7 郷土史家

山際の集落に入った。


山が近いためか、ここも坂道が多い。側溝からは水の流れる音が聞こえている。背後を振り返れば、遠くに海が望めた。右手には、蒼穹あおぞらの下にどっしりと身を構える伊吹山の姿もある。


菅野の家はそんな集落の一角にあった。


遠目には普通の民家に見えたのだが、近づくに従い、そうでないことが判った。家は燐寸マッチ箱のように小さい。無数の紅い布が軒先に垂れており、七、八枚ほどの紙が雨戸に貼られている。ここが郷土史家の家だったら厭だなと思っていたら、ここだという冬樹の声が聞こえた。


雨戸に近づくと、貼り紙には次のように書いてあった。


『先日泥棒がはいりました。いやがらせはやめて下さい。』


『此の家のもち主は平坂町上里■■在住の菅野文太です。大阪府■■の池田義之ではあり間せん。最近はどんどんと治安がわるくなっています。』


『治安が悪い。』


幸子は、引き攣った顔を冬樹に向ける。


「ここ――本当に這入るわけ?」


「うーん。教えてもらった住所は、ここで間違いないはずなだけどなぁ――。表札にも、菅野って書いてあるし。」


「住所の問題でないでしょ。」


「まあ、せっかく来たんだしさ―― 」と由香は言った。「今さら、ここで引き返すのも勿体ないで? 赤信号、みんなで渡れば怖くない、だよ。」


「それ、渡っちゃいけないってことだよね?」


這入ろうか這入るまいかまごついていると、家の中から物音がした。


玄関が少しだけ開き、一人の老人が顔を覗かせる。


おずおずと冬樹は問いかけた。


「あの――こちら、菅野文太さんのお宅ですよね? 僕、このあいだ電話を致しました、藤村冬樹です。」


「ああ、神社のことについて知りたいという方ね。」


菅野はにこりと微笑み、玄関を大きく開いた。


「お待ちしておりました。どうぞ、お這入りください。」


菅野に導かれるがまま、一同は家へ上がる。


家の中は何の異常もないどころか、綺麗に片付いていた。どこからか、お香のようないい匂いさえしている。それはある意味で、遠目には何の異常もないこの家の外見と同じであった。


「ここ何日か、夜中に泥棒が這入って来とりましてな。」


冬樹らを案内しつつ、菅野は言う。


「本当に、このへんの治安はどうなってしまったんでしょうなあ。困ったものですよ。たとえばほら、あそこにも――」


菅野は雨戸の外を指さす。そこには、こちらを窺う男の姿があった。彼はすぐに目を逸らす。恐らくはただの通行人であろう。


「あの男なんかも、最近はよくあそこからこの家を覗いとるんです。」


「はあ、そうですか――」冬樹は相槌を打つ。「それは大変ですね。」


「最近はいくら戸締りをしても、壁を擦り抜けて這入ってくるんですよ。」


そんな泥棒がいるわけがない。


居間へと通された。本棚に囲われた部屋に、座布団とテーブルだけが置かれている。テーブルの奥の席は菅野が坐るとして、とりあえず女子の三人は菅野の対面へ坐り、側面に冬樹と芳賀が坐った。言うまでもなく、菅野を警戒したためだ。


台所から急須と湯呑を持って来て、菅野はお茶を淹れてくれた。しかし、冬樹以外は誰も口をつけようとはしなかった。


「それで――何を訊きたいんですか?」


「実は――」


美邦が転校して来てからのことについて冬樹は説明しだす。ただし、美邦が平坂神社の宮司の家系であるということには触れなかった。


「それで――平坂神社についての資料が少なくて、困っていたところです。誰も神社のことを知らないと言うんですよ。神社は本当に倒産したのか、いつ頃、なぜ倒産したのかも知りたいんですけれど。」


菅野は息を吸い込み、何事かを考え始めた。


「平坂神社が倒産したのは――確か、二千■年のことだったのではないかと記憶しております。ですから、ちょうど十年前ですね。あの年は、私の親しかった方が相次いで亡くなってしまいましたので、忘れることができません。長年、懇意にして下さった宮司さんが亡くなられたのも、その年の冬のことです。」


冬樹は意外そうな顔をした。


「平坂神社が倒産した年に、宮司さんも亡くなられたのですか?」


「ええ――そうですよ。忘れられるはずがありません。宮司さんが亡くなられたのは――確かその年の、一月ごろだったかな? それから、義理の息子さんが宮司の地位を継がれたのです。しかしそのあとで、仰るとおり、宮司さんの家は火災に見舞われました。」


――義理の息子。


それは、大原家に婿入りした者ではないのか。


そして美邦は気づいた。もしも平坂神社の存在を町民が隠しているのならば、それは自分の父親も同じだったのではないか――と。


「私は、新しい宮司さんとはあまり関わりを持っていませんでしたし、どのような経営状態にあって破産されたのか、詳しいことはさっぱり分かりません。なので、なぜ倒産したのかについては――」


「そう――ですか。」


ほんの少しだけ沈黙が流れる。


平坂神社が破産した理由について、どうやら菅野は何も知らないらしい。いや――そもそも精神に変調を来しているかもしれないこの男から、一体どこまで有益な話を聴けるのだろうか。


冬樹は話題を替える。


「それでは――いわゆる神迎え・神送りについて教えていただけますか? 当日の夜は、外へ出ると祟りがあると聞いたのですが。」


「ああ、そのことですか。」


菅野は手元に置いてあったノートを開いた。


「まず神祭りに当たっては、男女二名の一年神主を立てます。男性の一年神主は、頭に屋根と書いて『頭屋』。女性の一年神主は、当たるに屋根と書いて『当屋』と呼ばれます。」


菅野はノートを指でなぞる。


「一年神主が選ばれるのは神迎えの翌日です。この日は『御忌明け』と呼ばれ、平坂神社でも、大根の煮炊きが行なわれるなど小さな祭りがありました。」


神迎えの翌日という言葉が妙なほど気にかかった。


「一年神主となる資格のある者は、十五歳以上で未婚、かつ一年神主としての経験がない者です。この中から、籤引きによって決めとったわけです。一年神主は一年間潔斎けっさいをしなければならず、また、神事で奉納する神楽を習わされておりました。」


由香は小首を傾げる。


「ケッサイって何ですか?」


「身体を綺麗にすることですよ。主に、異性との交渉の禁止、生き物の肉や乳製品を食べることを控えることです。特に神嘗祭・神送り・神迎えの一週間前からは、全面的にこれが禁止されます。」


「厳しいですね」と幸子は言う。「そんな面倒なこと押し付けられるなら、誰も籤を引かなくなるのかも。」


冬樹は再び質問をする。


「籤引きというのは、どこで――?」


「平坂神社の境内ですね。」


「平坂町中の人が神社に集まって籤を引いていたんですか?」


「はい。――ただし、あまりにも歳を取っていた場合は、一年神主になる資格がないとして籤引きに行かなかったみたいですよ。」


芳賀はつぶやくように、遠いな、と言った。


菅野は大きくうなづく。


「伊吹や平坂ならともかく、確かに上里からは少し遠いですね。」


菅野は続けて説明する。


「春分の日の七日前から、神迎えに向けて様々な準備が行なわれます。まず、神饌しんせん――つまりはお供え物の調達。次に、神社の斎戒さいかい――つまりはお掃除。そして、役員の決定、配神への祝詞奏上。一年神主への修祓しゅうばつ――つまりはお祓いです。――宮司や役員・一年神主など、儀式に携わる者は、『神遣い』と呼ばれておりました。」


菅野はノートを捲る。


「春分の日、町民は一歩も外に出ずに居篭いごもりを行います。居篭りは徹底していて、家の外へ明かりを漏らすことさえありませんでした。一方で、平坂神社と青ヶ浜では、神を迎えるための篝火かがりびかれていました。電気がなかった時代は、この二つの灯り以外、完全な暗黒だったことでしょう。」


美邦は思わず想像する。


漆黒の闇に塗り潰された海原の上、遠くに二つの灯りが点る。一つは伊吹山の中腹に、もう一つは青ヶ浜に。自分を呼ぶ声を聞いたためか、海原を漂っていた神は、その灯火に誘われるようにくがへと向かう。


「神迎えの儀式が行われるのは、子の刻――午後十一時頃――からです。青ヶ浜には事前に祭壇が組まれておりました。ほら、青ヶ浜の沖合に鳥居が建っとるでしょう? ちょうど、その前のあたりですね。」


「は――?」


冬樹は首をかしげる。他のクラスメイト達も不思議そうな顔をしていた。何が何なのか美邦には分からなかった。そもそも青ヶ浜とはどこだろう。


「青ヶ浜の鳥居って、何のことでしょうか?」


「いや――青ヶ浜の沖合の岩礁に、鳥居が建っとるでしょう? 儀式が行われていたのは、あそこですよ。だからこそ鳥居が建っとるんです。」


「いえ――僕は入江に住んどるんですが、鳥居なんて建ってませんよ?」


美邦を除く、クラスメイトの全員がうなづいた。


「えぇ、ああ――そうですか。」


菅野は困ったような表情となる。


「いや、確か建っとったはずなんですけどねえ――。神社が倒産して、のうなっちゃったのかな?」


菅野は背後の本棚から一冊のスクラップ帳を取り出し、テーブルの上に開いた。そしてとあるページを開くと、手前へ差し出す。


「ほら――これです。この鳥居です。」


そこには、青ヶ浜を写したと思われる写真がいくつか載せられていた。シンプルな形をした鳥居が沖合の岩礁に建っている。


「ともかく――まあ、そんな祭壇の上へ、宮司と役員が神饌を供え、神を呼ぶための祝詞を奏上するのです。儀式が終わったあと、依り代を持った宮司を先頭に、一同は平坂神社まで行幸します。このとき、鉄鐸てつたくと呼ばれる特殊な祭器を役員たちは打ち鳴らしとりました。」


菅野はスクラップ帳をめくる。


そこには一葉の大きなモノクロ写真が貼られていた。先端に榊をつけた、全長二メートルほどの棒のようなものが写っている。榊の根元からは、筒状の物体が一つぶら下がっていた。


「この筒みたいなものが鉄鐸てつたくです。榊のついた棒は、御鉾みほこと呼ばれます。」


喰い入るようにその写真を冬樹は見た。


「これは――小野神社の鉄鐸に似てはいませんか?」


「ほほぉ、お若いのに詳しいですねえ――」


「また藤村君ったら、わけの分からんこと言って。」由香は不満そうな声を漏らす。「小野神社って、どこの神社?」


「長野県の諏訪すわにある神社だよ。小野神社には、ちょうどこの写真と同じような祭器が伝わっとるんだ。榊の代わりにほこの飾りがついとって、その根元に筒状のベルみたいなんがたくさんぶら下がっとるんだけど。」


ただし平坂町の鉄鐸は、大きなものが一つだけしかない。


「貴方とは、いい酒が呑めそうですね。」


菅野は明るく笑う。


「そんな小野神社の祭神は――健御名方命たけみなかたのみことです。神話によれば、健御名方命は、武御雷神たけみかづちとの戦いに敗れて出雲から諏訪へと逃げた神様です。出雲文化圏である平坂町と、遠く離れた諏訪の地で、似たような鉄鐸が使われていたことは看過できませんね。ただし平坂神社の鉄鐸は、本来ならば部外者の目に触れることは禁止されていたので、詳しい研究は出来ずじまいでした。鉄鐸の写真自体、この一葉しか残っていないのです。」


「そう――でしたか。」


さて――と言い、菅野は話題を戻す。


「こうして海から呼び寄せた神様を、神遣いは平坂神社へ送り届けるわけですな。平坂神社へ着いてからは、宮司による奉幣、それから祝詞奏上、一年神主による神楽の奉納が行われます。一年神主はそれから降殿し、宮司から御解除おけど――つまり、一年神主がその役割を終えたことを証するお祓いが行われるのです。」


違和感を覚え、美邦は口を開く。


「神迎えの後なんですか――一年神主が選ばれるのは?」


「左様です。」


「神を迎えた人が――神を送るのではないのですね。」


違和感に冬樹も気づいたようだ。


「失礼ですが――何だか、一年神主を選ぶタイミングがちぐはぐではありませんか? 神迎えが始まる前に一年神主を選んで、神送りも同じ人にやらせたほうが自然じゃないかと思うんですけど――」


「その点については、私も気になっておりました。けれども、それがなぜかは分からないのです。ひょっとしたら、一年神主は、来訪した神の意志によって選ばれるものなのかもしれません。また、一年神主の重要性は神送りの儀式にこそあるのではないか――とも思いますが。」


「と、いうと?」


「神送りの儀式では、一年神主に何か秘事を行わせるらしいのです。これが何であるのかは、宮司や、役員、一年神主の経験者の方々に訊いてきましたが、何も答えて下さりませんでした。」


なぜだろう。


美邦は胸騒ぎを感じる。


神送りには隠された儀式があった。そして、この町には神社の存在を隠している者がいる。誰がなぜ隠しているのであろう。そこには、何か禍々しい理由があるような気がする。


「神迎えの翌日は、巫女による神楽奉納のあと、町民による玉串奉奠たまぐしほうてん、そして新しい一年神主の選出が行われます。先ほども申し上げましたように、氏子たちが平坂神社へお参りしてくじを引くわけです。」


菅野は再びノートを捲る。


「神送りの日程については――前半までは神迎えと同じです。冬至の日のの刻から、平坂神社において、宮司による祝詞奏上、一年神主による神楽奉納が行われます。そのあと、依り代を持った宮司を先頭に、神遣いは青ヶ浜まで行幸します。何か特殊な秘事を行うのは、この青ヶ浜での儀式のときらしいのです。青ヶ浜での儀式を終えたあと、一年神主は神饌を入江神社まで運び、神送りが終わったことを報告するわけです。」


冬樹が再び口を開く。


「その――儀式の終わりに、一年神主が入江神社へお参りするというのは、どのような意味を持っているんですか?」


こちらの質問には、菅野は簡単に答えられた。


「入江神社に祀られていた神様は、元々は地主神様であったと考えられます。平坂神社の神様は、あくまでも客神様ですからね。客神様の信仰が強すぎたために、地主神様の存在が希薄となっていったのでしょう。」


「なるほど。」冬樹はにやりと笑う。「それでしたら、やはり平坂神社の神様も、元々は三輪大物主命ではないのではないですか? 元々は名もない客神か、寄神だったのでは――?」


「そのとおりです。大物主命ではありません。明治維新以前は『平坂の大神』だとか『みかりさま』だとかと呼ばれていたらしいのですが。」


『みかり』という言葉に、美邦は引っかかるものを感じる。どこかで聞いたことがあると思ったからだ。それを思い出させたのは芳賀であった。


「それって、藤村君の言ってた箕借り婆さんと関係があるんじゃ――」


――そうだ。


関東地方に伝わる一つ目の妖怪――その名前と似てはいないか。


「ほう。」菅野は感嘆の声を上げる。「今日は詳しい人ばかりだなぁ。」


「いえ――」芳賀は冬樹に手を遣る。「彼の入れ知恵です。」


「ほほう。なるほど――道理で、熱心に質問しておられると思ったら。」


「いえ――それほどでは。」


いえいえ、大したものですよ、と菅野は言う。


「『みかりさま』と箕借り婆さん、さらには西宮神社の御狩みかり神事の語源も同じものでしょう。また、箕借り婆さんは一つ目の妖怪であるとも一つ目小僧を引き連れているとも言われますが、『みかりの神』も一つ目の神なのです。」


美邦は少し居心地の悪い気分となる。冬樹から変に気を遣われたときのことを思い出したからだ。加えて、菅野はさらに不穏な発言をする。


「そして、西宮神社にもこの共通点があります。西宮神社に祀られている神様は恵比寿様ですが――恵比寿様は片目がない神様なのです。」


由香は冬樹に顔を向ける。


「え――そうなの?」


ああ――と冬樹はうなづく。


「確かに恵比寿様は、片目や片耳が不自由だとか、脚が悪いだとかと言われることがある。どうやらそれは、西宮神社の御祭神が蛭子ひるこだかららしい。蛭子というのは、手足が蛭のようにぐにゃぐにゃと曲がっていた神様だ。恵比寿様が障碍者だという話は、そこから広まったと考えられる。」


「それが――そうだとも言い切れんのですよ。」


菅野は、穏やかな表情で反駁する。


「恵比寿様というのは、主に二柱ふたつの神様と同一視されています。一柱ひとつ蛭子命ひるこのみことであり、もう一柱ひとつ八重やえの事代主命ことしろぬしのみことです。事代主命を祀った総本山が松江市の美保神社であり、蛭子命を祀った総本山が西宮神社ですね。美保神社は、恵比寿様が事代主命に比定されるよりもはるかに古い神社ですが――そこでも、事代主命の片足が不自由だという伝承が残っているのです。これは、恵比寿様が障碍者であるという伝承が、蛭子命と比定されるよりも古いものである可能性を指し示しています。」


郷土史家らしく理論的に説明する菅野の姿に、美邦は好感を抱きはじめた。精神に少し支障をきたしているものの、それ以外では真っ当な人間であるらしい。この家の妙な小奇麗さもそれを物語っている。


『みかり』という言葉が気にかかり、美邦はふいに言葉を発する。


「平坂神社の神様も、眼を盗んでゆくのでしょうか?」


菅野は何かを答えかけ、そして言葉を閉ざす。


このときになって、美邦の左眼にようやく気づいたようだ。


「いえ、そういう話は伝わっていません。ただ、『御忌』の最中に外へ出た者に不幸があったという話はたくさんあります。実際に起こった事例で、私が覚えているのは――」


菅野は手元のノートを捲り、あるページを開いた。


「これです。」


そこには新聞の切り抜きが貼られていた。


ノートの余白には、「昭和52年12月23日 日本海新報」と記されている。


二十三日早朝、平坂町伊吹において、夜遊びに出ていた高校生が路上にたおれているのが発見されたという記事だった。高校生は三人組で外出していたのだが、発見されたのは一人だけであった。発見された高校生は、搬送先の病院で死亡が確認された。あとの二人の行方は判っていないという。


「この高校生については私も調べたのですが――心臓麻痺による自然死であり、事件性はないとのことでした。ただし、健康であったはずの少年がなぜ突然死したのか、あとの二人はどこへ行ったのか、ということは今に至るまで判っておりません。」


美邦はその新聞記事に見入った。


御忌の日に外へ出て、本当に命を落とした者がいるのだ。


「結構、長いこと話してしまいましたな」と菅野は言う。「他に――何か質問はありますかな?」


「あの――」恐る恐る、美邦は声を上げる。「平坂神社の、境内とか、社殿とかを撮った写真とかは、ありませんか?」


「ああ、それでしたらいくらでもありますよ。」


菅野はスクラップ帳をめくった。やがて、平坂神社の境内や、社殿の写真が現れる。白黒の写真ではあったが、記憶の中の神社と確かに似ていた。


目を惹くのは建築ばかりではない。


境内の随所には岩が写っている。一メートルから五十センチほどの岩が、地面に埋まっていたり、樹々の中から顔を出していたりしていた。


「これは磐座いわくらですか?」


冬樹が問うと、菅野はそうですとうなづいた。


いわくら――と幸子は問う。


「簡単に言えば、神様の宿る岩だよ。出雲系の神社には多い。」


「左様です。平坂神社には、随分と多くの磐座があったようです。」


そう言い、菅野は次のページを開く。


そこには平坂神社の境内の平面図が貼られていた。社殿を中心として、磐座と思しき点が竝んでいる。大きめの磐座や複数の磐座が群れとなっているものにはイロハの番号が打たれており、それを順番に辿ってゆくといびつな螺旋形を作った。


環状列石ストーンサークルのようにも見えますね。」


環状列石ストーンサークルであるかどうかは判りません。一応は発掘調査が行われたこともありますが、特にこれといった出土品はありませんでした。はたして、意図的にこのような配置なのか、そうだとしたらいつ頃置かれたものなのか――それでさえも、実を言うと分かっていません。」


それからしばらく、沈黙が訪れた。


語るべきことは、語りつくした頃合いであった。そろそろ話も終わるころであろう。美邦も少し足がしびれてきた。冬樹は美邦にちらりと目を遣り、そして静かに、ゆっくりとこう訊ねる。


「平坂神社の宮司さんは、大原という家が継承してきたのですよね?」


「はい――それが、どうかされましたか?」


「初めに話したとおり、僕らはこの――」冬樹は美邦のほうへと手をかざす。「大原美邦さんから、平坂町に神社がなかったかと訊かれてから、平坂神社のことについて調べるようになったんです。大原さんのお母さんの名前は――大原夏美さんというそうです。」


菅野は美邦の顔をじっと見つめる。


そして――驚愕したような表情となった。


顔を蒼くし、がくがくと震え始める。


一体どうしたのかと思っていると、菅野は唐突に叫んだ。


「帰れ!」


心臓を射貫くような声だった。クラスメイトの誰もが軽く跳ねた。


菅野はぬくっと立ち上がり、叫ぶ。


「ここは池田の家でないぞ! 俺の家だ!」


菅野が近づいてきたのと、美邦らが逃げ出したのはほぼ同時であった。


なぜいきなり怒りだしたのかは分からない。


クラスメイト達の中で、最後まで部屋の中にいたのは冬樹であった。美邦らを庇うように左腕を拡げながら後ずさりしている。


廊下を走り抜け、玄関で靴を突っ掛けてから美邦は家を飛び出した。


そのあとに冬樹も続く。


家の中からは、廊下に仁王立ちした菅野が、なおも叫んでいた。


「今度来たら、殺してやるぞ!」

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