5 竹下のアドバイス
同日の昼休み、美邦は再びカウンセリングルームを訪れた。
上品な家の居間のような落ち着いた雰囲気の部屋――。教室棟や校庭から聞こえてくる喧噪は、やはり学校なのだなと感じさせる。テーブルの向かい側には、落ち着いた雰囲気を漂わせながら竹下が坐っていた。
やはり年上の同性であるという感覚がない。美邦が普段、年上の同性を前にしたときに受ける圧迫や緊張が全くないのだ。
「それで――先週とは、お変わりはありませんか?」
美邦は目を伏せ――色々とありましたと答える。
「叔母さんとも、たまに友達とも、会話が噛み合っていないような――相手が何を考えているのか分からないような感じがするんです。まるで一部の人を除いて、別の世界にいるかのような感じです。」
「具体的には、どんな感じですか?」
それから、クラスメイトや詠子との関係について美邦は語り始めた。
幸子とは、この一週間で全く口を利いていない。まるで元から交流などなかったかのように振る舞っている。
菅野の家が火事になり、黒板の白墨が融けて以降、美邦はクラスメイトの態度がしばしば気にかかった。不自然な視線が向けられているし、逆に交流を断られることもある。
詠子との関係も悪いままだ。
郵便受けに生ゴミが入れられる事件があってからは、美邦のみならず、啓や千秋に対しても常に苛々とした態度で接している。
「郵便受けに生ゴミですか――とても陰湿ですね。お察しします。」
顔に翳りを見せつつも、竹下はそう言った。
「このあいだも、玄関に落書きがされていたばかりですね。それらの行為に対して、家の人は警察に連絡されたりしたのでしょうか?」
「それは――よくは分かりませんけれども。」
「警察が捜査すれば、犯人が割れることも簡単なのではないかと思います。不審者がいたという証言を得られるかもしれませんし、生ごみの成分を分析することもできるでしょう。いずれにしろ、家族に対して叔母さんがそのような接し方をすることは間違っています。」
「そう――ですね。」
「それで――藤村さんとの関係は、どのようになっていますか?」
「藤村君と――ですか?」
「はい。彼との関係について、できる範囲で教えてほしいのですけれど。」
竹下は、冬樹のことを美邦の恋人とでも思っているのかもしれない。
今朝の出来事を美邦は思い出した。
冬樹が教室へ這入って来たのは、始業時間まぎわのことだ。見るからに歩きづらそうに冬樹は足を引き摺っている。その姿を目にして、また何があったのだと直感した。
事の仔細を聞くことができたのは、休み時間に入ってからだ。何でも、今度は爪先の爪が二枚剥がれ、さらに小指の骨がなくなったのだという。
いくら自分のせいではないと言われても、自責の念を感じざるを得ない。
懸念はもう一つある。
月曜日に築島の渡してくれたお守りは、何の効果もなかったことになるのではないだろうか。それならば――築島の身にも、近々に危険がやってくるのかもしれない。
冬樹とのこの一週間の動向を美邦は話す。見舞に行ったことや、そこでパソコンのデスクトップに貼られた奇妙な画像を見せられたこと、巫病ではないかと指摘されたことなどを。
「巫病――ですか。」
「はい。そのことについて、竹下さんの意見を聞いてみたかったんです。」
竹下は右手の薬指を自分の頬に当てた。
「巫病というのは、簡単に言えば、シャーマンがその能力を顕在化させるときに現れる心身の異常を指します。なので、巫病という病気があるわけではありません。主に思春期に現れることが多いとされていますが、その原因は、主にノイローゼや癲癇などではないかと考えられています。しかし、本質的には何も判っていません。」
「そう――ですか。」
「ただし私が見た限りでは、大原さんにノイローゼや癲癇などの症状は見られませんね。過眠症と思えるような症状も、実相寺さんが亡くなられたその日以外にはありませんし。ただし巫病の定義は、シャーマニズムに関連した心身の異常ですからね。大原さんの見た幻視が、もしもシャーマンとなる過程で現れた症状ならば、確かに巫病ということができます。」
なるほど――と美邦は思った。たとえどのような病名がついたところで、冬樹の推測が正しければ、美邦は巫病ということになるのだ。
「巫病については、医学的原因は全く分かっていません。なので、具体的な治療の方法が見つかっていないのです。それでも、本人が信仰に帰依することによって、症状が軽減、ないし寛解することは認められています。」
美邦は首を傾げる。
「巫女さんになることによって、治るということでしょうか?」
「乱暴に言えば、そういうことですね。しかし、どこかの宗教に無理に帰依することは危険です。本人のものではない信仰は、むしろ心身に悪影響を与えてしまいます。言うなれば、これは心の問題なのですから。巫病に罹った人達は、自分を見失わないためにシャーマンとなるのです。」
つまりは――巫病に罹った人達は、信仰を通じて自分の心を治療しているということであろうか。――上手く言葉にできなかったが、美邦はそんなことを思った。
それに――と言い、竹下は真面目な表情となる。
「一部の統合失調症の方や、あるいは瞑想を行った人の中には、例えば
「逆に状態が悪化してしまうこともあるということですか?」
「そういうことです。くれぐれも、現実を見失わないようにしなければなりません。感じたものや考えたことなどをノートに書くことは、そのために有効です。そうすることによって――たとえどれだけ不思議な体験をしたとしても、本当の意味が見えてくるはずです。」
「そう――ですか。」
ひょっとしたら、超常現象的なことを竹下は信じていないのかもしれない。「本当の意味」とは、この町で起きている不可解な出来事のことではなく、既存の科学で解釈できることを指しているのであろう。
「藤村君、この町で起きている不思議なことと私が見たものは関係があると考えてるみたいなんです。私自身も、そんな気がしています。」
竹下は興味深そうな顔で、ふむと言った。
「藤村君も、例のノートに興味を持ってるみたいでした。なので、休み時間のあいだにコピーしてきて渡したんですけれども。あと、ひょっとしたらまたおかしな夢を見るかもしれないから、枕元にメモ帳を置いて寝るように言われたので、先日からそれをやっています。」
美邦が言ったことを、竹下はカルテに書き留める。
「夢のメモを取ることは、よいことだと思います。夢の内容を知ることによって、大原さん自身の心の状態も知ることができるからです。できれば――そちらのほうも私に見せてはいただけないでしょうか?」
「あ――はい。大丈夫です。」
夢の内容を書きつけたメモはどうせ乱雑で読めたものではないだろう。美邦はあとから清書するつもりだった。ならば、清書は同じノートに行い、冬樹にはそれをコピーしたものを渡したらいい。
「いずれにしろ――藤村君との関係は大切にしたほうがよさそうですね。一番悪いのは、信頼できる相手がおらずに、悩み事を一人で抱えてしまうことですから。――私も、できれば週にもっと多くこの学校へ来たいのですけれども――そういったわけにもいきませんし。クラスメイトとコミュニケーションが取りにくいのであれば、同じクラスメイトである藤村君こそが、その仲介役になってくれるのかもしれません。」
「そうですね。」
竹下の言うとおりなのかもしれない。特に美邦は、自分でも呆れるほど、考え過ぎ、思いつめてしまう傾向にある。
ただし冬樹を頼って、幸子との関係が修復できるとも考え難かった。いくら冬樹といえども、クラスの全員と親しいわけではない。ましてや幸子は女子で――美邦でさえも、どう接したらいいか分からないのだ。
それでも――今の美邦にとって、冬樹はクラス内で唯一頼れる存在であることだけは確かであった。
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