七日目(水) 暗証番号が5989だった件
「開いっ?」
帰りのホームルームの最中にも拘わらず、思わず声を出してしまった。
黒板の前で話をしていた担任のモジャモジャ組長、通称モジャ長がチラリとこちらを見るが、俺が慌てて視線を逸らすと淡々と話を再開する。
(マジか? マジでマジか?)
手にしていた電子辞書の画面を改めて確認した。
見間違いではなく『暗証番号を入れてください』の表示が消えている。
苦節五日間……3000まで入力した後、逆から8000まで打ち込み、再び3001から順番に入れていたパスワードがようやく判明した瞬間だった。
(キターッ!)
この感動を今すぐにでも分かち合いたく、俺は隣にいる如月を見る。
少女は真面目にモジャ長の話を聞いているが、俺は凝視して呼びかけた。
(…………きこえますか……きこえますか……如月さん……米倉です……今……あなたの心に……直接……呼びかけています…………割と胸、ありますね……)
「っ!」
おお、意外と届くもんだな。
視線に気付いた如月はこちらを見るなりビクッと身を強張らせ、前髪で隠れている顔を再び正面に向ける……と、ここまではいつも通りだった。
「っ?」
時間差で俺が見せていた電子辞書に気付いたのか、再びこちらを向く少女。見事なまでの二度見を披露してくれたが、如月のこんなリアクション初めて見たな。
「っ! っ?」
おーおー、チラチラ見られてる見られてる。
普段視線を合わせてくれない如月がこうも俺を見てくると、何か新鮮だし物凄く面白い。流石はC―3家族姉妹部門の二位、父性を刺激させられるな。
(まだモジャ長の話は続きそうだな……)
とりあえず他人の辞書となれば、やることは一つだろう。
長きに渡り封印されていた電子辞書が正常かどうか調べるためにも、検索履歴のボタンを押した。顔に似合わず下ネタとか調べてたりしてな。
『ここ』
『だけ【竹】』
『の(音節)』
『はなし【話】』
『わたし【私】』
『は(音節)』
『あなた【彼方】』
『が(音節)』
『すき【好き】』
『です』
『しんりてきりあくたんす【心理的リアクタンス】』
「………………っ?」
軽い気持ちで覗いた結果、想像だにしない履歴を目の当たりにする。
慌てて如月の方に視線を向けるが、先程まで何度も首を動かしこちらを見ていた恥ずかしがり屋の少女は俯いたまま動かない。
「…………」
えっと……つまりあれか? これは本当にそういうことなのか?
いやいや、ちょっと落ち着けって。確かに如月らしい告白ではあるけど、解錠要求したのは冬雪であって別に俺が直接依頼された訳じゃない。
しかしそうなると、如月が本当に告白したかった相手は冬雪ってことになる。あれ……それはそれでレズゥな展開でマズイんじゃ…………?
『ガタッ』
「!」
いきなり立ち上がり俺をビックリさせる男、渡辺。何だよ驚かせるなよ、てっきり百合と聞いてスタンディングオベーションしたのかと思ったじゃねーか。
どうやらいつの間にかモジャ長の話が終わっていたらしい。クラスメイト達が散開していく中で、前の前にいた葵が俺の元へやってきた。
「さ、櫻君。もしかしてさっき、僕のこと呼んでた?」
「ん?」
「ほ、ほら。先生が話してる最中に、あいって大きな声で……」
「ああ、悪い悪い。別に葵を呼んだ訳じゃないんだ。ほら、開いたんだよ」
「えっ?」
とりあえず今は、何も見なかったことにしておくべきか。
俺は平静を装いつつ、何故か俯いたままの如月に電子辞書を差し出す。顔を上げた少女は受け取るのを二度三度躊躇った後で、恐る恐る手を伸ばしてきた。
「ぁ」
「ん?」
「ぁ………………ぁり…………………………」
受け取った如月の口が僅かに動く。
普段は授業中にしか聞けない、今にも消え入りそうな声。周囲がザワついているにも拘らず聞こえるということは、彼女なりに相当声を張っているのだろう。
「がっ」
「ぬるぽ?」
「っ?」
『如月閏は逃げ出した!』
そんなウィンドウが表示されていそうな、見事な脱走だった。
電子辞書を抱えたまま教室を飛び出した如月。そしてせっかくのお礼の言葉を台無しにしたガラオタが、その後ろ姿をボーっと眺めた後で俺を見る。
「つい反省的にやってしまった。今は反射している」
「逆だろ。何を反射してるんだよお前は」
「フヒヒ、サーセン。ところで如月氏が電子辞書を持っているように見えましたが、ひょっとして先程のモジャ長への愛の発言はもしや……?」
「愛を哀に訂正しろ」
「……ロック、外れたの?」
出て行った如月を気にしていた冬雪が、静かに呟き首を傾げる。
「苦労した甲斐あってな」
「す、凄いね。番号って何番だったの?」
「5989だ。こんなことなら途中で逆走しなきゃ良かったぜ」
「……お疲れ」
「5989となると、語呂合わせで告白ですな」
「!」
アキトの発言を聞いて発覚する衝撃の事実。
となるとやっぱりあの履歴は、そういうメッセージだったんだろうか。
「なあ冬雪。何で如月さんは番号を忘れてたのにロックを掛けたんだ?」
「……別にルーがやった訳じゃない」
「ん?」
「……ルーが従兄弟のお古を貰って、最初から鍵が掛かってたって聞いた」
「何だ、そういうことかよ。ビックリしたっての」
「どしたん米倉氏?」
「実はかくかくしかじかで――――」
つまりあの履歴を作り上げたのは、その従兄弟ってことか。
ひょっとしたら別の誰かに見せる予定だったのかもしれない。中々にハイセンスではあると思うが、やっぱり告白は自分の言葉ではっきりと言うべきだろ。
「成程納得。しかしそうなるとマズイ事態なのでは?」
「は? 何がだ?」
「電子辞書を持って行った如月氏が履歴に気付いた場合、そのメッセージを作ったのが米倉氏と勘違いされる可能性がワンチャンあるお」
「……」
「…………」
「………………」
「いやいや、そんなまさか…………ちょっと行ってくるっ!」
「ちょい待ち米倉氏! 下手に追いかけると尚更誤解が発展する希ガス。如月氏の荷物は残ってる訳ですし、ここで待つ方が得策だお」
確かにアキトの言う通りかもしれない。コイツは頭の回転も速いな。
問題は如月がいつ帰って来るかだが、そんな心配をする必要もなかったらしい。既に少女は戻ってきており、前にあるドアからこちらの様子を窺っていた。
「……ルー、お帰り」
如月にいち早く気付いた冬雪が声をかけると、男三人の視線も集まる。そのせいか少女は顔を引っ込めてしまったが、数秒後に後ろのドアから戻ってきた。
その右手には、解錠された電子辞書。
そして左手には、桜桃ジュースのペットボトルが握られている。
「ぃ」
「ん?」
「礼」
「御辞儀をするのだヨッター」
またアキトが阿呆なことを言い出すが、決してそういう意味の礼じゃない。どちらかと言えば、某カンタ君が傘を差し出すシーンの方が合っているだろう。
「お礼って、貰っていいのか?」
そう尋ねると、如月はいつも以上に首を縦に振った。買ったのが桜桃ジュースということは、何だかんだで彼女の視界に俺はちゃんと映っていたみたいだ。
「そっか。サンキューな」
「(ブンブン)」
どう致しましてとばかりに、如月は首を横に振る。いつも通りの沈黙少女に戻ってしまったが、会話でコミュニケーションが取れたのは大きな進歩か。
その後で冬雪が事情を聞けば、やはり履歴は従兄弟によるものだったことが判明。俺への告白だとか百合な展開なんてこともなく、事件は平和に解決した。
「………………」
ただこの騒動が、後に一人の青年の心に影響を及ぼす。
しかし俺はそんなことに気付かないまま陶芸室へ。今日が冬雪の誕生日なのを忘れていた結果、阿久津にやれやれと溜息を吐かれるのだった。
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