五日目(月) きれいな青が表現し難い色だった件

 昔から算数は得意だった。

 掛け算九九は誰よりも早く言えるようになったし、計算ドリルに至っては解き過ぎたせいで、最後のページにあるシールを貼る場所が蟻の行列みたいになっていたくらいだ。

 そんな俺がそろばん教室に顔を出したのは小学二年生の時。小三でそろばんの授業を受けた姉貴が習い事として始め、二年が過ぎた頃だったという。

 前々からそろばんという道具には興味があったものの、それは玩具感覚で見ていたからに過ぎない。特にあの何とも言えない乾いた音が大好きだった。


『も~大変だったわよ? 先生の言うこと聞かずに暗算したり、そろばんで演奏始めたり』


 そんな理由で始めた習い事が、当然長続きする訳もない。アラレちゃんばりにヤンチャ

な俺(姉貴の冗談かと思ったがマジらしい)は、しょっちゅう先生に怒られたそうだ。

 結局続けたのは一ヶ月だけ。

 当時流行していた管弦楽団オーケストランの仲良し二人組、クラリネットのクラリ君にトランペットのトランちゃん。通称クラトラにあやかりクラクラというあだ名を付けられていた少年は、スタッカートの付いた音みたいに一瞬で消えていった。

 土浦蕾から米倉桃へと、小さな木管楽器のストラップが手渡された事実も知らないまま……。




 ★★★




「ただいまより、裁判を始める」

「えっ? ど、どうしたの櫻君?」

「静粛に。傍聴人よ、私のことは裁判官と呼びなさい」

「はいはい、ワロスワロス」

「では被告人、火水木明釷。前へ」

「椅子に座ってる上に、これ以上前に進んだら裁判長の机にめり込むんですがそれは」


 テスト期間も完全に終わり、今日から通常授業が始まる。

 そんなホームルーム前にも拘わらず、顔を合わせている男が三人。正確には俺とアキトは席が前後のため、相生を呼び寄せたという方が正しいか。


「えっと……アキト君、何かしたの?」

「静粛に。被告人、火水木明釷は実の妹が双子かつ屋代に通っていたことを、米倉櫻及び陶芸部の面々に隠していた罪が問われておる」

「さいですか」

「そ、それって、火水木さんのこと?」

「む……? 音楽部では紹介してたの……しておったのか? 傍聴人よ」

「う、うん」

「傍聴人に証言してもらう裁判官乙。そもそもロリこそ妹の真髄。無駄に発育が良い双子の妹なぞシャリの無い寿司同然、拙者的にはノーカン&アウトオブ眼中ですしおすし」

「その寿司じゃない存在を、刺身と呼ばなかったことが問題なのだ。ではこれより弁護人による弁護タイムに入る」

「さ、裁判って最初は証人の証言を聞いて、その後で弁護人の尋問って流れじゃなかった?」

「…………静粛に。今から弁護人を呼んでくる」

「寧ろ今まで弁護士不在だったとかヒドス」


 仕方ないだろ、公民とか苦手だったんだから。

 一旦席を立つと、苗字は近いが席は前列の少女に声を掛ける。


「冬雪、ちょっといいか?」

「……何?」


 後ろからでは気付かなかったが、どうやら英語の予習をしていたらしい。

 そういえば今日は冬雪が指される番だったっけ。こちらの茶番に付き合わせて邪魔するのも悪いので、早々に切り上げるとしよう。


「陶芸部に新入部員が入ったら嬉しいか?」

「……勿論」

「よしわかった」

「……入るの?」


 凄ぇ、眠そうな目なのに光ってる。椎茸みたいになってる。

 尻尾とかあったら物凄い勢いで振っていそうな少女へ、意味深な笑みを浮かべた。


「それは今日の放課後をお楽しみに」

「……不気味」

「悪かったな!」


 用件は済んだので再び法廷へ戻る。裁判中なのにスマホを弄っている被告人とか、もし裁判長が持ってるハンマーみたいなやつがあったらスイングしてるところだぜ。


「では判決を下す」

「えぇっ? 弁護人の弁護はっ?」

「忙しそうだったから聞いてきた」

「ブッフォ! 最早突っ込んだら負けだと……ブフッ!」

「やっぱ許せんっ! お前には、あの裁判長専用の木槌が必要だっ!」

「お、落ち着いて櫻……じゃなくて裁判長! あれは被告人を殴るための道具じゃないし、そもそも日本じゃ使われてないよ!」

「何だとっ? じゃあ誰を殴る道具なんだっ?」

「な、殴っちゃ駄目だからっ! 裁判長が暴行罪で捕まっちゃうから!」

「ちなみに正式名称はジャッジ・ガベルだってお。密林でのお値段、7680円なり」


 ちょっと買うには金銭的に厳しいな。

 まあ過程はどうあれ新入部員が入った訳だし、冬雪も喜んでいるので許すとしよう。


「被告人、火水木明釷…………無罪!」

「よ、良かったねアキト君」

「当然の結果ですが何か」

「では続いての裁判に入る。被告人、相生葵。前へ」

「ぼ、僕っ?」

「相生氏、何したん?」

「静粛に。被告人、相生葵は米倉櫻がプレゼントした『彼女の名は』の割引券を、同じ部活の少女に手渡した罪が問われておる」

「えっと、た、確かに渡したけど……」

「待った!」


 キーボードを高速タイプしたガラオタが、眼鏡をクイっと上げる。


「相生氏が持っていた割引券は、既に米倉氏より譲渡された物。その場合は刑法第2編第39章『盗品等に関する罪』に規定されている『盗品等関与罪』は適用外だお!」

「だが問題はその後、米倉櫻の精神的苦痛が」

「異議あり! 精神的苦痛というと刑法第2編第27章、傷害の罪において――――」

「ええいっ! 黙れぃっ! ノートパソコンとスマホをフル活用して、それっぽい法律ばっかり調べてくる悪徳弁護士め! とにかく有罪じゃあ! 者共、であえであえーっ!」

「ええぇっ? 時代劇になってるよっ?」


 こうして裁判は閉廷した。今度はもう少し勉強してから開廷しようと思う。




 ★★★




「……ヨネ、暇?」

「ん? まあ暇っちゃ暇だな」


 昼休みになり昼食を食べ終えた後、珍しく冬雪から話しかけられた。教室ではあまり関わりも少ないので、何とも言えない違和感を覚える。


「もしや米倉氏にデートのお誘いキタコレ?」

「……違う。窯、見に行く?」

「あー、そういや焼き終わったんだっけか。うっし、行こう」

「陶芸厨乙」


 つまらなそうに呟いたアキトを置き去りに昇降口へ。中庭にてベンチでイチャつくカップルを妬ましく思いつつ、冬雪と共に芸術棟へと向かうと入口で阿久津と出くわした。


「よう」

「やあ。考えることはお互い同じみたいだね」

「……気になる」


 ぶっちゃけ俺はすっかり忘れてたんだけどな。

 しかしこうして思い出してみれば、あれだけ時間を尽くした綺麗な青が気掛かりではある。無人の陶芸室を抜けて窯場へ足を踏み入れると、ガス窯は開かれ空っぽだった。


「伊東先生が窯出し済みかな?」

「……あった」

「おお!」


 冬雪が指差した先を見て、思わず声を上げてしまう。

 何故ならそこには店頭で並んでいてもおかしくない皿や湯呑、普段から見ている食器と化した色鮮やかな作品達が、ずらりと置かれていたのだから。


「うん、割と上手く出来たね」

「……でもこれは失敗」

「ん?」


 どれどれと覗いてみると、垂らした釉薬が外部を伝って底で固まったらしく、高台に薄い塊が付いてしまっている。こうパキッと簡単に折れそうなんだけどな。

 他にも釉薬が厚過ぎてヒビみたいな模様が入ってしまった作品や、思うような色が出なかった物など、十個に一つくらいの割合で失敗はあるようだった。

 そんな中で俺は、一つの湯呑を手に取ると静かに笑う。


「ふ……ふふふ…………」

「どうしたんだい?」

「二人とも見るがいいっ! これが俺の集大成、綺麗な青だっ!」


 それはそれは鮮やかな青色の湯呑を、印籠の如く掲げてみせた。想像していた色はもっと水色っぽい感じだったが、これはこれで綺麗なので良しとしよう。


「……それはトルコ青」

「え……?」

「音穏の言う通り、それは違うね。キミが大量生産した割に、数が少ないだろう?」

「確かに言われてみれば……じゃあ俺の綺麗な青は……?」

「多分これじゃないかい?」


 阿久津が一枚の皿を手に取る。

 それを見た俺は、二度ほど目を擦った後で口を開いた。


「い……いやいや、まさかそんな訳ないだろ」

「キミは自分が釉掛けした作品を覚えてないのかい?」


 正直言って、あんまり覚えてない。

 しかし大量に鎮座している食器達の大半が同じ色に染まっていることから、目の前の皿が丹精込めて溶かし上げた綺麗な青なのは明白だった。


「ほ、ほほう。そうかそうか。これはまた味わい深くて、表現し難い色だなー」

「……灰色」

「どう見てもグレーだね」

「違う! これは綺麗な青だっ!」

「……どう見ても青じゃない」

「仮に百人に聞いても、全員が灰色と答えるかな」

「青なんだあおおおおぉっ!」


 数分後、俺は黙って釉薬の名前を書き換えておいた。次に誰かが同じ過ちを犯さないように『きれいな青』から『物凄い灰色』へと。

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