【幕間7】秋祭りの日

当屋として選ばれてから半年が経とうとしていた。その頃には神楽も流暢に舞えるようになっていたし、肉や乳製品を摂らない生活にも慣れてきた。何より、ほぼ一日おきに平坂神社へ通っていたわけだから、神の存在にもあまり恐れを感じなくなっていた。


ただし、畏れは感じていた。


恐れを感じなくなっていたのは、神の存在を詳細に感じ取ることができるようになったからだ。それまでは漠然と恐ろしさを感じるだけだったのだが、神のらぐとき、不快感を示すときが、何となく感じられるようになっていた。


不快感を示すときは、衣服に汚れが付いていたリ、社殿に尖った金物などが持ち込まれるときだ。ゆえに社殿へ参拝するときは、装束に汚れが付いていないか細心の注意を払ったし、髪留めも外していた。宮司や頭屋――わたしより一、二歳ほど年上の男性だ――の衣服に汚れが付いていたら、指摘して取り払ってやったりしていた。そうしているうちに、わたしは神に気に入られているらしいことを感じ取るようになった。


そして神嘗祭の日がきた。


神嘗祭は秋分の日に行われる平坂神社の例大祭だ。宮司によれば、これは収穫を祝うための祭りであって、一ヶ月後の十月十七日にも皇居と伊勢神宮でも同じ名前の祭りが行われるらしい。


祭りの何日か前から、町中には笹のついた竹竿が立てられ、紅や藍色の幟が翻る。


当日、神社のふもとには屋台が立ち竝び、神輿が町内を巡幸する。町民はその神輿に紙吹雪や米、御神酒などを降り掛ける。それは、普段は畏れ敬われている神に対する扱いとは到底思えなかった。


けれどもこの神嘗祭の日こそが、神の最も安らぐときらしい。


実際、わたしも幼い頃から、この神嘗祭の日だけは神の存在が恐ろしくなかった。そればかりか、思い出はよいもので満たされている。妹と手をつないで歩いた夜店――様々な色に塗られた屋台の垂れ幕が、温かな電燈に照らされていたのを覚えている。そこで食べた綿飴や林檎飴の味は、ただの砂糖の塊ではなく、何か別の食べ物のようであった。


一年神主は、祭りの一週間前から完全に肉食を絶つ。


祭の日は、特にこれといってすることがなかった。それなのに一年神主は、一日中神社に拘束されていた。午前中は、宮司が延々と祝詞を上げる傍らでずっと坐っていなければならなかった。午後はと言えば、神輿の後ろに付いて、夕方まで町内を歩き続けなければならなかった。


日が落ちたあとは、神迎え・神送りで奉納されるものと同じ神楽舞――いわゆる浦安の舞というやつである――を行う。言うなればこれは、神送りの夜で神楽を奉納するための予行演習なのかもしれない。


特にたのしいことはなかったが、神が喜ぶのを感じるのは悪いものではない。


しかしわたしが気に掛かったのは、神嘗祭において、神社が一年神主に対して出した食事であった。その食事は、肉や魚こそなかったものの、やたらと豪勢であった。大根おろしを掛けた餅や根菜の煮物、汁物、果物や練り菓子、御神酒など――そこへ魚介類が入れば、この神社に供えられている神饌と同じである。


――なぜ、神饌と似たようなものが?


食事を摂ったのは、鎮守の杜のふもとにある寄合所でのことだ。そこでは宮司や巫女、祭りに関わる役員もまた同席していた。彼らの食事にも肉や魚はなかったが、一年神主に出されたものと比べれば随分と貧相だ。


少々傲慢な言い方をすれば、


――まるで、自分が神様として祀られているみたい。


神楽舞の奉納と、再び宮司による祝詞奏上が行われ、祭りは終わった。その頃には既に九時を廻っており、家に帰って来る頃にはへとへととなっていた。長いあいだ神事に付き合わされていたためでもあったが、同時に、始終神の影響に曝されていたためでもある。身分の高い人物と席を共にしていれば、何をしていなくとも疲れることと同じだ。


家へ帰り玄関に上がると、真っ先に妹が出迎えてくれた。


――お姉ちゃん、お帰りんさい。


その声を聞いて、微笑みを目にして、わたしは少し安心する。自分の隣にあるべきものは、あの厳めしい神の気這いではなく、この妹なのだと深く思う。


――うん、ただいま。


なのでわたしはそう言い、微笑み返した。


妹は、祭りをそれなりに愉しんでいたらしい。お土産に、屋台で買ってきた林檎飴をわたしにくれた。家で食べる林檎飴は、ほとんど砂糖の味しかしなかった。それでも、疲れたわたしの身体にとって、染み入るように甘く感じられた。


――お姉ちゃん、神嘗祭はどんなことしたん?


妹にそう訊かれたため、わたしは神社であったことを訥々と話す。


いずれ自分も当屋に選ばれる可能性が高いためか、妹は一年神主のことをよく聞きたがる。しかし――なぜだか今日は、話しているうちに妹に元気がないように感じられた。相づちを打つ声が、次第に小さく、好奇心に欠けるものとなっていった。


――ちーちゃん、ひょっとして元気ない?


気になってそう問うと、妹は恥ずかしそうにはにかんだ。


――えっ? うーん。私って、元気ないやあに見える?


――うん、ちょっと。


――うーん、そうかなあ?


妹がそう言うので、わたしはそれ以上問わないようにした。きっと友達と何かあったのだろう――という程度にしか考えていなかったからだ。わたしは再び、当屋としての仕事について語り始めた。


――そんな感じで、わたしはほとんどすることがなかっただが。本当に、何のためにあるんだらあな、一年神主って。


――うん。


妹は、今度ははっきり元気がなさそうな声でうなづいた。顔をうつむけ、手元のマグカップに視線を落としている。わたしは言葉を続け兼ね、しばらく黙った。


少し時間が経過してから、妹はこんなことを言った。


――お姉ちゃん、私がいなくなったら、やっぱ悲しいかな?


当然、それは予想外の言葉であった。なぜそんなことを言うのか、わたしには全く理解できなかった。わたしは驚いて、叱りつけるように言う。


――そりゃそうだが! 変なこと言わんで!


これではまるで――妹が、わたしの隣からいなくなってしまうようではないか。聞きたくないような、不吉な質問であった。


――うん、そうだよね。ごめんね。


妹は再び、恥ずかしそうにはにかんだ。


――私も、お姉ちゃんがおらんようになったら、悲しいもんね。

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