8 冬樹の住所

十一月七日金曜日――始業時間になっても冬樹は登校してこなかった。


その日は朝学活の前に全校集会が開かれた。体育館へ集められた全校生徒を前にして、校長は、先日二年A組で起きた怪現象の原因は湿気であったと説明した。そして生徒達が不安を感じることへ理解を示しつつも、無暗な騒動を立てないよう訓示した。


正直なところ、美邦は呆れていた。


――そんなこと、あるわけがない。


一昨日、教室は明らかに乾燥していた。窓は開け放たれており、涼やかな風が吹き込んでいたのだ。


ましてや、白墨の流れた跡が形作っていたあの模様はどう説明するのか。覚えているだけでも、マグロの目玉のような円い模様が一つ、そして四角を重ねた模様が二、三個ほどあった。四角い模様は円より一回り小さく、「日」や「目」という漢字のようだった。しかもその左右からは、短い線が百足の足のように伸びていた。


あれが――湿気などで説明のつくものなのだろうか。


いや、説明がつかないからこそ、このような発表があったのだろう。


あの模様を目にしたとき、美邦は何かを思い出したような気がした――何か大切なことであり、途方もなく長い物語のようでもある何かを。しかし、今となっては思い出せない。それがもどかしく感じられる。


全校集会が終わり、生徒達はそれぞれの教室へ戻っていった。


廊下を渡りながら、生徒達はひそひそと何かをささやき合っている。


当然、学校側の発表を疑っているようだ。


中には、由香の死と関連づける声も聞こえている。そんな生徒達が、ちらちらと美邦に視線を向けているのが辛かった。


教室へ戻り、朝学活が始まる。


出席を取る前、冬樹が体調不良で欠席する旨を鳩村は伝えた。


朝学活が終わり、十分間休憩へと入った。


美邦は岩井へと話しかける。


「藤村君――今日も、来ていないね。」


「ええ、そうですよねえ。」岩井は、特に興味もなさそうに相槌を打つ。「最近は、体調がお悪いのでしょうかしら? 少なくとも、今まではこうも立て続けに休まれることはなかったのですけれども――」


「お見舞いに、行くべきなのかな?」


岩井に話しかけたのは、そのことを相談するためであった。どうせ明日は休みなのだし、月曜日まで冬樹とは会えないのだ。


しかし岩井は迷惑そうな顔をした。


「あまり、気にかけられても、迷惑だと思われませんでしょうか? それに、実相寺さんのときと違って、女の子が男の子の部屋へ上がることは、あまりよくないですよ?」


「迷惑――なのかな?」


美邦は首を傾げる。


「藤村君なら、特に迷惑だとも思わないと思うんだけど。それに芳賀君を誘って行くのなら、別に問題はないんじゃないかしら?」


「うーん、そうですねえ――。けれども私は、明日明後日はちょっと用事が入っているんですよ。それに、私は藤村さんとあまり親しくはしていないので、相談に乗れるようなことでもありません。」


「あ――そうなの。」


見舞いになど行きたくないと岩井が遠回しに言っていることを悟った。クラス委員といえども、誰とでも分け隔てなく接しているというわけではないのかもしれない。


それに――。


ただでさえ、美邦はこの教室で居心地が悪くなっているのだ。


それから芳賀の席へと向かってゆく。


芳賀は不機嫌そうな顔で読書に熱中していた。どういうわけか、最近の芳賀はいつも仏頂面をしている。少し踌躇ってから美邦は声をかけた。


「芳賀君。」


むっつりと黙り込んだまま、芳賀は顔を上げる。


「あの――今、ちょっといい?」


芳賀は、顔を美邦へ向けたまま黙っていた。何も返事をしてくれない。仕方がないので、冬樹の見舞いに行かないかと一方的に話しかける。


「大原さん、一人で行けばええがん。」


ぶっきら棒に言い、芳賀は顔を再び本へと向ける。


「あ――うん、そうだね。」


いつもは冬樹とくっついているくせに血の通わない言葉だ。しかし芳賀は顔を動かすこともなく、一体いつ行くのと問うた。


「えっと――それは明日のお昼にでも。」


「そう――」


芳賀は不機嫌な表情のまま本を閉じた。


「とりあえず今は、読書の邪魔をせんでくれるかな? 藤村君の家の住所なら教えたげるし。」


「あ――うん。ごめん。ありがとね。」


それから芳賀は、冬樹の家の住所と、そこへ至るまでの詳しい道のり、そして冬樹の家の電話番号を教えてくれた。芳賀から聞いたことを生徒手帳にメモして、美邦は自分の席へ戻ってゆく。


芳賀が必要なことを詳細に教えてくれたことは嬉しかった。それでも、あの気のない対応は気に掛かる。


いや――芳賀ばかりではない。何だか最近、周囲の人物の対応が冷たいように感じられる。この一週間、幸子とは口を利いていないし、家へ帰れば、始終苛々した表情の詠子が待ち構えている。それが美邦にとって、強いストレスとなりつつあった。


――それとも。


住み慣れない田舎へ引っ越して来た、引っ込み思案な自分への反応は、これが本来のものなのであろうか。

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