5 遅い帰宅の中で

彼は夜道を急いでいた。


日が暮れる頃まで残業していたのが間違いだった。それから町内のスーパーに寄って夕食を買ってきたのだが、そこを出ると二十時を廻っていた。


こんな時間帯であっても、平坂町は深夜のように静まり返っている。


特に今日は、家々に灯っている明かりも少ないようだ。


この町の夜が、ここまで静かなものとなったのはいつからであろう。十年ほど前までは、どこからか漂ってくる夕食の匂いや温かな窓の明かりで夜にもいろどりがあったはずだ。それが、今は――かつて行われていた御忌の日に似ている。


惣菜の入ったレジ袋を片手に、冷え切った夜風の中を歩く。


さっきから、何度も背後を振り返っている。視界に入るものは、街燈に照らされた薄暗い闇だけだ。それなのに――誰かから見られているような感覚を拭えない。


これと同じ感覚を最近は何度も抱いている。


最初に感じたのは、第二図書室で二人の生徒と話していたときだ。普段なら、それは気のせいで済ませられる程度のものであった。けれども、二人の生徒も同じものを感じていたらしい。


それからは、何でもないはずの闇や、ブロック塀の隙間、廃屋の中などが気に掛かって仕方なくなった。そこに何かがいるような気がしてならない。家の中にいても、窓の外の夜闇が気になって仕方がないし、真夜中には何者かが這入ってくるのを感じる。


その何者かの気這いが、今、背後から迫ってきている。


複雑に曲がりくねり、上り下りする道を彼は駆けてゆく。


背後から何者かがつけて来ている。目に見えたわけでもなければ、跫音あしおとが聞こえるわけでもない。けれども彼の脳内には、はっきりとそのイメージが浮かんでいた。夜闇に浮かんだ二つの朱い目――。人の背丈以上もある、脚のない獣のような怪物が背後から追いかけてきている。


それは言うまでもなく、平坂神社に祀られた神の姿を連想させた。


彼は、御忌の日の夜を思い出していた。布団の中で震えて眠った子供の頃。何者かから追いかけられている今の状況よりも、その記憶を思い出すことのほうが恐ろしかった。


ふと彼は、周囲の光景が変わっていることに気づいた。


帰り道をまっすぐに駆けていたはずであった。けれども彼は――今、自分の立っている場所がどこなのか分からなくなっていた。


材木と濃厚な潮の匂いが鼻を突く。道路は水浸しであったし、どこを見回しても小高い瓦礫の山しか見えない。その小高い山の群れは、家としての原形を少しだけ留めていた。


――ここは、どこだ。


彼は呆然自失とし、惣菜の入ったレジ袋を落とす。


――一体、何が起きているんだ。


背後からは、何者かの気這いが迫っていた。

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