6 大きな事故

平坂神社を舞台とした夢を見ていたような気がしていた。蒼い鎮守の杜に建つ立派な社殿――今は失われた光景だ。美邦はそこで、姉と手をつないで歩いていた。夢の中で、美邦は小学生ほどの子供であり、姉は中学生か高校生ほどの年齢であった。


目覚まし時計の音で目を覚ました。ベルの音を止めるため布団から腕を伸ばすと、容赦のない寒気が襲ってきた。外からはヘリコプターの音が聞こえている。それが、どういうわけか耳の奥へと深く響き渡った。


ここ数日の癖で、枕元のメモ帳へと手を伸ばす。眠たい目を擦りつつ、夢の内容を記してゆく。寒くて堪らなかったので、布団に包まりながら書いた。ふと美邦の手が止まったのは、そのときだ。


――ちーちゃん。


たった今書き終えたその言葉が気にかかった。


どこかで聞いたことのある言葉だったからだ。


それがどこであったのか、急には思い出せなかった。


いつまでもメモ帳とにらめっこしているわけにもいかない。寒さに震えつつも、普段着へと着替え、一階へと向かう。


食堂には啓がおり、朝食のトーストを食べていた。おはようと声をかけてきたので、おはようと返事をする。テレビからはニュースが流れていた。


何日か前までは、詠子が誰よりも早くに起きてきて、清掃を行い、朝食を作っていたはずだった。この家で毎日繰り返されていたことが、自分という存在の介入によりなくなってしまったのだ。


寝間着を洗濯物篭に入れ、食堂へ戻り、自分の朝食の準備をする。冷たい空気の中、珈琲メイカーから沸き立つ湯気が、香しい匂いを携えていた。


テレビから流れるニュース番組の画面が切り替わった。


そこに写ったのは、空の上から平坂町を俯瞰した風景であった。


美邦は思わず凍りつく。


画面には線路を見下ろした風景が写っていた。そのトンネルの直前で車輌が停車している。もっと言えば、二輌構成の列車の先頭が線路から逸れ、トンネルの横に激突してひしゃげていたのだ。


アナウンサーの淡々とした声がニュースを伝える。


「先日午後二十時ごろ、■■県■■市平坂町上里にある■■線のトンネル手前で、普通車輌二輌が脱線し、トンネルの開口部に激突しました。この事故により、乗員及び乗客三名が亡くなり、二人が重軽傷を負いました。」


それから画面は、地上から撮った映像へと変わった。ひしゃげた車輌の先頭がクローズアップされ、別のアナウンサーが事故の詳細を解説する。


その悲惨な状況は、美邦から言葉を失わせるのに充分すぎた。そういえば先日の夜中、遠くから救急車輌のサイレン音が鳴り響いていたか。またよくないことが起きたであろうとは思っていたが――。


啓に目を遣ると、ぽかんと口を開き呆然としていた。そして、すごいことになったなと、他人事のようにつぶやく。


いや――確かに他人事には違いない。


しかし啓は、明らかに美邦に対して気を遣っていた。


美邦もまた、これが完全に他人事だとは考えていない。少なくとも、笹倉をはじめとするクラスメイト達は、他人事と考えてくれないだろう。明日登校したとき、また教室の空気が悪くなっていることは明らかだ。


しかし、なぜこのような惨事が起きたのであろう。ここ二ヶ月のあいだに起きた不審死は、美邦や平坂神社に関連した人物が被害者となっていた。まさかとは思うが、美邦の知る人物が被害者の中にいるのだろうか。


その日はこの鉄道事故の情報から目が離せなかった。詳しい情報が気にかかり、インターネットでも検索をかけた。亡くなったのは三人だけであり、その名前も報じられていた。しかし、美邦の知る者はいない。


冬樹から電話があったのは、昼に差しかかったころだ。


美邦は昼食の準備をしていた。電話を受け取ったのは千秋であった。


藤村さんという人物から電話だよという声を聞き、美邦はすぐさま受話器を受け取る。受話器を耳に当てるなり、冬樹の声が飛びこんできた。


「大原さん――ニュース、聞いた?」


うん――と美邦はうなづく。


「何だか、大変なことになってしまったみたいね。」


「大変――なんてどころの話でないとは思うけど。」


しばらく間を置き、冬樹の嘆きが聞こえてきた。


「――俺のせいなんだ。」


「え?」


「十三年前の当屋じゃなかったみたいなんだ、原因は。」


冬樹は、電話越しに先日起こったことと、それに至るまでの経緯を語る。美邦はこのとき、寺田直美が図書館の司書であったことを初めて知った――そして、田代が鉄道事故で亡くなったことも。


冬樹は激しいショックを隠せないでいた。


「田代さんは、神社がなくなったことと関係がなかったんだ――。寄神は、一年神主の経験者だった人を次々と粛清して廻っていた。だから――田代さんが、十三年前の当屋だったってことを俺が暴いたから。」


「落ち着いて。あまり自分を責めてはいけないわ。」


冬樹の声は、明らかに狼狽している。


美邦はこのときになり、自分を責めることはこんなにも簡単だったのかと気づいた。本人は、自分の中にある憂鬱を吐露するだけなのだ。それを受け止め、苦慮しなければならないのは周囲なのに――。


「十年前に起きたことの原因が田代さんだと考えてしまったのも、仕方のないことだと思うわ。だって、それ以外に情報がなかったのだもの。それに、私の見たものが十三年前の事故でないのなら、他にも同じような事故あるということなの?」


「ああ、さぁだな――」


冬樹はそれから、再び何かを考えているようであった。


「十三年前より、もっと遡るか――そうでなきゃ、まさかとは思うがもっと遅い時期に起こった事故か。とりあえず、今は何とも言えないけれども。鉄道会社に、再度メールを送ってみないことには。」


「――そう。」


美邦は一点だけ、どうしても問い質さずにはいられないことがあった。


「どうして――田代さんのことは、今まで私に黙っていたの?」


冬樹は再び沈黙した。しばらくは何も答えなかった。


ややあって、こう返事がある。


「田代さんが十三年前の当屋であるか、正確なことは分からなかったからだ。それどころか、田代さんは、俺が小さいころからの顔馴染でもあったから。だから――つい、疎かにしてた。」


「――そう。」


「ごめん――今まで報告できてなくて。大原さんとも相談するべきだった。そうでなきゃ、こんなことにはならんかったかもしらんのに――。」


「いいのよ。藤村君の気持ちも分かるから。」


実際、美邦も冬樹に隠して調べ事をしていることがあるのだから。


それから別れの挨拶をして、美邦は受話器を置いた。


自分が引っ越してからというものの、この町ではしかばねが重なっている。


いや――これは十年前から続いてきたことなのだ。今は、それが間隔を置かず起こっているにすぎない。そして犠牲者の中には、自分の両親や祖父もいる。これから、平坂町で同じことが続いていかないためにも、


――神送りを行わなければならない。


しかし、一体どうすればいいのか。

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