【幕間8】身代り

妹が亡くなったのは、神嘗祭から一ヶ月後のことだった。


日没の時間は早くなっていた。その日、わたしがいつもどおり帰宅すると、玄関で出迎えた母が、不安そうな顔をして訊ねた。


――あんた、ちーちゃんを知らん?


わたしは首を横に振らざるを得なかった。


高校は市内にあるため、帰宅するまで妹と顔を合わせることはまずない。普段ならば、妹のほうが先に帰宅しているはずであった。たとえ寄り道をしていたとしても、あまり遅くはならないはずだ。


――ちーちゃん、どうかしたん?


わたしが訊ねると、母は顔を蒼くして言う。


――まだ、帰って来とらんだが。


さすがのわたしも不安に思った。


それから母は学校に電話をかけ、妹のことについて訊ねた。しかし学校からは、知らない、既に帰宅したはずだ、という答えが返ってきたという。とりあえずはあまり騒いでもいけないので、わたし達はもう少しだけ待ってみることとした。


しかし、それから夕食の時間となっても妹は帰って来なかった。


――お姉ちゃん、私がいなくなったら、やっぱ悲しいかな。


妹が一か月前に放った言葉がわたしの中で蘇っていた。あれからというものの、妹はしばし浮かない表情をすることがあった。そのことについて、わたしは何度か母に相談したこともある。しかし母は、なぜだか優し気な表情で「あまり気にせんほうがええでないかな」と言うのみであった。


警察に連絡した。町内の大人たちが集まり、妹の捜索が始まった。


わたしはただ家の中で不安を抱えながら過ごした。


おかげでその日は、夕食もろくに喉を通らなかった。


家の外からは、妹を探す大人たちのかけ声が聞こえている。


玄関を激しく叩く音が聞こえたのは、十一時頃のことか。ちょうど風呂から上がってきた頃であった。母が玄関を開けると、近所に住む男が血相を変えて立っていた。何かがあって駆けつけて来たらしい。息を切らしている。


男はその場で、早口に何かをわめき立てた。何を言っているのかはよく聞き取れなかったが、妹の名前と、平坂駅、踏切で――という単語のみが、途切れ途切れにわたしの耳に飛びこんできた。


いてもたってもいられなくなった。


わたしは靴をつっかけて家から飛び出た。背後からは母の呼ぶ声が聞こえていた。中通りへと小路を駆け上り、踏切のほうへと駆けてゆく。


冷たい風の吹く中――夜闇に紅い布がゆらめいていたのを覚えている。


風呂上がりの寝間着一つの身だ。全身から夜風の冷たさを感じていた。冷たい風が右の頬に強く吹きつけている。平坂町の夜そのものが、冷たくて暗い巨大な塊のようだ。


やがて遠くから、犬の吠えるようなサイレン音が聞こえてきた。どうやら踏切のほうへ向かっているようだ。平坂町に踏切は一つしかない。夜の平坂町は、普段なら人通りなどなく、静まり返っている。それなのにその日の夜は、何人もの大人たちが踏切のほうへと駆けていた。わたしはそんな彼らよりも早く駆けようとした。


商店街を通り抜け、駅の隣の踏切へと辿り着いた。


そこにはすでに救急車が止まっており、紅い回転灯を回していた。


踏切は緊急停車した車輌によって塞がれている。その重たく錆びついた車輪の下からは、飛び散った血痕のようなものが見えた。


呆然と立ち尽くすわたしに、一人の大人が近寄ってくる。


どこかで見た顔だなと思った。


恐らくは、これも近所に住む男だったのだろう。


彼はわたしに、妹が鉄道事故にあったことを遠回しに伝えた。


わたしはしばらくのあいだ、呆然として何も考えられなかった。やがて、足元が萎えるのを感じて、その場に崩れ落ちた。今まで妹と過ごした時間が、全て台無しにされたかのような、酷く屈辱的な気分となった。


――どうして。


一年神主に選ばれた者は、本人か、その家族が生贄に取られることがあるという。


それはどうしても仕方のないことなのだろうか。いや、たとえそうであったとしても――どうして、わたしではなかったというのだ。


一体どうして、神は、唐突にわたしと妹とを引き裂いたのであろうか。

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