末日(金) 恋の方程式が解なしだった件
表があるから裏があり、内を作るから外が生まれる。
哲学書や小説などでこの手の話は割とよく見られるが、いつも語られる選択肢は二択ばかり。表と裏があるなら、側面も生じることを忘れてはいけない。
そして横から見てこそ、その本質を見出せる場合もある。例えば硬貨ならギザ十だとか、五百円玉の側面にNIPPONと書いてあれば価値が上がる訳だ。
「それじゃ、またね」
「おう。じゃあな」
「お疲れ様」
今日俺は、葵と夢野の二人を第三者という立場から見た。
それなら彼女には、俺と阿久津は一体どういう風に見えているんだろう……そんなことを考えながら、新黒谷駅に着いた俺達は夢野と別れた。
「バッグ乗せるか?」
「気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう」
丁重に断った少女に合わせて、俺は自転車を押しながら隣を歩く。
この時間なら二人乗りをしてもバレない気がするが、そんな提案は絶対しない。阿久津が拒否するのは勿論だが、一番の理由はコイツの父親が警察官だからだ。
「ボクに合わせずとも、先に帰って構わないよ」
「時間が相当やばいなら走るぞ。親から連絡着てたんだろ?」
「気付いていたのかい?」
「まあな」
「ここまで過ぎたら、今更走ったところで大して変わらないさ。それに悪いのは帰る時間を伝え忘れて、連絡もせず親を心配させたボクの方だからね」
半ば開き直りつつ答える少女は、相変わらず達観している。
ただ今回は色々と試行錯誤があったのかもしれない。最初からそんな考えだったなら、トゥーンワールドや電車内であんな表情を浮かべたりはしないだろう。
「それより、キミに聞いておきたいことある」
「ん? 何だ?」
「キミは夢野君のことが好きなのかい?」
「…………は?」
相変わらずの、直球ストレートな質問。
阿久津が夢野を初めて見た時にも、同じようなことを尋ねられた。
コイツはいつだって、俺に対して遠慮なんてしない。
「いきなりすぎるだろ。何でそんなこと聞くんだよ?」
「決まっているじゃないか」
――――夢野君がキミのことを好きだからだよ――――
思わず呆然と立ち尽くす。
アキトが決して直接は口にしなかった推理を。
俺が思い上がりだと言い聞かせた仮説を。
阿久津水無月は、さも当然と言った様子でさらりと口にした。
「驚いているようだけれど、キミだって薄々気づいてはいたんじゃないのかい?」
「!」
足を止めた俺を置いて、少女は一人で先へと進んでいく。
慌てて早足で追いかけるが、返す言葉は何一つ持ち合わせていない。
夢野と同じ女子だからなのか、はたまた阿久津だからなのか。不思議と彼女の言葉には説得力があり、俺は黙って話を聞くことしかできなかった。
「キミが大晦日に夢野君から逃げた訳が、今日になってようやくわかったよ。相生君が夢野君のことを好きだと、あの時には既に知っていたんだろう?」
「…………」
「そうでもなければ、いくらキミが卑屈でも逃げはしない。自分を好いてくれる少女を否定するなんて、聖人君子じゃあるまいし妙だとは思っていたよ」
「……………………」
「見たところ相生君はまだ告白していないのかな? 夢野君は彼の気持ちを知っているのか……いや、仮に知らなかったとしても今日で気付いたかもしれないね」
どうやら渋い顔をしていた理由は、親の件だけじゃなかったらしい。
阿久津は見解を語った後で、改めて俺に尋ねた。
「それでキミは、夢野君のことが好きなのかい?」
「…………どうなんだろうな」
「質問を変えよう。夢野君に告白されたら、キミはどうするんだい?」
「………………どうすればいいと思う?」
「質問に質問を返さないでほしいね」
やれやれと阿久津は溜息を吐き、黙って俺の解答を待ち続ける。
しかし一向に答えは出ないまま、とうとう家の前に辿り着いてしまった。
「ボクは付き合うべきだと思うよ」
「!」
少女は足を止めると振り返り、何の躊躇いもなく答える。
目を背けることなく、俺のことを真っ直ぐに見据えながら話を続けた。
「相生君の一件がなければ、キミは夢野君の告白に応えただろう?」
確かにその通りだ。
ただそれは夢野だからじゃない。
言ってしまえば、相手が美少女なら誰でも応えていたと思う。
だってそうだろ?
可愛い女の子から告白されたら、思春期の男子なら誰だって首を縦に振る。
ましてや俺みたいな魅力のない奴なら尚更だ。
(…………ああ、本当にどうしようもないクズだな)
正当化しようとしている自分が改めて嫌になった。
きっとこういう奴が、大人になってハニートラップに引っ掛かるに違いない。
一体いつから、俺はこんな人間になったのか。
できることなら、昔に戻りたかった。
「キミが夢野君を好きなら、二人は両想いじゃないか。相生君には恨まれるかもしれないけれど、悩む必要なんてない単純な話だよ」
「…………なあ、阿久津」
「何だい?」
「好きって何なんだろうな」
俺が本当に阿久津を好きなら、こんなことで悩まないのかもしれない。例え本人が振り向いてくれなくても、他の女子には目もくれず一途に想い続けるべきだろう。
若干投げやり気味に尋ねると、少女は額に手を当てて深々と溜息を吐いた。
「キミが聞くべきことは、そんな哲学めいたものじゃないと思うけれどね。それをボクに聞いて、明確な答えが返ってくるとでも思ったのかい?」
「いや、お前の意見を聞きたくてさ」
「数学の問題じゃあるまいし、そんな簡単に解けるなら誰だって苦労はしないさ。まあ時間を掛けてゆっくり考えてみるといい……それじゃあ、失礼するよ」
「ああ、またな」
恋の方程式なんて言葉があるが、その答えに解はあるんだろうか。
淡々と応えつつ背を向ける阿久津を見届け、俺は自転車を止めると我が家へと帰る。
「ただいま…………あ!」
玄関に置いてあるスタンドミラーに映った自分の姿を見て、ふと首に巻かれたままだったマフラーに気付いた。そういえば借りたままだったっけな。
我が物顔で使っていた俺も俺だが、気付かない阿久津も阿久津だ。アイツなら「いい加減に返してくれないかい?」とか素っ気なく言いそうなものである、
「おかえりんこっ!」
「ただいまん……そういう誤解へ導く発言をするな」
「はえ?」
返すのは明日でもいいだろうと、俺は騒々しく現れた妹に土産を手渡した。
今日、二月二十七日は冬の恋人の日。
しかし男女間の友情は存在する会に属している俺達に進展はない。
この時はまだ、そう思っていた。
…………数週間後、阿久津水無月が告白されるとも知らずに。
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