四日目(日) 俺の記憶が聴覚優位だった件

「はあ……少しは落ち着いた?」


 ショッピングモール内の喫茶店で、火水木が溜息を吐きながら呟いた。まさか同級生が映画を見てボロボロに泣くなんて、彼女も想像がつかなかったのだろう。

 正直言って俺もこんなことになるとは予想だにしなかった。いくら感動物といっても、涙を流すのは少し感受性が高すぎると思う。


「ズズッ……ああ、悪い」

「米倉君って、涙腺弱いんだね」


 …………泣いてたの、俺なんだけどさ。

 感動超大作とか盛り過ぎだろと思っていたが、いざ見たら滅茶苦茶ヤバイ。主人公が記憶喪失になった場面であまりの切なさにウルウルしてから、彼女の真名を思い出した後に二人が幸せなキスをするラストまで涙と鼻水が垂れ流しで止まらなかった。


「姉さんは面白かったけどな~」

「何であれを見て楽しめるんだよ……」

「泣いてる櫻が面白かった♪」

「映画見ろよっ! あれ見たら普通は感動して泣くだろっ?」

「そう言われても……ねえ?」


 姉貴が笑顔で二人と顔を見合わせる。泣いている客は女性を中心に沢山いたのに、目の前の少女達は誰一人として泣いた痕跡すらない。


「確かに感動したんだけど……その……」

「知り合いが鼻水啜って涙流してたらねえ……しかも男」

「泣いてる櫻で爆笑だった♪」

「悪かったなっ!」


 こうなるとわかってたら、隣でなんて絶対に見なかったぞ畜生。

 火水木がガラオタの妹という衝撃的事実を知った後、偶然にも並んで空いている四席があったため、姉貴の提案により俺達四人は一緒に映画を見ることにした。

 そしてその結果として今に至る。高校生にもなって同級生に泣き顔を見られたというのは中々に恥ずかしく、思い返すだけで声が出そうな黒歴史レベルだ。


「葵君に、後でお礼言わなくちゃ」

「あ、アタシの分も宜しく伝えといて」


 列に並んでいた時は同じことを考えていたが、今は全くの逆である。恨むぜ葵。

 実は二人が持っていた割引券は、元々は俺が葵に渡した二枚とのこと。彼女……じゃなくて彼は、受け取った二枚のチケットを夢野蕾に提供したらしい。


「葵が布教するのも納得の名作だったな」

「アンタ、ひょっとして鈍い?」

「ん? どういう意味だよ?」

「別にー」


 何やら含みのある言い方だが、まさか葵が俺と夢野蕾を引き合わせるために割引券を渡した……もしくは夢野蕾が俺と行きたいがために、葵からチケットを貰ったのか?

 いやいや、残念ながらその線はないだろう。現に彼女は俺じゃなく火水木を誘っている訳だし、こうして鉢合わせしたのは偶然に過ぎない。いくら何でも自意識過剰か。


「そういえば桃さんって、どういった大学に通われているんですか?」


 話を逸らそうとしてか、はたまた重くなりかけた空気を変えるためか、音楽部の少女は紅茶の入ったティーカップを置いてから姉貴に話題を振った。


「うちは医大だよ~」

「偉大?」


 確かにそっちの意味でも偉大ではあるが、そうじゃない。

 首を傾げる火水木だが尋ねた本人はちゃんと理解しているようなので、これといった突っ込みは入れずに黙ってパンケーキを食べる。うん、生クリームが美味い。


「凄い! お医者さんになるんですか?」

「えっ? 医大ってそっちっ? メッチャ頭良くないと駄目なやつじゃん!」

「あ~、医者とか無理無理。目指せフリーター♪」


 いや入学半年で諦めるなよ。

 話しているうちに人柄をわかってきたのか、二人も冗談と受け取っている。まあ仮に本気だったとしても、要領が良い姉貴なら何を始めても生きていけそうだ。


「でも医大って、ここからじゃ遠くありません?」

「そ~なの! 毎日電車で一時間! 立ちっぱの中、何度挑戦しても千切れない吊革! そんな地獄から解放されるために、少し前から一人暮らしを始めました~」


 変なことを何度も挑戦しないでほしい。確かあれ380キロまで支えられるって、昔テレビでやってた気がするし。


「いいなー一人暮らし。そういえばお姉さんって、今何歳なんですか?」

「ふっふっふ~。何歳に見える? ヒントは希ガス!」

「じゃあ二十歳な希ガスっ!」

「外れ~」

「いやヒントの希ガスって、そういう使い方しろって意味じゃないからな?」

「冗談よ。アタシはちゃんと答えわかったし」

「ではでは、解答権が蕾ちゃんに移りま~す。第二ヒントはタロットの大アルカナで月!」

「余計にわかるかっ!」

「えっと……十九歳ですか?」

「ん~~~残念っ! 答えは~櫻っ?」

「三歳」

「正解っ!」

「うぉいっ?」


 自分で言っておきながら、まさかそう返されるとは思わなかった。いっそ三十路とか、地味に嫌がりそうな年齢を答えるべきだったな。


「本当の正解は十八歳の大学の一年な」

「そして現在は免許取得中で~す」

「え? それは初耳なんだが」

「イエ~イ、ブイブイ! 車の方もブイブイ言わせてるよん」

「教習所って、どういったことをするんですか?」

「あ、アタシも聞きたい聞きたい!」

「それじゃあ桃姉さんがウィンカーと間違えて、ワイパーを動かしちゃった話からね」

「何でそこからっ?」

「大変だったのよ~? 慌ててたらウォッシャーまで出ちゃって、晴天なのにワイパーフル稼働! 教官に注意されちゃったから、前は外車に乗ってたんですって嘘吐いちゃった」

「いやバレてるからっ! 今が教習中だからっ!」


 こうして免許に始まり大学や一人暮らしについて等、二人が興味を示す話題は続いた。

 ひと月ぶりに会った俺も知らない話が多く、時には実家での話をネタにされたりもしたが、いずれにしても弟としては姉貴が元気にやっているようで何よりである。


「今日はどうもありがとうございました」

「ネックもこんな面白いお姉さんがいるなら、最初から言ってよね。まあ月曜から陶芸部でお世話になるし、許してあげるけど」

「いやいや、お前とは一昨日が初対面だから。会っていきなり姉の話とか怖すぎだから。そして今何かさらっと爆弾発言しやがったコイツ」

「免許取ったら、皆でどっか行こうね~。チョメチョメD的なテクを見せてあげる♪」


 その実験台になるの、多分俺と梅なんだよなあ。

 赤かった俺の目元が戻った頃(細かくトイレで確認してたら、頻尿とか言われたけど)ひとしきり話も落ち着いたので喫茶店を後にし、俺達は二人と別れを告げた。


「さて、帰るか」

「苦しゅうない。本当はカラオケでも寄ろうと思ってたけど、余は満足じゃ」

「誰の真似だよ」

「卑弥呼(CV若本)」

「どんなイメージなのそれっ?」

「まあ帰るって言っても、櫻とは駅までだけどね~」

「ん? 実家には寄らないのか?」

「お父さんにもお母さんにも梅にも、土産話は昨日散々話したからね。戻ってもコントくらいしかすることないし、このまま帰る方が電車的にも楽かな~って」

「コント以外にやることあるだろ」

「でも今日は失敗だったな~。まさか櫻のお友達に会うなんて、緊張したせいであんまりネタが披露できなかったクラ」

「あれで……? 一応聞くが、どんなネタがあったんだ?」

「例えば醤油差しを鼻――――」

「マジで止めてくださいお願いしますマジで」


 行ったのが醤油差しも冷凍ケースもない喫茶店で本当に良かった。

 姉が帰ると聞きポケットから携帯を取り出すと、借りていたストラップを外そうとする。


「ちょちょいちょい! 返さなくていいクラよ~」

「いや部室でキノコが待ってるし……ってかその突然始めた語尾は何なんだよ?」

「勿論クラリ君の真似。櫻が持ってる方がクラ……らああああっ?」

「うおっ? 突然大声出して何だよっ? 映画館にスマホでも忘れたのか?」

「違う違う! 思い出したのっ!」

「思い出したって、何を?」

「何って、つっちーを!」

「ツッチー? クラリ君の友達か?」

「そうじゃなくて! ほら、そろばん教室で一緒だった!」

「少し深呼吸でもして落ち着けって。何言ってるのかさっぱりだ」

「ヒッヒッフー。ヒッヒッフー」

「それ深呼吸じゃなくてラマーズ法だからな?」

「さっきの子! 夢野さんよ!」




「…………は?」




「ひょっとして櫻、覚えてないの?」

「ちょ、ちょっと待てよっ! 姉貴、彼女を知ってるのかっ?」

「知ってるも何も、そろばん教室で一緒だったじゃない」

「そろばん教室って……俺がすぐ辞めたあれか?」

「あ~、そう言えばそうだったっけ。そのクラリ君、彼女から貰ったのよ」

「えっ?」

「最初に会った時から、どこかで見覚えがある顔だな~って思ってたけど……うん! 左手の小指にホクロもあったし、絶対に間違いない!」


 人は目で記憶するタイプと、耳で記憶するタイプに分かれると聞いたことがある。

 恐らく姉貴は視覚優位に違いない。対して小指にあったホクロの存在なんて認識すらせず、今日の火水木を見ても気付けずに声で反応した俺は間違いなく聴覚優位だろう。

 そして声というものは、男女共に変声期が訪れる。

 だから気付けない。


『そういえば桃さんって、どういった大学に通われているんですか?』


 夢野蕾…………旧姓、土浦蕾。

 今思えば何故彼女は初対面である筈の姉貴を見て、大学生と気付くことができたのか。外見から判断したのかもしれないが、高二や高三でも充分にあり得る話だ。

 300円の鍵となりそうな情報を前に、俺はクラリ君のストラップを強く握り締めた。

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