7 冬樹の目覚め

冬樹が何やら不快な夢を見たのは、連休明けの未明のことであった。


どこか山奥の獣道を歩いていた。高い樹々が周囲には生い茂っており、湿っぽい土の臭いが鼻をくすぐっている。いつから歩き続けているのかは分からない。けれども冬樹は、自分が山頂へ向かっていることを知っていた――随分と高い処を歩いていることや、山頂が近いらしいことも。


しばらく歩き続けていると、やがて開けた場所に出た。


そこには高さ二、三メートルほどの、苔生した磐座いわくらが立っていた。


磐座の上には、餓鬼がきに似た生物が群がり、うごめいている。


アーモンド形の眼をした、肌色で禿頭の生物だ。手足は細く、磐座の側面を蜘蛛のように這っている。


恐る恐る磐座に近づく。その一面には、渦巻きを連ねたような模様が彫られていた。直感的に、自分は伊吹山の頂上にいるのだと理解する。以前から、伊吹山の頂上には、何かの古代遺跡がある気がしていたのだ。


お前達は何だ――と冬樹はその生物達に訊ねる。


我々は喰われた者だ――というようなことを、その生物は答えた。


――我々は、元は人間であったのだ。それが不遇にして神に喰われ、生けるしかばねとしてこの姿に変えられた。今はどこにも行けぬまま、ここで苦しんでいるしかない。


途端に、冬樹は目を覚ました――かのように思えた。


しかし、実際は、目を覚ました夢を見ていただけだ。


ベッドの上に側臥よこねしたまま、身体を動かせなかった。視界の端には、真っ黒な闇に塗り潰された窓がある。


その闇の中から、何かが来た。


姿も形もない何者かである。ただかすかな跫音あしおとのみが聞こえる。


それは窓のサッシをまたぎ、部屋の中へと侵入して来た。生暖かい視線が冬樹の身体を撫でる。冬樹は耐えられなくなり、眼を閉じた。そうこうしているうちに、身体の上に、何か生暖かい手触りが感じられた。


冬樹はベッドから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。それなのに、どういうわけか身体が動かない。


何者かの存在に身体をまさぐられている。やがて、どこか遠くから潮騒が聞こえてきた。潮騒は、初めは小さかったが、次第に大きなものとなっていった。頭の中に一つのイメージが浮かんでくる。漆黒の闇を孕んだ波が、力強く、荒々しく、浜辺に打ち寄せていた。


そして冬樹は、本当の意味で目を覚ました。


窓の外には、薄紫色に棚引く東雲しののめがあった。


潮騒が耳に残っている。布団はしっとりと冷たい。目覚まし時計に目を遣ると、まだ六時の手前であった。起床時間までまだ一時間ほど残っている。けれども何やら恐ろしい不愉快感が身体に残っていて、とても微睡める気分ではない。


眠たい目を擦りつ、身体を起こした。


そして枕元に目を遣り、身を凍らせる。


握りこぶし大の髪の毛の塊があったからだ。


冬樹は自分の頭に手を遣った。ぱらぱらと、何本かの髪が落ちてくる。指先の感覚から察するに、どうやら禿が出来ているわけではないらしい。


けれども、どう考えてもこの抜け毛の量はおかしかった。まるで何者かが、冬樹の髪の毛を握って抜き取ったかのようだ。


冬樹は、つい先ほどまで見ていた夢の内容を思い出す。恐ろしく不愉快な夢であった。この抜け毛は、窓から侵入して来た者が抜き取っていったものではないかと感じる。しかし一方で――そのようなことがあるのだろうか、とも思う。夢の中に出て来た存在が、髪の毛を抜いてゆくなどということが。もしもそうであったのならば――。


一体何者が這入はいってきたというのだろうか。

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