四日目(日) ミズキの苗字が衝撃だった件

 姉がどんな人かと聞かれた際、俺はよくわからない人だと答える。

 当然「兄妹なのに?」と尋ねられるが、米倉桃には掴み所がない。本人にそれを言うと、ここにあるじゃないと豊満な胸を見せつけられた。そういう意味じゃねえ。

 大して勉強もせずに頭が良く、能天気な割にお節介。別に話をしない訳でもなく、誘われればこうして映画にも行く。大抵アプローチするのが姉貴なのは言うまでもない。


「ユウヤ君に携帯を突けた? 牙突的な?」

「釉薬! 誰だよユウヤ君!」


 黒谷町から電車で五駅。地元民が映画を見るなら定番とも言えるショッピングモール内を、そんな姉貴と共に先日陶芸部で起きた一件を話しつつ歩いていた。


「あ~ビックリした。浸けたって、ちゃっぽんの方ね。てっきり姉さん、櫻が変なプレイ始めたのかと思っちゃった。キノコとか言ってたし、何か白いの付いてるし」

「それが釉薬だよ。阿久津が洗い流してくれたんだけど、いまいち不調で――」

「笑い流し目くれた?」

「洗い流してくれた!」

「櫻を?」

「携帯をっ!」


 何で俺が洗われるのか。そもそも笑い流し目って、どこに需要あるんだよ。


「な~んだ。てっきり藍染の時みたいに、櫻ごと染まったのかと思ったのに」

「藍染?」

「覚えてないの? 小学生の頃に遠足で、藍染のハンカチ作ったじゃない。周りは手袋持参してきたのに一人だけ素手で体験して、ゾンビみたいな手になって帰ってきたやつ」

「あー」


 勇敢に素手で挑むまでは皆して盛り上がってた癖に、いざ実戦した後はドン引きされたやつか。魔王を倒した勇者が迫害される気分ってのは、多分あんな感じなんだろうな。

 手の表面に付いた藍でも落とすのに二日、爪の間に至っては二週間近く掛かった気がする。最初はゾンビとかウケてた奴らも、後半は「え、まだなの?」みたいな顔してたし。


「ところで、その恩人ならぬ恩キノコはどうしたの?」

「あ……外して洗って、陶芸部に置いたままだ」

「ふ~ん」


 映画館へ到着すると、キャラメルポップコーンの甘い匂い。SFっぽい色合いの広い空間内では、家族やカップルがジグザグに列をなして受付へ並んでいる。

 日曜日ということで混んではいるものの、流石に『彼女の名は』ブームも下火になっているのか、行き交う人の会話は他の映画についての話題も聞こえてきた。


「櫻、ちょっと待っててくれない?」

「ん? トイレか?」

「も~、デリカシーないな~。親しき仲にも礼儀あり。わかっても、そういうことは言わないの! 待ってる間、携帯にこれでも付けてなさい」


 姉貴はハンドバッグに結んでいたストラップを外す。

 差し出されたのは、何やらゴチャゴチャしたパーツのついた縦笛。例えるなら縦笛EXとか、最終形態って響きが似合いそうだった。


「何これ?」

「管弦楽団オーケストランの苦労人、クラリネットのクラリ君」

「うわっ、懐っ! あったなそんな教育番組」


 随分と年代物らしく、ストラップは至る所の塗装が剥げている。デフォルメされたキャラクターの面影すらないクラリネット、しかも姉のお古を正直付けたいとは思わない。


「何かしら付けてないと、映画見てる最中にうっかり携帯がポケットから零れ落ちて、そのまま失くしちゃいました~ってなるでしょ?」

「どこの子供だよ」

「いいから付けること。お姉ちゃん命令です」


 しっかりしているようで抜けている姉はそう言い残すと、俺にクラリ君を押しつけてトイレへ去っていった。

 別にストラップにこだわりもないので、仕方なしと溜め息交じりに付けてみる。コイツも先代のキノコみたいに、何かしら俺の携帯を救ってくれると助かるんだけどな。

 暇潰しに館内を見渡してみるが、これといって知り合いは見当たらない。梅が友達と一本前の上映を見ているため、すれ違いになるかと思ったが少し遅かったか。


「あれ? ネックじゃない」

「?」


 聞き覚えのある声と、あまり聞き慣れない呼び方。振り返ればそこには一度視野に入れたにも拘わらず、存在に気付かなかった顔見知りがいた。

 一度しか会ってない相手の私服姿とか、俺なら確信が持てず絶対に声なんか掛けられない。特に全体的にフリフリした私服へ身を包み、大きな胸を強調するように腕を組んでいるムチましい眼鏡少女が相手となれば尚更だ。


「ひょっとして、アンタ一人?」

「い、いや違うけど……ちょっと連れを待ってて……」

「そんな顔で言葉詰まらせて否定されると、何か嘘っぽいわね…………マジでぼっち?」

「突然声掛けられて、驚いただけだっての。一人じゃねえよ」

「怪しい」

「へいへい。じゃあ一人でいいよもう」

「それはそれで怪しい」


 じゃあどう答えりゃいいんだよ。

 まあ口籠った理由の一つには、待ち人が姉貴ってこともある。高校一年にもなって姉と二人で映画というのは、下手したらシスコンと勘違いされてもおかしくない。


「そういうお前はどうなんだ?」

「アタシ? アンタと違って、ちゃんとVIPな親友の付き添いがいるわよ」

「はあ?」

「じゃーん! これ、何だと思う?」


 ミキプルーンの苗木……とか適当に答えてやろうと思ったが、少女が薄紫色をした長財布から取り出した紙切れを見て目を丸くする。

 それは紛れもなく、俺が梅から貰った物と同じ割引券だった。


「ふっふっふ。刮目しなさい一般ピープル」

「……(ガサゴソ)」 ← ポケットから同じ割引券を取り出す。


「…………」


「………………」


「えぇぇぇえぇぇっ?」


「声がでかいっ! そして顔が近いっ!」


 いきなり大声を上げられ、一気に距離を詰められた。

 周囲から視線が集まってしまったので、何でもありませんと慌てて会釈する。


「な、何でアンタがそれ持ってんのよっ?」

「だから声が近いっ! そして顔がでかいっ!」

「だっ、誰の顔がでかいですってっ?」


 うっかり言い間違えた。でかいのは胸だから安心しろ。

 闘牛の如く興奮している少女へ、手にしていた割引券を渡して黙らせる。マタドールの如く挑発してやろうと思ったが、流石に人目をこれ以上集めるのは勘弁願いたい。

 しかし同じ物を持っていたとなると、コイツのいうVIPな親友とやらも株主関係者。梅に渡した後輩の父親とは別人だろうが、割引券だけに割と流通してるってか?


「本物みたいね」

「どこの鑑定士だお前は。偽物だったら捕まるっての」

「一体どこで手に入れたのか「お待たせ櫻~……あら?」説明しな…………」


 面倒臭いタイミングで、厄介な人が戻ってきた。

 二人は視線を合わせた後で、錆ついたロボットみたいにゆっくり首を動かすなり冷たい目で俺を睨む。とりあえずこっち見んな。


「「ひょっとして浮気?」」

「いやアンタら彼女でも何でもないだろ」


 どういう結論に辿り着いたら、彼女のいない俺に対してその台詞をハモるのか。浮気どころか気が重くなっていると、姉貴の後ろに重なっていた人影に気付く。


「やっぱり、米倉君も来てたんだ」

「っ?」


 ひょっこり姿を表したのは、ワンピースの上からカーディガンを纏った少女。清楚な雰囲気を感じさせる夢野蕾が、笑顔を見せながら小さく手を振ってきた。


「大変よユメノン! コイツってば、ろくでもない女ったらしだってば」


 そういうお前は、どこの火影だってばよ。

 興奮が収まらない友人を前に、笑顔の少女はピンと伸ばした人差し指を顔の前に出す。


「しーっ。落ち着いてミズキ。他のお客さんに迷惑だよ」

「ゴ、ゴメン……でも……」

「大丈夫大丈夫」


 まるで子供に接するような、優しいなだめ方。向こうの闘牛は落ち着いたようだが、こちらの桃牛はどうしたものか。


「…………」

「ん? どうしたんだよ姉貴」

「う~ん、何のコントしよっかな~って」


 あー、発想が斜め上すぎて無理だこれ。

 いっそひと思いにこの場から逃げてしまおうか悩んでいると、姉貴と呼んだのが向こうに聞こえてしまったらしく約一名が機敏に反応した。


「姉ぇっ?」

「「しーっ」」


 慌てて両手で自分の口を塞ぐ少女。そのまま暫くお口チャックな。

 とりあえずこの場は、双方を知ってる俺が紹介すべきだろう。そう言いたげな姉貴から肘で小突かれたので、コホンと偉そうに咳払いをする。


「頼れる姉の桃で~す♪」

「自分で言うのかよっ!」

「ハイッ!」

「誰がするかっ!」


 しまった、乗せられた。

 梅とやってた謎ポーズを公衆の面前で堂々とする姉に対し、同級生の二人はキョトンとした様子。そりゃ友人が姉といきなりコント始めたら、普通はこうなるよな。


「くすっ」


 あ、でも何かウケてる。

 微妙な空気にならなかったことにホッとする中、再び姉貴に肘で小突かれた。


「櫻がポーズ取ったら、二人とも笑わせられたって。次はやってよ?」


 いやいや、俺のせいじゃないし。

 そもそも両手で口を塞いでる奴を、一体どうやって笑わせるつもりだよ姉上様。


「とりあえず、紹介していいのか?」

「うんうん。彼女達は? 彼女の名は?」

「別に上手いこと言ってないから。いやドヤ顔とかしなくていいから。二人は同じ屋代に通ってる同級生で、ポニーテールの方が夢野蕾さん」

「初めまして。米倉君には、色々とお世話になってます」

「いえいえこちらこそ~、ウチの出来損ないがお世話になってます~」

「どこのオバちゃんだ。んでこっちが…………誰だ?」

「ちょっ――――」

「「「しーっ」」」


 ついには姉貴まで乗ってきちゃったよ。

 別にボケるつもりはなかったが、少女は眉間に皺を寄せつつ静かに口を開く。


「……………アンタ、良い度胸してるわね……」

「いや真面目に、お前の名前聞いてないぞ? 陶芸部の奴らも知らん」

「そう言えば私も紹介し忘れてたけど……ミズキ、言ってなかったの?」

「言われてみれば……まあ良いわ。火水木天海ひみずきあまみよ」

「ヒミズキ……?」

「そ。火曜水曜木曜で火水木、天と海で天海ね」

「ちょ、ちょっと待て」


 ミズキって、名前じゃなかったのかよ。

 しかし問題はそれ以上に、随分と身近で聞き覚えのある苗字の方だった。


「…………まさかお前、兄貴いたりする?」

「いるわよ? そうそう、火水木明釷の双子の妹だけど、言ってなかったっけ?」


 彼女の名は。

 今の俺にとって、火水木天海以上にこの映画へ相応しい名前はない気がした。

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