのに、阿久津は知らん顔で黙ったままだ。


「ゴクッ」


 思わず生唾を飲み込む。

 太股へ這わせていた掌を、徐々に付け根へと近づけていった。

 スカートの端に指先が触れる。

 それでも少女は俺の行為に全く触れない。




 ――ドクン――




 指先が布地の下へ潜り込んだ。

 本能に従い、そのまま奥へとゆっくり進めていく。

 禁断の領域へ手を入れている、その光景が何ともエロティックだった。




 ――ドクン、ドクン――




 興奮で脈が速くなる。

 第一関節、そして第二関節と指がスカートの中へ入っていた。

 それでも下着には届かず、思った以上に暗黒空間は深い。


「櫻」

「――――っ!」


 何をしているんだ俺は。

 声を掛けられ、真っ先に抱いた感情は後悔だった。

 軽蔑されても仕方ない。

 興奮による高鳴りが、恐怖の鼓動へと一転した。


「耳かきは終わったけれど、どうするんだい?」

(っ?)


 お咎めなし。

 単に気付いていないのか。

 それとも、このまま続けてもOKという意味なのか。


「阿久津」


 幼馴染の名前を呼ぶ。

 少女の片想いの相手がもし、俺だとしたら?

 そんな疑問に答えるかの如く、彼女は黙って首を縦に振った。


(マジでかっ? これって夢じゃ――――)








 ――――チュン、チュン。

「…………」


 夢だった。

 夢だけど、夢だった。

 朝チュンならぬ、阿久チュンである。


「………………」


 熱心にシーツを撫で回す右手。

 未だにドクドクと激しく脈打っている心臓。

 何故かベッドの横に立っている姉貴。


「水無月ちゃんだと思った? 残念! ももちゃんでした!」

「うぅうううううううおぉおおおおおおあぁああああああああーーーーっ!」

「きゃんっ?」


 反射的に掛け布団を掴み、力いっぱい投げつける。そのまま肌掛け布団も投げようとしたが、夢のせいもあってか激しい生理現象を隠すために手を止めた。


「もう櫻ってば、いきなり何するのよ~?」

「たった今、俺の中で何かが切れた」

「血管?」

「違ぇよっ! 堪忍袋の緒だっ!」


 大学生の春休みは二月上旬から約二ヶ月間。小学生の夏休みよりも長いという意味不明な話を手土産に、姉貴は久々に実家へと帰って来ていた。


「そ~れ~で~、どんな夢見てたの~?」


 改めて思い出せば突っ込み所満載だったが、ここ数年で一番と断言できるくらい最高の夢だった。しかしそれだけに目覚めた後の絶望感は半端じゃない。

 ましてや寝言を聞かれたとなれば尚更であり、姉貴はずっとニヤニヤしている。


「勝手に人の部屋に入ってくんな」

「あらら~? ちゃんとノックしたわよ~? コンコンコ~ンって」


 見るからにテンションの高いのが、また一段とムカつく。

 珍しく早起きしているが、相変わらず朝は寝癖でボサボサ。ボンッキュッボンを見せつけるように胸を張りつつ、ノックするジェスチャーを見せる姿がウザい。

 っていうかもう存在がウザい。顔がウザい。全てがウザい。


「せっかくお姉ちゃんが起こしにきてあげたと見せかけて、あえて起こさず弟の寝顔を優しく見守っててあげたんだから、まずはお礼の一言でしょ?」

「さようなら」

「う~ん、惜しいっ! 五文字違いっ!」


 要するにそれ、全部違うじゃねーか。

 夢から現実に引き戻されイライラする中、姉貴は一向に部屋を出て行こうとしない。穏やかな心を持っている俺でも、激しい怒りによって超サクラ人に目覚めそうだ。


「あ、ちょっと待った櫻。この日空いてる?」

「?」


 俺が部屋を出て行こうとすると、姉貴がカレンダーを指さしつつ尋ねる。

 示されたのは春休みの日曜日であり、当然ながら予定なんてない。


「…………空いてたら何なんだよ?」

「桃姉さんと一緒にバイトしない? 履歴書不要で、何と日給一万円~♪」

「………………仕事内容は?」

「イ~ベ~ン~ト~ス~タ~ッ~フ~」


 どこぞの猫型ロボット風に答える姉貴だが、相変わらず物真似は全くもって似ていない。ってかスタッフを杖的な意味にしたら、そんな秘密道具本当にありそうだな。

 前にバイトの相談をしたとはいえ、あまりにも唐突な誘い。しかも賑わい好きな姉貴にはピッタリなものの、俺には向いてない気がする……が、一万は捨てがたい。


「考えとく」

「今日中にね~」


 起こしに来たと言いつつ、人の布団で勝手に横になった姉貴は手を振る。人の領域に遠慮なく入ってくるこの性格は、本当どうにかしてほしいもんだ。

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