5 教室のひずみ

由香の失踪が噂として瞬く間に広まり始めたのは、昼休みからであった。


給食時間が終わり、幸子は委員会へ出席するため教室から出る。美邦はすることがなくなった。とりあえず自分の席に着き、冬樹から借りた本を読もうとする。そこへ三人の女子が集まってきた。先頭に立つのは、美邦と同じ班の田中である。あとの二人は名前を覚えていない。


「大原さん――ちょっとええ?」


先に口を開いたのは田中であった。


「実相寺さんがいなくなったって、本当?」


彼女たちの目には、不安そうな色が見え隠れしていた。


普段は関わりのない人々から急に話しかけられ、美邦はやや戸惑う。


「あの――先生は、確かにそう言っていたけれども。」


美邦がそう言うと、彼女らはお互いに視線を交わした。


一体、いつごろ失踪したんかな――と女子の一人が訊く。


「いや――それはちょっと――分からなくて。」


鳩村から言われたことを思い出し、美邦は言い淀む。


少し苛ついたように田中は問いかける。


「鳩村先生から、何か聞いたでないの?」


「ああ、うん――」


仕方なく、鳩村から聞いたことを美邦は全て話した。なぜだか非難されているような気がする。自然と言葉はたどたどしいものとなった。


ひととおり語り終えると、田中は非難するような口調で言った。


「何だ、いつから失踪とったのか、知っとったがん。」


「えっ――?」


「さっきいつ失踪したか分からんって言ったが? それ、何で?」


予想外の言葉に、美邦は思わずたじろぐ。言葉に詰まり、身を縮めた。


「貴女達、ちょっといい加減にしたらどうですか?」


隣から咎めるような声が聞こえてくる。


顔を上げると岩井がいた。


「大原さん、困っていらっしゃるではないですか。」


「だって岩井さん、気に掛からんの?」不満そうに田中は言う。「クラスメイトが行方不明になっとるっていうのに。実相寺さん、今まで欠席なんかしたことなかったが?」


「その気持ちは、もちろん解りますよ? けれども大原さんは内向的な性格なので、あまり寄ってたかって質問を浴びせては可哀想ですよ。」


美邦は何も言葉が出なくなってしまった。


絶句している美邦に気づくでもなく、岩井は問う。


「ところでみなさん、実相寺さんが失踪したなどということを、どうして御存知なのですか? 私でさえ、何も聞かされていませんでしたけど――」


「ああ、お母さんからメールがあっただが。」


答えたのは別の女子であった。


「何か、警察の人が実相寺さんを探しとるらしいって。大原さんや古泉が呼ばれたのも、どうせその理由だら? それで私達、心配になって――」


「メールって――学校に電話なんか持ち込まないでください!」


「はーい。分かってるって。」


「大原さん、時間取らせちゃってごめんねえ。」


田中の言葉を最後に、三人の女子は、面倒臭そうな表情で去ってゆく。


美邦はついぞ言葉が出なかった。


「まったく――」岩井は呆れ果てた顔をする。「大原さん、申し訳ありませんね。けれども、みなさん実相寺さんのことを心配しているのです。」


「ああ、うん――別に。」


今の言葉の、どこが由香のことを心配しているというのだろう。岩井のことが信じられなくなった。彼女らの言動は、どう考えても由香を心配するようなものではなかった。


「罰が当たっただが。」


聞こえよがしに、なじるような声が聞こえてくる。


顔を上げると、美邦の隣を一人の女子が通りすぎた。


「こら! 笹倉さん!」岩井はその後姿に向けて声を掛ける。「どうして貴女は、実相寺さんに対してそんなに意地悪なんですか!」


笹倉はこちらを振り向くこともなく、教室から出ていった。


美邦は自分の席に坐り込んだまま、それからしばらく呆然としていた。


一体、今の騒ぎは何だったのだ――と思う。


――おかしいよ、みんな。


悔しい思いが込み上げてきた。頭が変なのは笹倉だけではなさそうだ。


――岩井さんも、あんなこと言うなんてどうかしてるよ。


教室にいない幸子のことが急激に羨ましく思えてきた。


しばし呆然としたあと、美邦は再び本を開いた。


何とかして読書に集中しようと思ったが、できなかった。本の内容を頭の中に入れようとしても、次々と浮かぶ雑念がそれを邪魔した。由香の失踪、蒼い顔、クラスメイト達の不謹慎な態度――。


ひょっとしたらあの三人の頭のなかには、この町で起きているという不審死や失踪事件のことがあったのかもしれない。しかし、美邦はそのようなことは考えたくもない。考え始めたら、由香が帰って来なくなってしまうような気がしたからだ。

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