10 冬樹の部屋
学校から帰ってくると、美邦は冬樹の家へと電話をかけた。お見舞いへ行きたいとは思っていたが、いきなり訪れていいか不安になったためだ。
祖母らしき人物が電話に出たあと、冬樹に代わった。
「もしもし――大原さん?」
一日ぶりに冬樹の声を聞けて、美邦はほっとする。
「あ――うん。ごめんね、急に電話して。今日も休んでいたから、何があったのか、つい心配で。先生も、何も言っていなかったし。」
「いや――別に構わないよ。――電話番号は、誰から?」
「芳賀君から。」
「そうか。」
電話にはどういうわけか、ざざざと多くの雑音が混ざっていた。
「それで――一体、何があったの?」
冬樹は少し言いよどんだあと、朝に起きたことを告げた。
そのショックは、爪が剥がれたと聞いたときの比ではなかった。神社について調べるのをやめたくないと言ったことを、今さらながら後悔した。
「ごめんなさい――」
「一体、何で謝るのさ。」
「だって――平坂神社のことについて知りたいって言ったから――」
「そういうことか。」
軽く溜め息を吐く声が受話器の向こうから聞こえた。
「平坂神社について調べたいって言ったのは俺なんだけん、こりゃ俺のせいだよ。なにも、そうやって自分を責めることないでないの?」
そういうものなのだろうか。
「とりあえずは、明日、市内の総合病院に行って検査を受けてくる。そのために紹介状も書いてもらったし。まあ、何が分かるとも分からんけど。」
美邦は少し肩を落とす。
「それじゃあ明日は、お見舞いには行かないほうがいいのかな?」
「お見舞い?」
「うん。――今日電話をかけたのは、いきなり訪れても迷惑かな、って思ったからでもあるのだけど。」
「ああ――さぁだったんか。」
受話器の向こうで、息を吸い込む音が聞こえた。
「それだったら、日曜日にでも来ればええさ。ちょうど、大原さんにも見てもらいたいものがあったし。けれども、俺んとこの住所って分かる?」
「うん。――それも芳賀君から聞いたから。」
「そうか――よかった。」
「じゃあ――お見舞い、行くね。明後日のお昼とか、大丈夫? お昼ご飯を食べたあとくらいに。」
「うん――大丈夫。」
それから礼を述べて、美邦は受話器を置いた。
そして、十一月九日・日曜日――。
昼食を食べ終わり、美邦は渡辺家を出た。
中通りを入江へ向けて歩いてゆく。
入江へ足を向けるのは、これで二度目であった。そこには、神迎え・神送りの行われていたという青ヶ浜もある。
中通りの随所からは鉛色の海が見えた。夏に見るものとは違い、爽やかなものではない。怒り狂ったような波が、白いあぶくを立てながら沿岸に打ち寄せている。潮騒は、遠くで低く唸る雷鳴に似ていた。
芳賀に教えてもらった住所まで着いた。
「藤村」と書かれた表札を確認し、呼び鈴を押す。しばらくして老年の女性出て来た。美邦が来意を告げると、彼女は快く家へ上げてくれた。廊下の奥には二階へと続く階段があり、そこから冬樹が降りてきた。
「ああ、大原さん、よう来たね。」
そう言い、二階にある自分の部屋まで美邦を案内する。
冬樹の部屋は小綺麗な六畳であった。
ベッドと学習机と本棚、そして紅い光を放つ電気ストーヴ以外、何もない。本棚は書物で満たされており、隙間がなくなりかけている。
窓の向こうには海が見えた。
冬樹はベッドに、美邦は学習机の椅子に坐る。
「耳は――大丈夫なの?」
美邦が問うと、冬樹は顔を俯け、ああと言った。
「昨日、精密検査を受けて来た。やっぱり――耳小骨が無くなっとったさぁだ。外傷は全く何もなかったわけだけん、原因は不明だけれども。」
「――そう。」
責任を感じ、美邦は俯いた。
「ごめんね――変なことに巻き込んじゃって。」
「またそういうことを言う。大原さんから注意されて、身を退かんかった俺のせいだから。何より神社のことを知りたいと思っているのは、俺自身だし。俺はこの町に、何が起きているのか知りたい。」
「――そう。」
美邦は少し嬉しくなった。
そして、ふっと冬樹は真面目な顔となる。
「今、教室ってどんな感じ? 一昨日、聞きそびれたんだけど。」
「教室――?」
「水曜日の騒ぎ――先生達は、何か言ってなかった?」
「ああ。」
全校集会で校長が説明していたことを美邦は反芻する。当然、冬樹は怪訝そうな声を上げた。
「あんときの教室は、湿気っとったやぁには思えんが――。そんな説明で、クラスのみんなは納得しとった?」
美邦は首を横に振る。
「疑っていたみたいだったわ。だって――藤村君の言うとおりだもの。私も、あのときの教室は乾燥してたと思うし――。クラスメイトのなかには、由香が亡くなったことと関係があるんじゃないかって言う人もいた。白墨が流れた跡も、変な模様になっていたし。」
「ああ、あの模様な――。あれは俺も気になっとった。」
言うなり、冬樹は立ち上がった。
「ちょっと、パソコンを使いたいけん、一階まで付いて来てもらえるかな? 一昨日、見せたいものがあるって言ったのも、実を言うとあの模様のことについてなんだけど――」
「うん。」
それから、冬樹に従って部屋から出た。
階段を下り、居間へと向かう。良子は自分の部屋にいるらしく、居間は無人であった。パソコンの電源を冬樹は入れる。パスワードを入力し、アカウントへとログインした。
画面いっぱいに、奇妙な画像が現れた。美しい風景ではあるものの、なぜか気味の悪い印象を受ける。デスクトップとしては悪趣味以外の何物でもない。美邦は思わず眉をひそめる。
「この画像は――何?」
「さあ――俺にも、よく分からんのだが。」
デスクトップの画像が変わった経緯を冬樹は説明する。この気味の悪い画像が冬樹の趣味ではないと知り、美邦は少し安心した。
「本当はすぐにでも削除したいと思ったんだが、何か役に立つときがくるかもしらんと思って、そのまんまにしといた。これもまた理屈で説明のつかないことなわけだし、神社のことと何か関係があるのかもしらん。」
「そう。」
その画像は、他人に特殊な印象を与えるという点では秀でていた。写真のコンテストにでも出せば、何らかの評価はもらえるかもしれない。
それから冬樹はインターネットへ接続し、「平坂町」「銅鐸」と打ち込んで画像検索を掛ける。
銅鐸の画像がいくつも現れた。
そのうちの一枚を冬樹はクリックする。
銅鐸の中央には、マグロの目玉のような模様が一つあった。その下には、四角を二つ縦に重ねた模様があり、百足の足のような線が生えている。
「平坂中学校建設中に見つかった銅鐸だよ。黒板に現れた模様と、似とらんかな?」
美邦はその画像に見入る。
「うん――。似ている、というよりかは、そのままだね。」
ただし、黒板に現れた模様は、円や四角の模様がばらばらであった。
「――これも、平坂神社と何か関係があるの?」
「どちらかというと――心当たりがあるという感じかな。」
「心当たり?」
「ああ。菅野さんの家に行ったときに見た祭具の写真を覚えとる? あの――長い杖みたいなのの先に、榊とベルみたいなものがついたやつ。」
「うん。平坂神社以外では長野県の神社にしかないってやつ?」
そうそう――と冬樹はうなづく。
「弥生時代に作られた青銅器って、神話や神社と関係が深いんだ――例えば、銅鏡が御神体として祀られてたり、三種の神器の中に剣があったりするように。それなのに、銅鐸は例がない。それらしい唯一の例が、平坂町と諏訪の鉄鐸なんだけど。」
「なるほど。」
「けれども、これは少し不可解なんだな。全国で見つかった銅鐸の数は五百――銅剣よりも多い。中には二メートルを超す巨大な物もあるが、これは現代の技術でも作るのが難しいと言われる。ところが三世紀を境に、銅鐸は全く造られなくなる。」
「なぜ――?」
「何か――銅鐸を造ることをやめさせる出来事が起きたとのかもしれない。それで、平坂町と諏訪にしか残らなかったとも考えられる。ひょっとしたら、国譲りの神話とも関係があるのかもしれない。」
聞き慣れない言葉が登場した。
「国譲り?」
「ああ。」
しばし何かを考え、冬樹はこう説明する。
「その昔――大国主命は出雲の王だった。そこへ高天原から使者がやって来て、天照大御神に国を譲るよう迫る。これに抵抗したのが
諏訪――それは鉄鐸が残されている地だ。
「さすがの俺も、この神話がそのまま事実だとは考えてない。ただ、モデルとなった歴史的事実はあったんじゃないかな。」
「銅鐸は、そのときに忘れ去られたの?」
「かもしれない。」
黒板に現れたあの模様のことを美邦は思い出した。
あのとき、美邦は確かに何かを思い出したような気がしたのだ。何か――長い物語を。それが何か思い出せないことが、今となってはもどかしい。
「この銅鐸は、今はどこにあるの?」
「■■市の博物館だ。」
それは県庁所在地の名前でもある。
「今は、国の重要文化財に指定されているけれど、博物館へさえ行けば誰でも見ることができる。かくいう俺も、まだ見たことはないんだけど。」
そして冬樹は、ちらりと美邦へ目をやった。
「――大原さんも、見てみたかったりする?」
美邦は軽く首を縦に振る。
「うん。見たい――かな?」
「それなら今度――」
一緒に見に行かないか――と冬樹は言った。
「一緒に――?」
「ああ。どうせ神送りの儀式を行うんなら、そのルートを下見しといたほうがええかなって――このあいだ、築島先生と話をしたときから考えとったんだけどさ。それだけじゃ時間が余るけん、ついでに■■市まで出て、銅鐸を見に行かんかな? 銅鐸だけじゃなくって、平坂町で出土した遺物も数多く展示されとるらしいけど。」
銅鐸の画像を美邦は再び見た。
銅鐸の画像は、今の美邦にとっては、ただの画像にすぎない。けれども実際に目にしてみれば、あのとき思い出していた何かに触れることができそうな気がした。
「うん。――行ってみたほうが、よさそうね。」
「よかった」と言い、冬樹は微笑む。「けど、今日は少し遅いかな。」
「そうなの?」
「■■市に行くまでは、どうしても一時間くらいかかるし、電車賃も出してもらわんといけん。どうせなら、ついでに平坂町のあちこちも巡ったほうがいいし。」
「そう――ね。」
「今週の土日なんかはどう? 俺は、どちらも空いとるけれども。」
「私も――特には予定なんかはないけれども。」
「それじゃ、土曜日に行ってみやぁや。実際に銅鐸を目にしたら、ひょっとしたら、何かインスピレーションがあるのかもしらん。」
それ以上に調べることもなかったので、冬樹はインターネットを閉じた。銅鐸の画像が消え、再びあの、奇妙な画像が画面いっぱいに拡がる。
その光景を目の当たりにして、美邦は思わず「あ」と声を漏らした。この風景を一言で言い現わす言葉が、急に頭の中に浮かんできたからだ。
「常世の国だ――これ。」
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