2 過去の一年神主

左耳が聞こえないと、教室の印象も違った。


金曜日の朝からしばらくは、左耳に何かが詰まったように感じられていた。世界の左半分が失われたような感覚は今も消えない。特にそれは、騒々しい教室ともなれば各段であった。


左耳の聴力を失ったことの辛さを感じるのは、こういうときだ。


右耳は聴こえるのだから大丈夫だという話ではない。


こんな状態が一生続くのだ。美しい音楽も、他人が話す声も、自動車の這い寄る音なども――ずっと右耳からしか聴き取ることができない。


学校が自宅から遠いのと、朝が苦手なために、冬樹の登校はいつも遅い。だからその日も、朝の喧噪を聞いていたのは短かった。


その短いあいだ、美邦はずっと悲しそうな表情をしていた。


遠く離れた場所で、幸子は班の者と何かを話している。一体何があったのかは分からない。しかし、ほんの二週間ほど前まで仲良くしていた二人が、それぞれ違う場所で違う表情をしていることに違和感を抱いた。


まるで――。


自分の知る世界が、ここ二週間で大きく変わったかのようだ。


予鈴が鳴り、朝学活が始まる。


読書の時間を経て、十分間休憩へと入った。


一時間目の授業は理科なので、教科書やノートを持って冬樹は理科室へ向かった。一階へ降り、職員室の前を通り過ぎようとする。築島から呼び止められたのはそのときだ。


「ああ――藤村君、ちょうどよかった。」


冬樹は振り返った。築島の顔を目にして、また別の違和感を抱く。


何が変わっているというわけではない。けれども、何かが変わったような気がする。似たような感覚を由香からも抱いたことがあった。


築島は懐から折り畳まれた紙を取り出し、冬樹へと渡す。


「これは先週の水曜日から、僕が知人に電話を掛けて得た情報です。みなさん平坂神社のことは忘れておられたので、このようなことしか分かりませんでした。このことについて、できれば大原さんも交えて三人で話したかったのですが――。昼休みにでも、お時間はありますか?」


差し出された紙を冬樹は受け取った。


「あ、はい。多分、大原さんも大丈夫だと思います。」


「そうですか。できれば来てくださいね。渡したいものもあります。」


「渡したいもの?」


「ええ。それは、そのときに。」


それから築島は、ふと話題を替える。


「ところで、金曜日はどうされました? 学校を休まれていたようですが――大事はなかったですか?」


「ああ――それが――」


冬樹は、自分の左耳が突如として聞こえなくなったことを伝えた。


築島は大層驚き、冬樹をねぎらう様々な言葉をかけた。普通の態度を取る大人に初めて出会えて、冬樹はようやく安心する。


「気をつけてください。――どうか、お大事に。」


「はい。」


築島と別れ、理科室へと向かう。


理科室の机に着き、紙片を開いた。そこには次のように書かれていた。



  十一年前の頭屋 里山幸雄 十年前事故死

  十一年前の当屋 間中歩実 十年前自殺

  十二年前の頭屋 田中圭人 十年前病死

  十二年前の当屋 前田祐子 十年前失踪

  十三年前の頭屋 近衛栄一 十年前事故死

  十三年前の当屋 寺田直美 不明



冬樹は顎に手を当て、考えだす。


十三年前の当屋を除いて、全員が十年前に死亡・行方不明となっている。


しかも十年前の事故死や自殺と言えば、新聞記事に載っていたものではないのか。図書館から印刷してきた資料は家に保管してあるため、今すぐ確認することはできない。しかし、恐らく間違いはないだろう。


となれば十年前に不慮の死を迎えた九人中、五人は神遣いだったということになる。あとの四人については分からない。しかし、その九人以外にも病死者と失踪者がそれぞれ二人いたということになる。


冬樹の頭の中に、驚愕したような菅野の表情が浮かんでくる。それは怯えたような表情でもあった。


まるで粛清のようだ。神遣いであった者が、十年前から九年前までのあいだに、次から次へと亡くなっている。


しかし同時に、冬樹はふと一つの事実に思い当たった。


――待てよ、寺田直美って?


始業のチャイムが鳴り響いた。

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