8 笹倉の決意

冬樹は図書室で昼休みを潰していた。


給食時間が終わったあと、ふと気づけば美邦は教室から消えていた。図書室へ来てみても、美邦はおろか芳賀の姿さえも見当たらなかった。


連日の疲れがわずかにあったため、ストーヴの近くの席に坐って休む。


そのまま何もせず呆っと時間をすごした。


落ち着いて考えてみると、強い悔悟が湧いてきた。自分の身体は取り返しのつかない欠損を負っている。右眼も、左耳の聴力も失ってしまった。内臓もいくつかがない。そうでありつつも――生きている。


美邦のハンカチをお守りとして持って以降、幸いと言うべきか身体からは何も欠損していない。築島や田代などには申し訳ないような気もするが、それは自分が頭屋となるためらしい。


寄神を常世の国へ返し終えたあとは――良子も早苗も、正常に戻るのだろうか。そのあとは、以前のように、冬樹の身体を気遣ってくれるのだろうか。たとえそうであったとしても、自分は長くは生きられないだろう。


自分の傍らに、何者かが立っていることに気づいたのは、そんなときだ。


最初は美邦ではないかと思った。しかし頭を上げてみると、それは黒い、そして薄い影のようなものであった。――幻視だ。最近は道端などでよく見かける。しかし学校の中で目にしたのは初めてであった。


――何者なんだよ、お前は。


心でそう念じてみたものの、当然、相手は何も答えない。


人影が隣に立ったまま奇妙な時間が流れた。


そうしているうちに、二年A組の教室のほうから騒がしい音が聞こえてきた。何事であろうかと気にかけていると、突如として図書室の扉が開いた。姿を覗かせたのは岩井であった。ただならぬ表情をしている。


「藤村君はいますか?」


そして冬樹と目が合うと、つかつかと歩み寄ってきた。


「藤村君、来てください! 貴方のせいで大変なことが起きています!」


「大変なこと? 何だ?」


「いいから、早く!」


岩井に急かされるがまま、冬樹は椅子から立ち上がる。


図書室から出る際――気になってふと背後を振り返った。


影は寂しそうにたたずみ、こちらを向いていた。


その彳まいには見覚えがあった。


由香だ。遠くから見ることによって影が濃く感じられ、輪郭もややはっきり見える。その姿が、生前の由香とそっくりだったのだ。


教室の前に着くと、その前にはすでに人だかりができていた。


微かに灯油の臭いがしている。


冬樹の姿を認めると、彼らは非難の視線を向けながら、早く来いなどと口々に発した。冬樹は彼らに腕を掴まれたり、岩井に背中を押されたりしながら、無理矢理教室の中へと放り込まれた。


上半身が床へと叩きつけられる。何か液状のものが制服についた。


痛みをこらえつつ顔を上げると、そこには笹倉の姿があった。


笹倉を中心として広範囲に灯油が拡がっており、周辺の机は薙ぎ倒されている。笹倉の手にはノズル付きライターが握られていた。全身に油を被りつつも、憎悪の視線を冬樹に向けている。隣には、空になったらしいポリタンクが転がっていた。そういえば、今日の灯油当番は笹倉であったか。


冬樹はぎょっとした。そして、何をするつもりだ――と問う。


「一昨日、何人も死んだばっかだが!」


笹倉は叫んだ。


「お前と大原のせいで、もう何人死んどると思っとるだ! 今まで町でこんなにも人が死んだことなんてなかったのに、お前ら一体こそこそと何を企んどるだ!? このまんまじゃ、これから町でどれだけ人が死んでゆくのかも分からん。だけん――お前らがクラスのみんなに隠してきたこと話さんかったら、火、点ける。」


笹倉が本気であることは、態度から明らかであった。


「莫迦な真似はよせ――そんなことくらいで。」


莫迦な真似とは何です――と、すぐ後ろで岩井が怒鳴った。


「今まで笹倉さんが不当な扱いを受けてきたことが莫迦なことなんですか? この町で死人が出ていることも莫迦なことなんですか? 貴方は死者を冒涜しています。」


廊下が再び騒がしくなった。


「笹倉さん! 大原さん、連れてきたで!」


人だかりを掻き分け、美邦の腕を掴んだ田中が教室に這入って来た。


同時に、教室のドアがぴしゃりと閉じられる。教室の中には、笹倉と、冬樹と美邦、岩井・田中だけが残った。廊下は冷たい目をした生徒達で固められている。閉じ込められたのだ。


教室の状態を目の当たりにし、美邦は震える声で問う。


「笹倉さん――一体、何――しているの?」


「こんなことになったのはお前のせいだろが!」


笹倉は真っ白な頬をぷるぷると震わせた。


「このあいだは、古泉さんも言っとったが? お前らは、神社がどうのこうの、祟りがどうのこうのって話をしとったとかって! 一昨日、列車が衝突したんもその祟りとかでないだか!? 大原が来てから、ずっとその祟りが起こっとる! お前らがその祟りの原因でないだなんて何で言えるだ!? お前ら、ほんと一体何して来ただいや! こないだそのことについて説明しときゃ、あんな事故も起こらんかったでないだかいや!」


激情のあまりか、笹倉の目からは涙が流れ出した。


「言え! お前ら、何をしてきたか、言え!」


笹倉はライターに火を点けた。


「やめろ笹倉さん!」


教室の外から芳賀の叫び声が聞こえてくる。


「藤村君は関係ない! 本当に関係ないんだ!」


しかしそんな芳賀の叫びは、廊下にいる生徒達の手によって封じられた。廊下からは、お前ら何してるんだ――という教師の声も聞こえていたが、それに反抗する生徒の声も聞こえる。


「少なくとも大原は関係あるってことだがないや!」


笹倉はライターの先で美邦を指す。


「このまんま何も言わんかったら、本当に、火、点ける。お前らのせいで人が死に続けていくんなら、ここで死んだほうが町のためだ。」


「おいやめろ。」冬樹はさすがに焦燥を感じた。「俺達はただ、十年前までこの町にあった神社について調べとっただけだ。その神社は倒産したらしいけど、大原さんの家は宮司の家系で――」


「嘘つきは信頼できない。実相寺もそんな風にして、みんなにはいい顔しとったけど、結局は姫子を裏切った。お母さんにもお父さんにも訊いてみたけど、誰もそんな神社なんかなかったって言っとった。」


笹倉はライターの先を下へと下ろした。


「さようなら。」


ライターの先が笹倉のスカートへと触れる。


莫迦――と思う間もなかった。瞬間、その小さな火先ほさきは教室一杯を埋め尽くす火柱へと変わった。冬樹の目の前は、真っ白な光で埋め尽くされた。

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