3 出陣
十二月二十一日――冬至の日――美邦は冬樹と共に■■県神社庁にいた。食事は神社庁で精進料理のようなものを摂った。夕方ごろ、斎戒と称して風呂へと入れられた。斎戒が終わると、巫女装束の着付けが行われた。
巫女装束そのものには、防寒性はないに等しい。そのため下には、ドイツ製の白い
神社庁の前には、すでに学生服を着た冬樹が待っていた。その周りには、谷川と竹下、啓、そして弓浜を始めとする幾人かの神社庁の職員もいる。冬樹は学生服以外に何も身にまとっていない。見るからに寒そうだ。
「藤村君――それ、寒くないの?」
「まあ、寒くないと言えば、嘘になるけどな。」
冬樹は微かに身を震わせる。
「けれど、制服の下にも色々と厚着しとるから。大原さんと大して変わりないと思うよ。寒いなんて言ったら、そっちこそ寒そうだけど。」
横から谷川が口を挟んだ。
「藤村君、美邦ちゃんに遠慮したんですよ。彼、巫女装束に防寒性がないこと知ってましたから。自分だけコートなんか着れるかって言ってね。」
冬樹は谷川をねめつける。美邦にはあまり知られたくなかったようだ。
「――まあ、ともあれ早く車に乗りましょうよ。寒いですし、何より子の刻が過ぎてしまいますよ。」
谷川は神社庁の前に停めてある車を指さす。
黒い乗用車と白いワゴン車があった。谷川が指さしたのは前者である。比較する対象があったためか、高級車であることは一目で判った。ワゴン車には、既に神社庁の職員たちが乗っている。
美邦は啓のほうへと向き直った。
「叔父さん――短いあいだでしたが、今までお世話になりました。」
啓は少し寂しそうな、あるいは不安そうな顔をした。
「今まで僕は、何もしてやれなかったに等しいよ。平坂神社のことについて、何も教えてあげることもできなかったし、詠子に対しても何も言ってやることができなかった。詠子が入院してからは、むしろこっちが世話になってたかのようだ。」
「いえ、お父さんが生きているあいだは、ずっとあんな感じでしたから。それに、神社や叔母さんのことは仕方がないと思います。」
啓は軽く息を吐く。それはまるで紫煙のように夜闇に消えた。
「そうか――兄さんはよくできた娘さんを授かったんだな。」
それから美邦は、竹下のほうにも向き直る。
「竹下さんも――今までお世話になりました。――行ってきます。」
「はい――こちらこそ、今までお役に立てたかどうかは分かりませんが。」
竹下の微笑みは少女のようであった。今は少し泣きそうでもある。
「どうか――気をつけて行ってください。」
美邦はうなづき、一礼をする。
寒いというのはそうだったので、美邦らはその黒塗りの車へと乗った。
車内は暖房が効いており、温かかった。紫色に染めぬかれたその座席は、塵一つ落ちていない。自分達が特別待遇を受けていることは明らかだ。それが少し落ち着かない。
後部座席には美邦と冬樹が、助手席には谷川が乗った。
そして車は、静かに発進する。窓の外からは、啓と竹下の二人が、視界から消えるまで美邦を見守り続けていた。
雪景色の中、神遣い達を乗せた車が、世間の誰にも知られることもなく走り出す。窓の外には、街のネオンが流星のように走っている。
発進してしばらく経ってから、ふと谷川が口を開いた。
「この車の塗装の下にはね――銅鐸や、鉄鐸に描かれていたあの模様が施されているんですよ。辰沙でね。」
しんしゃ、ですか――と冬樹は問うた。
「いわゆる、硫化第二水銀と呼ばれる鉱物です。紅い鉱石で、かつては絵の具の材料に使われていたそうですが。古代から魔除けとして使われていました。平坂町の家々に吊るされている紅い布にしろ、本来なら辰砂を使わなければ効果のないものだったのです。」
――なるほど。
だから菅野が軒先に紅い布を吊るしても何の効果もなかったのだ。
そしてふいに思い当たったことがあり、美邦は口を開く。
「あの銅鐸の模様は、神様の悪意を削ぐものだったのではないんですか?」
確かにそのとおりですよ――と谷川は言う。
「後ろのワゴン車も、塗装の下に辰砂で同じ模様が描かれている。それと、ちょっとした呪術が施してあります。神様からは、我々の存在は認知できないはずです。そうしなければ、また職員を亡くしてしまいますから。」
車はやがて、光の溢れる市街地から離れていった。
山の中へ這入り、そして海沿いの通りへと出る。闇を孕んだ
けれども同時に、不思議なほど惹かれるものがある。もっとあの恐ろしさを感じてみたいという奇妙な感覚が――。冬樹に目を遣ると、やはり美邦と似たような表情をしていた。
一年で最も夜の長い日――。
かつては、外へ出ると祟りがあるとされていた日。
世界の拡がりにも等しいこの闇の向こうに、常世の国はある。
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