7 平坂町をつなぐもの

朝食を摂り終えると、すぐさま家を出た。


浜通りを北東へと進んで行く。空は雲一つない。強い日差しが降り注いでいるにも拘らず、気温は低く、温もりは少しもない。地響きのような潮騒と、塩分を含んだ粘っこい風が海からは吹き付けている。


浜通りはいつもどおり閑散としている。冬樹の背後を歩く一人の人物を除いて通行人はいなかった。


待ち合わせ場所の湊公園に着いた。美邦が来るのを待っているあいだ、右胸の下あたりを冬樹は何度かさすった。


美邦がやって来た。


いつもどおりのお下げに、焦点の合っていない目元。


朝日の中、鉛色に濁った瞳が輝いている。


「おはよ、大原さん。」


「おはよう。待った?」


「いんや、ちょうど今、来たところだよ。」


公園の時計に目を遣ると、待ち合わせ時間の十時にもなっていなかった。


とりあえず、平坂神社跡地へ向けて二人は歩きだす。


平坂神社跡地へ向かうのは、神送りの儀式で廻るルートの始発点を確認するためであった。


からからと水の流れる音が鞘川からは聞こえている。川がそばにあるためか、伊吹山が近いためか、どうもこのへんは湿っぽい。民家もあまりなく、逆に緑は多かった。


鞘川沿いを歩いている最中、ふと美邦は不審そうな顔を向けた。


「藤村君、体調は大丈夫なの?」


やはりと言うべきか、冬樹が感じた変化に美邦も気づいたらしい。冬樹は正直に、分からないと答えた。


「分からない?」


「ああ――分からないんだ。何だか、いつもより身体が軽くなっとるやぁな気がするし、顔色もいつもと違うやぁな気がせんでもないだけど――。俺自身、何が起きとるのかさっぱり分からん。」


そして右胸の下あたりに再び手を遣る。


「ここにあるものって――一体何なのかな?」


美邦は少し考えてから、腎臓かな――と答えた。


やはりそうなのか――という気がした。


それからしばらくして、平坂神社跡地へ着いた。


平坂神社跡地は、以前に訪れたときと何も変わらない。境内に侵入したときのことを思い出した。この奥には――あの舟蟲に覆われた人物がまだ眠っているのであろうか。


特に見るべきところもなかったので、それからすぐに青ヶ浜へ向かった。


中通りを南西へと進んで行く。


二十分ほどで青ヶ浜へと着いた。


青ヶ浜はこの辺鄙な港町には似合わないほど広く、ちょっとした沙丘ほどもある。海辺だけあって、海から渡り来る風は一層強い。加えて、潮騒がすぐそばまで迫っていた。


冬樹は海へと視線を向ける。


沖合には、鳥居があったと思しき岩礁が浮かんでいた。


海の向こうにあるという死者の島へ思いを馳せる。海はあまりにも宏大で、その向こうに何があるのかなど計り知れない。この向こうにあるものを、現代人は知ったつもりにはなってはいないか。


――われ〳〵が現に知つて居る姿の、日本の國のいづれの國も、万國ばんこく地圖ちづに載つたどの島々も皆、異國・異郷ではないのである。


折口信夫が書き記したその言葉を思い出す。


――われ〳〵の祖々おや〳〵が持つて居た二元樣の世界觀は、あまり呆氣なく、吾々われ〳〵の代に霧散した。夢多く見た人々の魂をあくがらした國々の記錄を作つて、見はてぬ夢の跡をふのも、ひとつは末の世のわれ〳〵が、亡き祖々への心づくしである。


冬樹はバッグから平坂町の地図を取り出し、開いて美邦に見せた。


「ほら――これを見て。」


地図には、紅いボールペンで二つの線が引かれている。両方とも、伊吹山の頂上から伸びていた。一つは西へ伸び、もう一つは南西へ伸びている。南西へ伸びる紅い線は青ヶ浜と交差していた。青ヶ浜は南北に長いが、紅い線が交差している地点はちょうど二人の立っているあたりである。


「この線は、伊吹山の山頂から見て春分の日と冬至の日に太陽が沈む方角だ。春分に日が沈む方角は西正面で、冬至に日の沈むのはそこから南に三十度傾いた方角となる。地図の上で分度器を当ててみて、やはりなと思ったよ。――レイラインだったんだな、これ。」


「レイライン?」


美邦は首を傾げる。


「何、それ?」


「古代遺跡や聖地が、直線でつながるよう配置されているんじゃないかっていう仮説だね。古代人は、伊吹山の山頂から見て、鳥居の方角に太陽が没するときを冬至と判断していたのかもしれない。『入江』と言う割に入江がないのは、古代日本語で『西』のことを『いり』と呼んでいたからかもしれない。」


その「いり」という発音がどこか気にかかったので、美邦は少し考える。


「西表島の、『西』かしら?」


「そうそう。日没の方角という意味。東のことは『あがり』というけど。」


平坂町の東にある大字――上里は「あがり」と読めなくもない。


「けれどもそれならば、春分と秋分も判断する場所が必要なんじゃないの? 神迎えは春分に、神嘗祭は秋分に行われるのでしょう?」


「春日の日も秋分の日も、日没は西正面だよ。地図の上では何もないように思えるけど――。ひょっとしたら、元々は何かがあって、港を造るときに壊したのかもしれない。」


美邦は顔を上げ、海のほうへ目を向けた。


冬樹もまた美邦と同じ方向へ視線を遣る。


当然、ここからは紅い燈台は見えなかった――紅い燈台があるのは湾岸の向こうなのだから。


港では、二本の突堤が海を囲っている。その先端には二つの燈台がある。航海法では、陸地から見て右側の突堤には白い燈台を、左側には紅い燈台を配置するよう定められている。


すなわち、伊吹山の頂上から真っ直ぐに西へと伸びた地点に紅い灯台はある。


青ヶ浜を離れ、荒神塚へと向かった。


荒神塚には、言うまでもなく見るものなど何もなかった。このとき、荒神塚の境内へと初めて美邦は這入ることができた。


境内からも祠からも、神聖さや畏敬などは感じられない。


けれども――平坂神社や紅い燈台、青ヶ浜、そして荒神塚といったものがそれぞれ線でつながり、何か縁のようなものを感じさせていた。


腕時計へ目を遣ると、時刻は十一時に差し掛かろうとしていた。


平坂町には中学生が簡単に外食など摂れそうな場所などない。そもそも、生徒だけで外食を摂ることは校則で禁止されている。昼間には県庁所在地へ出られるよう、とりあえず二人は平坂駅へと向かった。


中通りを平坂まで進み、そこから東へ逸れて駅へと向かう。


かつて商店街だったというその場所は、今は閑散としている。緩やかな上り坂となった狭い道に、紅い布の吊るされた民家や、営業しているのかどうか不明な商店、土産物屋、廃屋、空き地などがある。


踏切まで近くまで来たときのことだ。


ふと――美邦は唐突に立ち止まった。


「どうかしたの?」


「いや――何かが違うなって思って。」


「違うって、何が?」


「ほら――私、由香の亡くなる夢を見たことがあるって言ったでしょう? 真夜中にこの道を歩いていって、踏切で轢かれる夢を――。けれども何だか、それがこの道でないような気がするの。いや――この道ではあるのだけど、この道ではないような。」


目をすがめ、美邦はその風景を凝視する。


そして、何かに気づいた顔となった。


「ここって――元は商店街だったりしたの?」


「えっ? ああ――うん。まあ、昔は商店街と呼ばれとったらしい。」


「――そうなんだ。」


美邦は再びその通りへと目を遣った。


ここには今、商店街らしきものは何もない。


「確か――由香が亡くなったときに見たもの――それと、いつだったか見た夢の中では、ここは商店街だったような気がするの。道の両脇に、薬局とか郵便局みたいなものがあって――アーチ状の看板が道をまたいでいた――ように思うわ。」


冬樹は顎に手の甲を当て、考え始める。


「そういうものがあったという話は聞いたことがないが――。ということは、何だ――。大原さんが見た夢や幻視の中には、少なくとも今はないものがあったということ? 看板とか――その、薬局とか郵便局とかが。」


「そう――いうことになるのかしら。」


冬樹は音を立てて空気を吸い込んだ。


「ここには昔、お店がたくさんあって、過疎化の影響でどんどんと潰れていったというような話は聞いたことがあるが――。」


「私が見たものは、かつての平坂町の姿だったということ?」


冬樹は首を傾げ、分からないと言った。


「けれども――ひょっとしたらそうでないかな。少なくとも、ここが商店街だって呼ばれとったことは間違いないらしいし。けれど――もしも、そんな看板がここにあったとして――何でそんなものを見たかっていう話ではあるな。」


そういえば――菅野の家を訪れたあの日まで、美邦は平坂駅前まで来たことはなかったという。それなのに、実際に訪れる何日も前から、美邦は平坂駅前へ来た夢を見ていたのだ。その夢は由香が亡くなったときに見たものと同じものであった。しかし、由香はそのときまだ存命していたのだ。

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