6章:俺の友人が片想いだった件②
初日(水) 俺の幼馴染がモテモテだった件
ラバーダッキングという言葉を知っているだろうか。
問題へ直面した際に、物に話しかけることで頭の中が整理され解決法を閃くという、主にプログラマの間で使われるテクニックだ。
大切なのは誰かに話しかけるという行為。つまり相手が人間である必要はなく、ゴム製のアヒルの玩具=ラバーダッグを相手にしたことが名前の由来である。
いつぞやこの俺、
「そういえば、如月さんって美術部だっけ?」
「(コクコク)」
「じゃあやっぱり大学も芸術関係に行ったりするのか?」
「(コクコク)」
さながら沈黙のクラスメイトこと
小学生サイズの小柄な身長と、準備に時間が掛かりそうな編み込みの髪。エロゲーの主人公並みに前髪が長く、ド○クエの主人公並みの無口っぷりだが、クラスにおける如月の立ち位置は村人Aといった感じである。
「芸術って理系と文系、どっちなんだ?」
「ぃ」
「えっと…………理系?」
「(フルフル)」
「へー。文系なのか」
陶芸をやっていると幾何学模様とか聞くし、数学ってイメージなんだけどな。
無言で歩くのも気まずいため色々と話しかけてみるが、如月は相変わらずの反応である。電子辞書の鍵を開けたくらいで親密になれるほど、世の中そう甘くはない。
そんな隠れ巨乳疑惑のある少女と一緒に屋代学園二階の渡り廊下、モールを歩いているのは編集委員会の顧問に用事があるためだった。
「しかし移動教室の度に思うけど、こう遠いと動く歩道とか欲しくなるよな」
「(コクコク)」
「しかも理科棟ってFハウスの三階だろ? 俺はまだCハウスだからいいけど、Aハウスの理系なんて実験とかある度に物凄く面倒そう…………?」
話している途中で窓の外を眺めると、偶然にも顔見知りの姿を見かける。
そして彼女の向かいには、長身でツンツン頭の知らない男が立っていた。
「…………悪い。ちょっと用事思い出したわ。先に行っててくれ」
如月が「えっ?」といった様子で固まる中、俺はモールを駆け抜ける。
夕暮れに人気の少ない校舎裏で二人きり。
普段使うことのないFハウスの昇降口から、上履きのまま外へ出る。
「――――」
「――――――」
二人には気付かれず、会話を聞き取れる位置。
割と簡単そうな条件だが、実際にやってみると思った以上に難しい。仮に二人が人目を忍んでいるとしたら、そういう場所を選んでいるんだから当然だ。
どこぞの全身黒タイツさんみたいに壁越しから様子を窺いつつ、例年よりも随分と早く蕾が開花し始めた桜の木の下にいる二人の会話を聞き取る。
「――――ボクを呼んだ理由は、そんな雑談をするためですか?」
阿久津の言葉遣いは敬語だった。
となると相手は上級生ということだろうか。
何にせよ呼んだのではなく、呼ばれたと知って少し安心する。
「相変わらずキッツイなおぃ。水無月よぉ、もっと気楽にいこうぜ?」
「なら気楽に帰らせてもらいます」
幼馴染の少女は急に方向転換して立ち去ろうとする。向いたのがこちら側ではなく反対側だったのでギリギリセーフ……危うく気付かれるところだった。
「ちょっ! 待てって!」
先輩と思わしき割とイケメンな男は、阿久津の腕を掴んで引き止める。慌てて視界に入らないよう壁に身を隠し、耳へ神経を集中させ声を聞くだけに留めた。
名前呼びをしている時点で気に食わないし、今の行動にはムッとする。仮に阿久津が如月みたいな性格なら助けに入るところだが、彼女にその必要はないだろう。
「何ですか?」
冷静に言葉を返す少女。
男に比べると小さいため、その声は若干聞き取りにくい。
「俺と付き合ってくれ」
――ドクン――
耳を澄まして聞こえてきたのは、唐突な告白だった。
いやいや、どうせアレだ。買い物に付き合ってくれとか、そんなオチだろ。
「買い物か何かですか?」
俺と同じ反応を返す阿久津。
今顔を出すと気付かれる可能性が高いため、その表情はわからない。
「そうじゃねぇ。真面目に答えてくれ」
「!」
「俺はお前のことが好きだっ!」
真剣な男の声が耳に入る。
聞き間違いでも勘違いでもない、紛れもない愛の告白。
――ドクン、ドクン――
心臓の鼓動が速く……そして強くなっていく。
確かに阿久津は容姿端麗な上、頭も良いし運動もできる。
今まで俺が知らなかっただけで、告白した男は他にいたかもしれない。
…………告白?
それだけで済むならまだマシだ。
ひょっとしたら、既に誰かと付き合っている可能性すらある。
――ドクン、ドクン、ドクン――
ただそんな憶測は、今まで一切考えずにいた。
考えたくもなかった。
阿久津はいつまでも、俺の知っている阿久津のままでいると思っていた。
『キミは暇だろう?』
だからあの日、声を掛けられた時は安心した。
『確かにボクは最低だったキミを知っている……けれど、今のキミも見ているよ』
あの一言を聞いた時は、本当に嬉しかった。
「………………」
沈黙が妙に長く感じる。
頭が真っ白になる中で、幼馴染の少女は静かに答えた。
「すみません」
「っ!」
その第一声を聞いた瞬間、緊張で止まっていた息を一気に吐き出す。
…………良かった。
………………本当に良かった。
告白する勇気すらない癖に、安堵している自分がいた。
「………………………………他に好きな奴でもいんのか?」
男から威勢が消え、落ち込んでいるのが声だけでわかる。
客観的に見ているからか、その質問は実に未練がましく感じた。
聞いたところでどうにもならないのに、聞かずにはいられなかったのだろう。
「それをボクが答える必要はありません」
揺らぐことのない幼馴染は、傷心の男へ淡々と答える。
気休めでしかない慰めの言葉はかけず、論理に基づいた解答だった。
「俺の諦めがつく」
人の振り見て我が振り直せ……いや、人の振られ見て我が振られ直せか?
第三者の立場で話を聞いていると、もう潔く立ち去れと思ってしまう。他に好きな相手がいるか聞いた時点で諦めとは真逆だし、完全にその理由は我儘でしかない。
メールやSNSでも『寝てた』とか『壊れた』なんて嘘を吐くくらいだし、恐らく大抵の女子は面倒を避けるために『好きな人がいる』と答えるんだろう。
「そうですか」
ただ阿久津水無月という少女は、そんな嘘を吐いたりはしない。
先輩だろうと関係なし。
好きじゃないから付き合わないと、バッサリと切り捨てるだけだ。
「いますよ」
………………え? 何だって?
真面目に「いませんよ」と聞き間違えたのかと耳を疑う。
しかし難聴に優しい阿久津は、わざわざ丁寧に言い直すのだった。
「残念ですが、片想いの相手がいます。だから先輩とは付き合えません」
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